【一八三《怪異》】:三

「……そう」


 古跡さんは一言そう言った。でも、その『……そう』を聞いて分かった。古跡さんは察してくれたのだと。そして、何も言わなかったが、隣に居る帆仮さんも同じように察してくれた様子だった。


「気付くのが遅くなってごめんなさい。こんなことだったら、撮影のスタッフは女性だけにしたのに」

「いえ……そんなことまで迷惑を――」

「多野。仲間の大切な人が傷付かないように配慮することを、私達は誰も迷惑だなんて思わないわ」

「すみません」


 俺のせいでかなり暗い雰囲気にしてしまった。しかし、俺にそれを盛り上げるほどの社交能力は無い。


「暗い話にしてしまってごめんなさい。話題を変えたいんだけど良い?」

「は、はい」


 古跡さんに返事をするとラーメンが運ばれてきて、古跡さんはニッコリ笑って割り箸を割る。


「伸びないうちに食べながら話しましょう。ぶっちゃけて言って良いわ。二人から見て新人三人はどんな感じ? 今日まで見てきて」

「新人三人ですか……」


 古跡さんに聞かれて、俺は田畠さん達がレディーナリー編集部に配属されてきてからのことを思い返す。


「そうね、まずは田畠は?」

「田畠さんは真面目ですね」

「うんうん、それに勉強熱心。三人では一番仕事を覚えるのが早いです」


 俺の感想の後に、頷きながらスープを飲む帆仮さんが答える。俺は、その帆仮さんの答えに付け加えるように言葉を続ける。


「ただ、真面目過ぎて融通が利かないところもありますね。なんか、編集部に来たばかりの俺を見てるようで……。多分、全体の仕事の流れを理解したら問題なくなるとは思うんですけど」

「なるほどね。結構柔軟な対応する必要がある場面は多いし、そういう場面に遭遇しそうな時は注意して見た方が良さそうね。じゃあ、次は平池は?」

「平池さんはとりあえず明るいですね。やっぱり雑誌の編集をやりたくて入って来てるからか何事にも積極的かつポジティブに取り組んでて。ただ、ポジティブ過ぎて向こう見ずなところもあるみたいですが」

「でも、一緒に仕事をしてて気持ちが良いよね。ファッションが好きみたいでうちの雑誌以外に毎月色んな雑誌を読んでるみたいで、流行のアンテナは敏感そうです。本人のファッションセンスも良いですし」

「ありがとう。じゃあ、最後は御堂についてはどう?」

「御堂さんは~……えーっと……」


 俺は御堂さんについて尋ねられて思わず言い淀んでしまう。それは、あまり御堂さんに対する印象が薄いからだ。

 田畠さんと平池さんは、仕事中に分からないことを聞かれることが多々あって話す機会も多いし一緒に仕事をする機会が多い。ただ、御堂さんとはまともに話したことがない。しかし、言い淀んだのはそれだけが理由じゃない。でも、その理由を口にはしなかった。その理由を話せば、仕事上ではなく御堂さん個人に対する話になってしまいそうだったからだ。


「すみません。まだ、御堂さんとまともに話したことなくて。仕事も一緒にする機会がほとんどないせいで印象も薄くて。これと言って、何か言えることはないです」

「そう……。同じ男同士だし、話しやすいとは思うんだけど」

「すみません。今後はもう少し交流を持つようにします」


 俺が無難な答えを返すと、古跡さんは視線を帆仮さんに向ける。


「じゃあ、帆仮は御堂についてどう?」


 古跡さんが御堂さんの印象を帆仮さんに尋ねると、帆仮さんは……酷く渋い顔をして眉をひそめた。


「……はっきり言って良いですか?」

「遠慮しなくて良いわよ。率直に、帆仮が思ったことを言って良いわ」

「じゃあ遠慮無く……ウザいです」

「「…………」」


 俺と古跡さんは、オブラートに全く包まれる気のない劇薬のような言葉に思わず言葉を失う。

 ウザいという言葉を選択した帆仮さんは、何度瞬きをしてから見ても、変わらず渋く苦々しい顔をしていた。


「帆仮、御堂と何か揉めたの?」

「揉めたと言うか。仕事中に雑談が多いんですけど、全部自慢話で。立国大出身の話から始まって、ゆくゆくは文芸の羽村さんみたいに業界を背負う人間になりますって」

「まあ、志があることは良いことだと思うけ――」

「それと、三人に企画書の書き方を教えて試しに一週間で書かせたんですけど、上げてこなかったのあいつだけで。理由を聞いたら、プライベートは仕事しないんでって言われて。それで、仕事中に少しずつやれる時間はあったでしょって叱ったんですけど、今度はパワハラかって言われて」

「なるほど、ね……」


 古跡さんは帆仮さんの話を聞いて、随分困ったような複雑な表情を浮かべる。

 帆仮さんの話は、受け取る側によって見解が異なりそうな話だった。

 企画書を書く、その行為自体は業務だ。だから、就業時間内にやるべきことであって、御堂さんが言うように就業時間外にやることではない。しかし、この話には帆仮さんがあえて話さなかったことがある。


 帆仮さんは、誰かに指示をされたわけじゃない。古跡さんや他の先輩編集者に企画書の書き方を教えろと言われたわけではなく、先輩編集者として企画書の書き方に慣れておいた方が良いと思ったから三人に教えたのだ。しかも、帆仮さんは自作のマニュアルも付けていたのだ。そのマニュアルの作成は仕事が終わり、帆仮さんが帰宅した後にされたものだ。つまりは、帆仮さんは三人のためにプライベートの時間を割いたことになる。


 もちろん、帆仮さんが業務命令ではなく厚意から教えようとしたことや、企画書の作成マニュアルがプライベートの時間を割いた自作だなんて一言も言わなかった。だから、御堂さんは帆仮さんの厚意を全く知らない。しかし、それにしても御堂さんの対応は酷いとしか言えなかった。


 帆仮さんの言ったように、帆仮さんの指示した企画書を上げるまでに一週間の猶予があった。

 一週間の期限が長いか短いかは俺では判断しかねるが、帆仮さんは企画書の書き方を教えようとしたのだから、完璧な企画書なんて求めていなかったはずだ。だから、極端な話、恐ろしくつまらない企画だったとしても、その点からどうやったら面白くなるか教えられたはずだった。でも、なんとか企画書を持ってきた田畠さんと平池さんとは違って、御堂さんは企画書を書こうともしなかったのだ。


 企画書を書かないからと言ってやる気がないとは言えない。でも、新入社員三人のうち二人が企画書を書いてきて、たった一人だけ何も持って来なかったというのは、やる気がないと判断されても仕方ない。少なくとも俺は、そう思った。


「多野が言い淀んだのはこれが理由だったのね」

「……すみません。帆仮さんの言ったことは知ってました。でも、俺の口から言うべきではないと思って」

「良いわよ。流石に多野でも、人をウザいとまで私に言い切れるほど付き合いがあるわけじゃないし。それにしても、帆仮は相当お冠みたいね」

「当たり前ですよ。企画書はうちで働くなら必ず書かなきゃいけないもので、仕事はそこから始まるから早めに慣れておいた方が良いって思ってたのに。田畠さんと平池さんは出来は良くなくてもちゃんとやってきたんです。それなのに、あいつ」


 完全にあいつ呼ばわりが定着した御堂さんのことを思い返した帆仮さんは、手に持ってる割り箸をミシミシと言わせながら唇を噛む。


「業務を業務外に強要するのはもっての外。でも、一週間って期間を考えるとね……」


 流石に、古跡さんも言葉を淀ませる。

 新入社員の三人は、当然新入社員であるから出来る仕事は圧倒的に少ない。今は、仕事が出来るように勉強する期間だ。ぶっちゃけ、今の時期の新入社員が常に時間に追われているほど仕事が立て込んでいる状況はない。教育担当の編集さんに仕事のダブルチェックの結果待ちをする時間が腐るほどあったのは明らかだ。もしその時間に毎回少しずつやっていたら、企画書は一週間で書き上がったと思う。


「多野。改めて聞くけど、御堂はどう?」

「関わることが少なくて印象があまりないのは同じです。ただ、帆仮さんの話を聞いて実際にその場面も見てるので、良い印象はありません」

「そう。御堂の方は少し早めに手を打っておいた方が良さそうね。二人ともありがとう。でも、帆仮がウザいってハッキリ言った時はビックリしたわ」

「それは俺もです。もっとオブラートに包むかと……」


 俺と古跡さんが互いに頷いて言うと、横から真っ赤な顔をした帆仮さんが俯いて呟く声が聞こえた。


「帆仮さんがはっきり言って良いって言ったから言ったのに……」




 大学の講義が終わりいつも通りレディーナリー編集部に行くと、自販機コーナーのベンチに一人で座る御堂さんが目に入った。

 軽く挨拶をして通り過ぎようかと思ったが、この前のラーメン屋で古跡さんに交流を持つようにすると言ったし、他に人が居ない今は話をするチャンスかもしれない。そう思って、俺は御堂さんの前で足を止めて頭を下げた。


「お疲れ様です。休憩ですか?」


 特に話題もない俺はそう話し掛けるしかなかった。すると、俺に視線を向けた御堂さんは、俺を見て目を細めて言った。


「お前、年上に馴れ馴れしく話し掛け過ぎ。ちょっと編集部で長いからって調子乗ってんじゃねーよ?」


 返ってきた言葉に、俺は一瞬言葉を失う。そして、一瞬にして御堂さんに対する印象が俺の中で固まった。だが、俺はその印象を表に出さないように気を付けながら、御堂さんに首を横に振って否定する。


「いや、そういうつもりは全くありません」


 本来なら、御堂さんのような人間とは関わらない方が良いに決まっている。しかし、インターン先で一緒に働く人なのだから、最低限、無難に仕事が出来るだけの関係は維持しておいた方がいい。そうしておかないと、俺ではなく他の編集さん達に迷惑が掛かってしまう。


「俺が立国大出身だからって馬鹿にしてんだろ。親の七光りで入れてもらったやつに偉そうな態度取られて不愉快だ」

「…………」


 立ち上がった御堂さんは、飲んでいたジュースの缶をゴミ箱に捨てて俺の横を通り過ぎながら俺の耳元で囁いた。


「田畠も平池も知ってんぞ。お前が汚職議員と詐欺師で売女の息子だって」

「そうですか」


 御堂さんから向けられた言葉に、俺は心の中でため息を吐きながら、何も言い返さずに飲み込む。

 御堂さんとは出会ってまだ間もない。それなのに、俺にそこまで言うということは、相当俺のことが気に入らないのだろう。


 御堂さんはさっき「立国大出身だからって馬鹿にしてんだろ」そう言った。でも、俺は立国大出身を馬鹿になんてしてないし、そもそも俺は他人の出身大学に興味は無い。


 確かに、立国大と塔成大を比べれば、塔成大の方が大学のレベルとしては上だと言われている。でも、それは世間が言ってるだけで、俺は立国大が格下だなんて言ったことも無ければ思ったこともない。


「そのすかした態度もムカつく。ちょっと編集部で気に入られてるからってでかい態度取ってると潰すからな。クソガキ」


 鼻を鳴らして歩き去った御堂さんの背中を見詰めて、俺は大きく息を吸ってからゆっくりと吐く。すると、御堂さんとすれ違って通路の奥から掛けてきた帆仮さんが、俺を見付けて笑顔で手を振るのが見えた。


「多野くんやっと来た! お願いしたいことがあるんだけど」

「分かりました。タイムカード押したらすぐに行きます」


 俺は心の中に淀むものをニッコリ笑って隠し、帆仮さんへそう言ってタイムカードを押しに歩き出した。

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