【一九二《再体験》】:一
【再体験】
先日、俺のパソコンのファイルが消された事件について進展はない。本当は、俺が話を聞いていないだけであって進展はあったのかもしれないが、俺が出来ることの範ちゅうからもう離れてしまった話だ。
あれから、俺はパスワードは変えたし少しでも席を離れる時でも絶対にスリープモードにするようにした。その甲斐もあってか、二度目の被害は俺も他の編集さんにも起きていない。ただ、俺の周りでは少し変化が起こった。
御堂さんの俺に対する当たりが明らかに強くなったことだ。
発端が何だったのかは分からない。でも、ファイルの削除が起きた後から、編集部で顔を合わせる度に御堂さんは、何かのイライラを解消するための八つ当たりなのか、俺へ嫌がらせをしてくる。
俺は編集補佐で雑用をやっているが、それは編集部として必要な雑用だけだ。でも、御堂さんは俺をまるで自分の使いっ走りのように扱う。
コンビニに行って食べ物や煙草を買って来いなんて話を、御堂さんは俺にしてくる。
当然、俺は毎回それを断る。俺は御堂さんの召し使いでもなんでもないから、そんなことをする義理はないからだ。だが、その度に御堂さんは不機嫌な顔で俺を見下したような目で言う。
インターンが生意気言うな、と。
そういう、使いっ走りのような扱い以外にも、廊下ですれ違う時に肩をぶつけてきたり、何か作業をしている時に後ろから突き飛ばしてきたりする。もちろん、他の編集さんが見ていない場所でだ。
そんな嫌がらせは小学生の時以来な気がする。だから、嫌がらせにイライラするよりも、子供みたいな御堂さんの嫌がらせに嫌気が差していた。
やっぱり、どうでもいい人からは無関心で居てもらった方が楽。その考えを、俺はここ最近で再認識していた。
「多野、ちょっと来い」
俺がいつも通りパソコンを睨み付けて資料作成をしていると、隣に御堂さんが立って俺を見下ろしながら言う。御堂さんに個人的に声を掛けられて良いことがあった試しがないが、ここで無視をすると御堂さんと同レベルの人間になってしまう。
話し掛けてきた御堂さんに俺が返事をしようとすると、俺が返事をする前に平池さんの声が聞こえた。
「御堂、多野くんは作業中でしょ。多野くんの邪魔しないで」
平池さんは鋭く視線を御堂さんに向けて、明らかに敵意の感じられる言葉を御堂さんへ向けた。
俺のファイルが削除されたことを編集部で知っている数少ない人の一人である平池さんは、俺のファイルを削除したのは御堂さんだと思っている。その認識は俺も田畠さんも同じだが、平池さんは俺と田畠さんとは違い、御堂さんに対して感情的になっていた。
平池さんは姉御肌というか、年下に対して面倒見が良い人で、俺のこともからかいはするものの可愛がってくれている。そのせいか、ファイルを削除された俺よりも、俺のファイルが誰かに削除された強い怒りを感じている。そのせいで、そのファイル削除の犯人かもしれない御堂さんに対しての目が厳しくなっているのだ。
「平池さん大丈夫です。今、少し休憩しようと思ってたんで」
明らかに棘のある言葉を御堂さんへ向ける平池さんを落ち着かせるように言って、俺は椅子から立ち上がって御堂さんが歩き出すのを見る。
御堂さんが俺を嫌っているのは分かり切っている。そんな御堂さんが俺に良い話をするとは思えない。でも、あそこで断るよりも、どんな話でもはいはいと適当に頷いて聞き流してやる方が揉め事も起きない。
自販機コーナーに歩いて行った御堂さんは自分の分の缶コーヒーを買って、ベンチに座って缶コーヒーを開けて飲むと、俺を見上げて口を開いた。
「今度、大学の友達と飲み会をすることになった」
「そうなんですか」
いきなり世間話を振られて、俺は無難にそう答える。
俺は御堂さんと世間話をしたいなんて思っていない。自分のことを嫌いだとはっきり分かっている相手に対して、無難に接するということは出来ても、仲良く接することは出来ない。それにそもそも、御堂さんの方が俺のことを嫌っているのだから、御堂さんも俺に世間話をしようなんて思っていないはずだ。だから、本題は別にあるに決まっている。
「だからお前、女を四人見繕え」
「は?」
適当に相づちを打って聞き流して、あわよくば出来るだけ早く終わるようにしようと考えていた俺に、御堂さんの予測出来ない言葉が掛かる。
今この人、俺に女を四人見繕えと言わなかったか?
「聞こえなかったか? 今度の日曜、女を四人連れて来い。場所は決まったら教える。女を連れてきた後は帰っていい」
「いや、言ってる意味がよく分からないんですけど?」
さも当然のような口振りで話す御堂さんに、俺は呆れを通り越して思わず小さな笑いが出てしまう。いったい、どういう思考結果と話の筋道を立てたらそういう話になるのだろう。
「男四人で飲むなんてつまらないだろ」
「でもこの前、飲み会されてる時に女性の方いらっしゃいましたよね? その人達と飲みに行けば良いんじゃないですか?」
俺は御堂さんの話をまともに聞く気なんて元々無かった。しかし、御堂さんの女性を自分達の飲み会を盛り上げるための存在だと言っているような言い草が気に食わず、つい反論をしてしまう。
「どっかの馬鹿が怒鳴り込んでくるから着拒されて連絡取れなくなって、俺はその責任を取らされて迷惑してんだよ」
どっかの馬鹿。それは帆仮さんのことを指している。そして、その表現の仕方に、俺は御堂さんに対して更に腹が立った。
帆仮さんが御堂さんの参加していた飲み会があった店にたまたま居たのは、御堂さんも帆仮さんもお互いに悪くない。それは、運が悪かったという話で済まされる話だ。だから、御堂さんが責められることもないが、御堂さんから帆仮さんが馬鹿呼ばわりされる筋合いもない。
「それでなんで俺に女性を紹介しろという話になるんですか?」
俺は、視線を真っ直ぐ御堂さんに向けて、御堂さんを非難する意図を含ませて言葉を返す。
帆仮さんが馬鹿呼ばわりされる筋合いがないことと同じように、俺が御堂さんに女性を紹介する筋合いも全く無い。たとえ筋合いがあったとしても、俺は御堂さんに俺の知り合いを紹介したいとは思わないが。
「は? お前、俺より年下だろうが。塔成大のくせして年功序列って言葉を知らないのか? それに、俺は社員でお前はインターンだ。どう考えても俺の方が立場が上だろ。下っ端は上の言うことをはいはいって聞いてるだけで良いんだよ」
御堂さんが鼻で笑って俺を見上げて言う。俺は御堂さんより年齢が年下の上にインターンシップで来ているだけの人間だから、年上で正社員の御堂さんの命令を聞けという話らしい。どの方向から吟味しても、至極非常識な話としか言いようがない。でも、御堂さんの方には全く悪びれた様子はなかった。
「レディーナリーのあの可愛いモデル二人は絶対に連れて来い。俺の友達の二人が会いたがってる。残りはこの前の飲み会に居た二人で良い。俺はどっちかって言うと、地味な方よりも派手な方が良い」
凛恋と希さん、それから空条さんと鷹島さんを紹介しろと平然と語っている御堂さんの話を、俺はもう全く聞かないと意識を閉じようとした。しかし、その俺の御堂さんに対する意識を閉じる前に、御堂さんは口元を歪めて不敵に笑った。
「四人にはそのつもりで来いって伝えておけよ。こっちは色々とストレスが溜まってるんだ」
「俺の彼女と親友と、大学の友達二人を御堂さんと御堂さんの友達に紹介しろ。そういう話ですか」
「そんな簡単な話もすぐ理解出来ないなんて、塔成大も底が知れて――」
「お前、もう俺に二度と話し掛けてくるな」
俺はそれだけ言って、御堂さんが言葉を何か発する前に早歩きで編集部に戻って自分のパソコンを開く。そして、いつもよりも荒く強くキーボードを叩いた。
ふざけるな。何が、女を四人見繕えだ。何が、年功序列だ。何が……何がそのつもりで来いだッ!
俺は御堂さんの薄汚い言葉を思い出し、心の中で反吐が出そうなほどの不快感が溢れる。
何の義理があって、俺が御堂さんの休日の飲み会に参加する女性を紹介しなければならないんだ? 何の理由があって、俺の凛恋と親友の希さんと、大学の友達の空条さんと鷹島さんを、あんなクズ野郎に紹介しないといけない? 俺にはそれが一ミリも理解出来なかった。
「多野くん? あいつに何か言われた?」
「いえ。何も言われてません! ――ッ!? 帆仮さん、すみません! そういうつもりはなくて!」
隣から声を掛けてくれた帆仮さんに、俺は視線も向けずについ強い言葉を返してしまう。そして、帆仮さんに当たってしまったことを後悔してすぐに頭を下げる。
「ううん。でも、今日ちょっと帰りに飲もうか。凛恋ちゃんには連絡しておいて」
「……はい」
俺は帆仮さんの目を見て失敗したと思った。帆仮さんは怒っているわけではない。むしろ俺のことを心配してくれている様子だった。でも、心配されて飲みにまで連れて行かれたら、御堂さんから話されたことを帆仮さんに話さなければいけない。それを話したら帆仮さんに嫌な思いをさせてしまうし、それよりも帆仮さんの怒りに火を付けて大事になりかねない。
休日にたまたま俺と帆仮さん、そして御堂さんの三人が同じ店に居た時のトラブルは、確実に帆仮さんの口から編集部中に広まっている。俺はそれを直接聞いたわけでは無いが、トラブルがあった後から明らかに編集部の雰囲気は変わった。
話を広めたというのはあまり良いことではないと思う。でも、女性のネットワークはそういうものだ。昔から、どの年代でも女性のネットワークは伝達が速く、そして恐ろしいものであるのは変わらない。
そんな状況のレディーナリー編集部に、さっきの御堂さんの話が広まれば、もっと編集部の雰囲気は悪くなってしまう。しかし、帆仮さんは明らかに俺が御堂さんと揉めたという確信を持ち、それを俺から聞き出そうと飲みに誘っている。そんな帆仮さんを上手く躱しきれる自信は無い。
俺がどうしたものかと考えていると、突然座っている椅子に衝撃が走って俺はバランスを取るためにデスクの縁に手を突いて体を支える。その直後、俺の後ろを通り過ぎた御堂さんが、俺を睨みながら自分の席に座った。そして、俺の隣に居た帆仮さんが、激しい音を立てて御堂さんのデスクに両手を叩き付ける。
「ちょっと御堂! 多野くんに謝りなさいよッ!」
「なんですか?」
デスクに両手を突いて御堂さんに詰め寄る帆仮さんが声を荒らげる。その帆仮さんの声に、編集部で仕事をしていた全員が俺達の方に視線を集中させる。
「なんですかじゃないわよ! 今明らかに多野くんの椅子を蹴ったでしょ! 何子供みたいなことしてんのよ!」
「蹴った? ぶつかったの間違いでしょ?」
怒鳴る帆仮さんを座ったまま見上げた御堂さんは、鼻で笑って椅子の背もたれに背中を付ける。その御堂さんの態度に、俺は激しく帆仮さんの堪忍袋の緒が切れる音を聞いた。
「はあぁッ!?」
「帆仮さん落ち着いてッ!」
「はぁっ……」
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