【一八三《怪異》】:二
「帆仮。どっかのお堅い企業みたいな進行は止めなさい。堅苦しい挨拶は無しよ。これから同じ本を作る仲間が増えたことを祝って乾杯!」
「「「乾杯!」」」
古跡さんの乾杯の音頭と共に、実に会社の新人歓迎会らしくないフランクな会が始まる。
「お? タイミング良いわね~」
乾杯が終わった直後に、予め頼んでおいた料理がテーブルに運ばれる。
「多野くん、飲み物と料理ありがとう」
「いえ。とりあえず、お疲れ様です」
「まだ先は長いけどね。お疲れ」
隣に座った帆仮さんに俺がウーロン茶の入ったグラスを持ち上げると、帆仮さんはクスッと笑ってビールの入ったグラスを軽く当てる。
「多野くんありがとうね。二次会のカラオケまで予約取っててくれて」
「俺は店くらいしか決めてませんからね。それくらいはやっておかないと」
「お店を決めるのが一番大変なんだから凄く助かった。多野くんは二次会来られる?」
「まあ、行っても良い雰囲気なら」
「来て来て。私だけだと不安だ――」
「まーた多野に頼ってるの?」
「「こ、古跡さん?」」
俺と帆仮さんが話していると、上座に座っていた古跡さんがいつの間にか背後に居て、俺と帆仮さんの間に座る。
「本当に、どっちが後輩か分からないわね」
「そ、そんな~」
「でも分かるわ。多野って妙に頼り甲斐があるのよね。見た目も雰囲気もボーッとしてるはずなのに」
おかしい。帆仮さんを古跡さんがからかう構図だったはずなのに、気が付けば俺が散々な言われ様をしている。
「そうですか? 多野くんって見た感じも身長高いし、正直見た目は私よりも年上って言われても分からないですよ?」
「帆仮は甘いわね。大人の女にしたら、まだまだ多野は子供よ。まあ、モテる男の素質は十分あるけど」
視線をテーブルの上に流し、後から店員さんが運んできた料理を見て古跡さんはニヤッと笑った。
「まず運ばれてきたのは、つまみになりそうで作るのが早い料理。その後に運ばれてきたのは、カルパッチョに刺身、それとシーザーサラダ。肉料理、魚料理、野菜料理をバランスよく出してる。それに、全部重くない。前菜にはピッタリね」
「確かに言われて見れば」
「それに、さり気なくサラダ用の小皿とトングを自分の前に移動させてる。あんだけ可愛い彼女が居るのも頷けるわね~」
ニヤニヤとしている古跡さんに脇腹を突かれながらも、俺はトングと小皿を手に持ってサラダの取り分けを始めながら話す。
「いや、サラダの取り分けは下っ端がやろうと思っただけですよ」
「そこが良いのよ。料理の取り分けって言うと女性がやるものってイメージがあるの。他の部の連中と飲みに行くと、そういうのは女性のやることって風潮がまだあるのよ。だけど、そこを男の多野が率先してやってるって言うのがポイント高いの」
「別に、俺はポイントなんて稼いでないんですけど……。どうぞ」
「そこがもっとポイント高いわね。下心ゼロでこういうことをする男なんてそうは居ないわよ? ありがとう」
俺が取り分けたシーザーサラダを受け取った古跡さんはニッコリと笑ってお礼を言った。
「多野くんって本当に気が利くよね。仕事でも困ったな~って時にひょこって顔出してフォローしてくれて」
「帆仮さんが言ってるのって、資料がないとか印刷紙が切れてるとかでしょ? 全部雑用の本分じゃないですか。褒められるようなことじゃないですよ」
「そんなことないよ。多野くんの絶妙なフォローで確実に仕事の効率が五割は増してる!」
真剣な表情でそう言い切る帆仮さんを見て、帆仮さんの持っているグラスを見る。ビールはまだあまり減っていないから酔っているわけではなさそうだ。
「ってことは、多野が居ない時の帆仮は五割仕事が遅いってことね。もうちょっと頑張りなさいよ」
「家基さん~、揚げ足を取らないで下さいよ~」
今度は横から家基さんが帆仮さんをからかう。そしていつのまにか、他の編集さん達も交じって帆仮さんをからかい始める。
俺は、その楽しそうな編集部のみんなを見ながら、たこわさを口へ運んでウーロン茶をグビッと飲んだ。
一軒目を出て二次会会場のカラオケ店に移動し、俺達はカラオケ二次会を行った。そこで俺は、すっかり酔いが回ったレディーナリー編集部のからかいの対象にされ、喉がかれるかと思うくらい歌を歌わされた。
カラオケ店の外に出た瞬間、酔いが回ってほんのり顔が赤い帆仮さんが目をキラキラさせて俺を見る。
「多野くんが歌が上手いなんて知らなかった! 私、危うく好きになっちゃいそうだったよ!」
「こら帆仮。どさくさに紛れて彼女持ちを誘惑しない」
「ゆ、誘惑なんてしてませんよ! 褒めてるだけです!」
先輩にからかわれる帆仮さんは、顔を真っ赤にしながら必死に否定する。すると、後ろから肩を叩かれた。
「多野、それと帆仮。この後付き合いなさい」
「は、はい」
「はい?」
俺と帆仮さんは解散した後、古跡さんに連れられて夜の飲み屋街を歩く。周囲にはすっかり出来上がった酔っ払いのおっさんや、女子会終わりの女性グループ、そして仲睦まじく腕を組んで歩く男女が見える。
「今から三人で三次会よ」
「三次会ですか?」
「そう。ここのラーメンが美味しいのよ」
古跡さんは俺と帆仮さんを連れて一軒のラーメン屋に入る。
味のある木目の内装で統一された店内は、素朴でホッと落ち着く雰囲気だ。
「二人共、今日の幹事お疲れ様。ここは私の奢りよ」
「ご馳走様です。丁度ラーメン食べたかったんですよ」
「帆仮は動き回ってて疲れたでしょうね。多野も遠慮せず好きな物を食べなさい」
「ありがとうございます」
席に座って正面に居る古跡さんを見ると、古跡さんは落ち着いた声で言った。
「二人の企画した記事が載った号、重版が決まったわ」
「重版!?」
古跡さんが何気なく言った話に、帆仮さんが目を丸くして聞き返す。しかし、重版、つまりは一度出版した出版物をまた印刷することなんて、出版業界では普通の言葉ではないのだろうか?
「多野、月刊誌で重版がどんだけ凄いことか分かってないでしょ。本来なら、最初に印刷した分だけよ。でも、今回は重版する必要があるくらい売れた。それに上としてはビックリすることがあったの」
「ビックリしたこと?」
「多野には言い辛いんだけど、男性からの問い合わせが多かったのよ。可愛い女の子が載ってるレディーナリーの号が本屋に売ってない、取り寄せ出来ますかって。それと、全国の書店からも問い合わせが多いみたい。今日、上に呼ばれて追加で刷るって言われたわ」
「そうですか。まあ、凛恋と希さんが載れば人気が出るって分かってましたし」
凛恋と希さんが載った号は、俺も当然貰った。
プロのスタイリストとプロのメイクアップアーティスト、そしてプロのカメラマンが、あの素質だけで可愛い二人を撮ったのだ、そりゃあめちゃくちゃ可愛かった。二人が載った号を栄次にも送ってやったが、めちゃくちゃ感謝された。その時に栄次に言われたのだ「お互い、ライバルがより増えそうだな」と。
「こっちは一切個人情報なんて出してないから安心しなさい。もしかしたら二人を知ってる人が見て話をするかもしれないけど、こっちから個人情報は絶対に出さない。うちも大手出版社だから、その手のことはしっかりしてるわ」
「ありがとうございます」
「多野。何か悩みがあるんじゃない? 八戸さんと赤城さんのことで」
「やっぱり、凛恋の彼氏として、希さんの親友として、不特定多数の男の目には触れさせたくなかったって言うのがあります。……まあ、主には凛恋の彼氏としてですけど」
凛恋と希さんの載った号を問い合わせた男性のうちに、純粋な気持ちで"ただ雑誌を見たい"というだけで問い合わせた人間がどのくらい居るだろうか? 俺は断言しても良いと思う。
そんな男は一人も居ない。みんな、凛恋と希さんを下心のある目で見たのだ。それが、俺としては嫌だった。
「多野の心配は分かってるわ。もし、上が二人にグラビアなんか打診して来たら突き返す。それに写真撮影の時には前の時みたいに私も多野も同席する。絶対に女性が嫌がるような写真は撮らせない。それにファッション誌とグラビア誌の撮り方の違いくらい、私よりもプロのカメラマンの方がよく分かってる。あくまでもうちのターゲットは女性よ」
「それは分かってます」
俺は古跡さんの話に頷きながら答えた。
古跡さんが凛恋と希さんの撮影の時に気を遣ってくれた上に、気を張ってくれたのは分かっている。だから、俺はただ見ているだけで良かった。でも、どうしても頭にチラつくのだ……羽村さんの顔が。
「……文芸の羽村さん、まだ買い物の時に居るんです」
「うそ……」
「あいつ……」
言おうなんて思っていなかった。でも、気付いたらそう言葉が出ていた。
「悔しいのもそうなんですが、単純に腹が立つんです。あの人の目に凛恋が触れてるのが。今回の雑誌も羽村さんの目に触れたわけじゃないですか。それに、羽村さんと同じように下心を持った全国の男性達に」
「確かに二人は魅力的な女性だから、多野の言うように下心を持って見た男性は居たと思う。でも、女性で二人の魅力的な姿を純粋に女性として素晴らしいと思った人も居るのよ? 私だって、大学時代のことを思い出して懐かしくなった」
「私は単純に綺麗な人とか可愛い人がおしゃれしてる姿を見るのが好きだから、凛恋ちゃんと希ちゃんの写真は素敵だって思ったよ」
「女性はそうなんですよ。でも、男は違うんです。どうしても純粋には見られないんですよ。そういうのを“男としては純粋”なんて言うとは思うんですけど……。ただ、凛恋も希さんも嬉しそうだったから。それが救いと言えば救いです」
凛恋も希さんもおしゃれが好きで、二人とも雑誌のモデルということに憧れがあったらしい。だから、心配している俺なんかよりも積極的にモデルの話を受けた。それに撮影の時も楽しそうにしていた。本当に、ただそれだけが救いだと言える。
「恥ずかしい話ですよ。結局のところは、自分の彼女が男の目に触れるのが嫌ってだけなんです」
「過度な独占欲は良いとは言えないけど、多野のそれは正常な反応じゃない? 誰だって自分の恋人に他人から下心を向けてもらいたくないとは思うものよ。それは男だろうが女だろうが関係ない」
「でも、仕事を――」
「バカね。もし仕事だからって割り切ったら、あんた彼氏失格よ。むしろ、私の話を聞いて今そうやって渋ってる多野が正常な反応よ」
「古跡さん……」
俯いた顔を上げると、古跡さんはお冷やの入ったグラスを傾けて一口飲む。ただ、その表情はまだ、俺の様子を窺うような表情をしていた。
「私が聞きたいのはもっと別の話よ。多野の悩みって、羽村のことじゃないでしょ。いや、羽村を含めた男性のこと。多野は八戸さんに男性が近付くことに気を張り過ぎてる。それはなんで?」
「すみません……それだけは言えないんです」
俺は自分が凛恋に近付く男性を徹底的に排除しようとする理由を言わなかった。それを言うためには、凛恋が受けた傷の話をしないといけない。それは凛恋が望むようなことじゃない。それに、同じ女性の古跡さんと帆仮さんも聞きたくない話だ。話したって、誰も良い気分にならない。だから、話さなかった。
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