【二一四《関心外の錯綜(さくそう)》】:一

【関心外の錯綜(さくそう)】


 マンションの広い部屋で、俺は床にあぐらを掻きながら隣に座る空条さんに頭を下げた。


「迷惑を掛けてごめん」

「迷惑なんて思ってないよ。家で飲もうって提案したのは私だし」


 明るく優しい笑みでそう言ってくれる空条さんは、手に持ったワイングラスから白ワインを上品に飲んだ。


 今日、俺達は空条さんの家で飲み会、いわゆる宅飲みというやつをしている。

 発端は、いつも通り飾磨の「飲み会をしよう」という提案からだったのだが、それを聞いた空条さんが、空条さんの部屋で宅飲みをしようと提案してくれたのだ。


 俺達が飲み会をする場合、少人数でこぢんまりとした飲み会になるようにしている。それは、飾磨が人を集め過ぎてトラブルになったことがあったからだ。

 今回は、俺と飾磨、それから空条さんと宝田さんの四人で飲んでいる。みんなで買い物に行って食べ物や酒を買い込んで来たのだが、持ち込んだ食べ物や飲み物は尽きてしまい、空条さんがデリバリーの食べ物と酒屋に注文してお酒を配達してももらった。


「多野くん、グラス空いてるよ?」

「ありがとう」


 俺のグラスに空条さんが白ワインを注いでくれると、正面に座った飾磨が三分の一くらい酒の入ったグラスを俺に向けて唇を尖らせる。


「くぉら、多野~。千紗ちゃんにお酌してもらうなんてズルいぞぉ! 千紗ちゃん、俺にもお酌して~」

「まだグラスに残ってるでしょ?」

「これで空いたぞ~」


 空条さんの指摘を聞いた飾磨は、残っていた白ワインを一気に飲み干して、空になったグラスを空条さんに向かって突き出した。かなり良いワインだろうに、一気に飲み干してしまうなんてもったいない。


「千紗ちゃんお酌して~」

「はいはい」


 空条さんはめんどくさそうにボトルを傾けて飾磨のグラスにワインを注ぐ。そんな適当さ溢れるお酌でも、酔っている飾磨はご機嫌そうだった。


「千紗ちゃんみたいな可愛い子にお酌されて、奈央ちゃんみたいに可愛い子とご飯食べられるなんて俺は幸せ者だなぁ~。なあ、多野~」

「そうだな。でも、あんまり飲み過ぎるなよ?」

「大丈夫だって~。俺はどんなに酔っても気が付いたら家で寝てるのが自慢なんだぞ?」

「途中で気を失ってる時点で問題だ」


 すっかり出来上がっている飾磨はワインを飲みながら美味しそうにピザを頬張る。その楽しそうな飾磨から視線を外して俺もピザを手に取ると、隣に座る空条さんがニコッと微笑んで俺を見た。


「多野くんって細いのによく食べるよね」

「そうかな? 自分ではそんなに食べてる気はないけど」

「もりもり食べるから見てて可愛いなって思う」

「可愛い?」


 凛恋からはよく可愛いと言われるが、凛恋以外から言われるのは珍しい。


「うん。ついつい餌付けしたくなっちゃう」

「フゴッ!」


 楽しそうに笑った空条さんが俺の口にフライドチキンを押し付ける。日頃はこんな行動を空条さんはやらないから、空条さんも酔っているのは確かだ。


「多野くん、どんどん食べてね」

「ありがとう」


 空条さんの酔い方は凛恋と似ていて、常にニコニコと陽気に笑うようになる。飾磨みたいに面倒くさく絡んでくる酔い方じゃないから良い。ただ、空条さんに限らず大抵の人が酔うと警戒心が薄れてしまう。だから、色々と目のやり場に困る。


 あひる座りをしている空条さんが動く度に、短いスカートの裾が捲れて太腿のほとんどがさらけ出されている。流石に下着までは見えていないが、真横に居るから落ち着かない。

 今頃、凛恋は希さんと家でパーッと宅飲みをしているはずだ。凛恋も飲むと警戒心が薄れてしまうから、希さんと二人きりで飲んでいると安心だ。万が一にも、俺以外の男が凛恋のパンツを見ることがあってはならない。


「二人と違って、多野くんはあまり酔っても変わらないね」


 空条さんに押し付けられたフライドチキンを食べ終わると、宝田さんが俺、飾磨、空条さんの三人を見比べてクスクス笑って言う。俺はその宝田さんに、首を傾げて聞き返した。


「そういう宝田さんも、少し顔が赤いくらいで変化がないように見えるけど?」

「それよく言われる。自覚ないけど結構お酒に強いみたい。でも、多野くんも酔ってないよね」

「俺はまあね」


 宝田さんに自分のグラスを示して俺はそう濁した。

 俺は酔うと若干のネガティブが出てしまうことがある。だから、高校時代の付き合いがある凛恋達や家族の前以外では飲む量をセーブしている。そのお陰で、俺は面倒を掛けるまで酔っていない。


「そういえば、多野は世間から叩かれてなんで平気だったんだ?」

「ん?」


 ふらふらと揺れている飾磨が、赤ら顔で屈託ない笑顔を浮かべて尋ねる。そのあまりにも自然な流れに、俺は一体何のことだか分からない。


「飾磨ッ! 多野くんに聞かないでって言ったでしょッ!」


 突然、真横からその怒鳴り声が聞こえて、怒鳴り声を上げた空条さんを見る。空条さんは、テーブルに両手を突いて飾磨を鋭い目で睨み付けていた。


「もういいと思うけどなぁ~」

「良くないッ!」

「ちょっ! 空条さん!?」


 すっかり酔っている飾磨は、いつにも増して軽薄さに拍車がかかっている。そのせいで、怒っている空条さんの怒りを逆なでしているようにしか見えない。ただ、なぜ空条さんが怒っているのか俺は分かっていない。


「二人共、飲み過ぎだよ」


 揉める二人を宝田さんがたしなめると、空条さんはグラスをテーブルの上に置く。


「ごめん、ちょっと飲み過ぎたみたい。ベランダに出て覚ましてくる」


 空条さんは立ち上がってベランダへ出て行く。が、飾磨は空条さんではなく俺に視線を向ける。


「多野のせいで千紗ちゃんが怒っちゃっただろ?」

「いや……俺は何もしてないだろ。明らかに飾磨の言葉で怒ってたじゃないか……」

「俺は多野に聞いただけだぞ? あんだけ週刊誌とかテレビに叩かれてさ。まるで、炎上した芸能人みたいだっただろ? そんなことになったら、普通は精神的に病むだろ? それなのに平気そうな顔をしてるから何でだろうなって思ってさ~」

「ああ、そういうことか。……まあ、病みはしなかったけど、凹まなかったわけじゃないぞ。周りのみんなに迷惑を掛けたし、特に凛恋には物凄く迷惑も心配も掛けた。だから、俺のせいで申し訳ない気持ちもある。だけど、俺の周りに居てくれる人は、俺がそう思うことをするなって言ってくれる人ばかりだから救われたのもある。凛恋はもちろん、俺の周りの人達が居なかったら、俺は潰れてたかもしれないな、今思うと」

「なるほどな~」

「それで? 空条さんが怒ったのは?」

「多野には週刊誌の話はするなって週刊誌に多野の記事が出た時から言われてたんだよ。でも、もう時間経ってるし良いかなって思ったんだけどさ~」


 つまり、空条さんはマスコミに追い回されていた頃の話をすると俺が悲しむと思い、その話題に触れないようにしてくれていたということだ。空条さん達にも気を使わせてしまっていたのは申し訳ない。


「宝田さん、気を使わせてごめん」

「ううん。多野くんは何も謝らないで」


 横に首を振ってそう言ってくれる宝田さんから飾磨に視線を戻すと、飾磨はワインを飲みながらニヤッと笑った。


「俺は気を使ってないからお礼なんていらないぞ~」


 その飾磨の軽い言葉と態度自体が、俺に深く物事を考えさせないようにという気を使っているのだろう。


「俺もちょっとベランダに出てくる」


 俺は立ち上がって空条さんが出たベランダに恐る恐る出る。すると、手摺りに手を置いてベランダから見える街を見る空条さんの後ろ姿が見えた。


「多野くん……」

「空条さんもう寒くなってきてるんだし、外に居ると風邪引くよ」

「うん。もう少ししたら戻るから」


 返事をしたものの戻る気配のない空条さんの隣に並ぶと、空条さんは視線を落としながらもベランダの外を見続ける。


「昔から、父親の仕事で妬まれてきたの。もちろん、仲良くしてくれる友達は私の家のことなんて気にもしなかったけど、他の特に話したこともない人達はみんな私をお金持ちの家の子としか見なかった。だから、多野くんのことをよく知らない人達が多野くんのことを悪く言うのが許せなかったし、そういう話を聞かされたくないと思う気持ちも分かるから」

「ありがとう。空条さんが気を使ってくれたお陰で、俺も大学に行きやすかった」

「それで、飾磨にも話さないでって言ってたのに……」

「良いよ別に。それでずっと気を使われ続ける方が嫌だ」


 俺は首を振って、これ以上、空条さんが俺に気を使わないようにそう言った。

 空条さんは家庭のことで周りから羨ましがられ、そこから嫉妬を買った過去があるらしい。それを、俺の母親の件で思い出したようだった。


 いつだって他人は他人に興味がない。だから、他人は他人を知ろうとはしない。そのせいで、他人は他人に対するイメージを、他人から聞いた情報でしか判断しない。

 誰かが空条さんを『金持ちを鼻にかけたやつ』なんて話をしたら、空条さんが実際にそうではないと知っている人以外は、間違って広まったイメージの方を事実だと誤認する。俺もそういう状況に巻き込まれたことは何度もある。規模の大小はあるが、それこそ物心付いた頃からそうなのだ。だからきっと、空条さんが心配しているほど俺は傷付いてはいない。


「多野くんは私の大切な――……大切な友達なの。その多野くんに傷付いてほしくなくて」

「空条さん、俺は大丈夫だから」

「気を使うのは悪いことじゃないよ。だって、大切な友達が傷付かないようにしようって考えることは間違ってないと私は思う」

「ごめん。空条さんを間違ってるなんて言うつもりはなかったんだ。ただ、俺のために空条さんが気を遣う必要なんてな――」

「私にとっては大切なことなの。あの、新入生交流会で見た多野くんが印象的だったから」

「新入生交流会の時の俺?」


 空条さんの話を聞いて、俺が入学する前に開かれた新入生交流会のことを思い出す。あの時は、確か初めて飾磨に声を掛けられて面倒だった記憶しかない。


「みんなの和から外れて壁際に立ってる多野くんは、失礼なことを言うって分かってるけど……全然一人でも寂しそうじゃなかったの。それが、ずっと印象に残ってる」

「まあ、中学でも高校でも、入学の時はいつも一人だったし、その方が楽だって思ってるから」


 俺はそう言いながら、自分が他人から寂しいとか冷淡とか思われることを言っている自覚はあった。そして、きっと普通の意味での人間性や協調性が欠如していると思われるであろうことも。でも、それをあえて口に出来たのは、多分俺の人間性と協調性が欠如しているからという理由しかないのかもしれない。だけど、それを聞いた空条さんの表情は酷く辛――寂しそうだった。


「私は沢山の人に嫉妬されて疎まれてきた。でも、私は決して一人じゃなかったし、一人になることが凄く寂しかったし悲しかったし辛かった。家族は当然私を味方してくれたし、私は小中高で一貫校だったこともあるけど、ずっと同じ友達と一緒に居られた。その家族や友達が居たから、私は今まで潰れずに生きて来られたと思ってる。それは裏を返せば、私は家族や友達が居なかったら絶対に今まで生きられてない。でも……私が新入生交流会で見た多野くんはそうじゃなかった。だから、ずっと気になってたの。きっとあの人は人と一緒に居る楽しさを知らないんじゃないかって」


 そう言った空条さんは、そう言い終えた後に頭を横に振って否定する。


「でも違ったの。多野くんにはもちろん家族が居たし、八戸さんや赤城さん、他にも沢山多野くんを支えてくれる人達が居た。もしかしたら、私を支えてくれた人の数よりもずっと沢山の人が多野くんには付いてくれているかもしれない。でも、おかしいの……どうしても多野くんを見てると、他人に対して無関心に見えて」

「俺は他人には無関心だよ。それに、俺から見て他人はみんな俺には無関心なものじゃない?」

「確かにそう。私が他人だって思う人に私は関心を向けないから。……でもね、おかしいことを言ってるのは分かってるんだけど…………どうしても多野くんを見て無関心になれなかったの」

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