【一八一《愛の存在証明》】:二

 大きくため息を吐いた優愛ちゃんは、目の前に置かれたアイスティーを飲む。俺は、優愛ちゃんからステラに向けてステラに尋ねた。


「ステラはルームシェアについてはどうなんだ?」

「凡人と凛恋の住んでるアパートに優愛も一緒に住めるなら私に断る理由はない」

「いや、ステラはルームシェアしたいのか? って話なんだけど」

「優愛は友達。凛恋も友達。凡人は私の大切な人。そんな人達の近くに居られることを嫌だと思うはずがない」

「そっか。ステラのお父さんとお母さんには相談した?」

「電話で好きにしなさいと言われた」

「そ、そうか」


 前に会った時はかなり過保護に思えたが、日本で一人暮らしさせるくらいだから、ステラの両親は放任主義なのかも知れない。それにしても、随分軽いノリに聞こえたが……。


「全く……私と凡人のデートの時間を削って話を聞いてあげたんだから感謝しなさいよ」

「お姉ちゃん、凡人さん、ありがとう。私、パパとママの説得頑張ってみる」


 優愛ちゃんの話を聞き終えて、俺はホッと息を吐く。すると、俺をジッと見ていたステラが凛恋に視線を向けて尋ねた。


「凛恋。これから凡人の家に行く?」

「行くわよ」

「じゃあ、私も行く」

「何でそこで、じゃあ私も行く、になるのか分からないわよ。ダメに決まってるでしょ」

「凛恋、凡人はみんなで分かち合うべきだと思う」

「分かち合うわけないでしょうが! 凡人は頭の先から足の先から心の端から端まで全部私のよ!」


 淡々とボケとしか思えない素を繰り出すステラに、凛恋はプリブリ怒りながら突っ込む。


「とにかく、私達はこれから大切な用事があるんだから。二人は二人で話し合って考えまとめてからママに話しに行きなさい。分かった?」

「はーい」


 優愛ちゃんの返事を聞くと、凛恋は伝票を掴み俺の手を掴んで席を立つ。


「凛恋、俺が払う」

「分かった。割り勘ね」


 ファミレスの食事代を割り勘で払って外に出ると、凛恋が俺の腕を抱いてしがみつく。


「ごめん。凡人何も頼んでないのに払わせちゃった」

「気にしないで良いって」


 凛恋はあそこで俺が払わないという選択をしないと分かっていたから、割り勘で妥協してくれたのだ。本当は、俺に払わせたくなかったのは分かる。

 凛恋と一緒にファミレスを出た後、俺と凛恋は真っ直ぐ家に向かって中へ入る。


 爺ちゃん婆ちゃん栞姉ちゃんは外出中で、家に居るのは俺と凛恋とモナカしか居ない。モナカは自分のお気に入りの場所で大抵まったりしているし、俺の部屋まで来ることはないだろう。つまり、俺と凛恋の二人きりだ。

 部屋に入るなり俺のベッドに寝転がった凛恋は、俺の布団に潜り込んでニッコリと笑った。


「凡人、おいでー」

「俺はモナカじゃないぞ」


 俺は凛恋にそう言いながら、手招きする凛恋に誘われてベッドへ潜り込む。すると、凛恋が俺に抱き付いて頬にキスをした。


「朝起きて凡人が隣に居ないとチョー寂しい」

「俺も凛恋が居ないと寂しい」


 互いを手繰り寄せるように抱きしめ合いながら言葉を交わし、俺と凛恋は吸い寄せられるように唇を重ねる。

 無音の部屋でベッドに寝転びながら優しいキスを続け、俺は凛恋の背中に回した手に力を込めた。それは、少なくない不安を感じたからだった。


 稲築さんと羽村さん。二人の人が凛恋に好意を寄せて、俺から凛恋を奪い去ろうとしている。

 凛恋が自ら稲築さんや羽村さんに行くなんてあり得ない。でも、それでも不安を感じないことは出来なかった。


「凡人、何かあった?」

「嫌な夢を見たんだ」


 俺がそう言うと、凛恋は背中に回した手に力を込めて言う。


「話して」

「……真っ白の部屋に姿見があって、その姿見に映ってる俺が言うんだ。俺じゃ凛恋を守れないって……俺は顔がいいわけでもないし、社会的地位も人より低い。だから、色んな人が凛恋を奪いに来るって」

「もう。何度も言ってるじゃん。凡人はチョーイケメンなの。それに身長が高くてスタイルも良いし、間違いなく世界で一番格好良い。誰がなんと言おうと凡人は私の運命の人なの。社会的地位とか勝手に他人が決め付けたやつでしょ? 私と凡人の愛に他人は入って来られないんだから全く意味無し」


 きっぱりとそう言いながら、凛恋は俺の頬を撫でて優しく微笑む。


「相変わらず凡人は心配性なんだから。でも、嫌な夢を見ると気持ちが落ちちゃうのは分かる。私も嫌な夢を見た時は気分が落ちちゃうし」


 頬を撫でていた手が頭に回り、凛恋の優しい手が俺の頭をそっと撫でる。


「でもね、私が何かあったって聞くまで話してくれないのは嫌だ」

「……不安なんだ。羽村さんが凛恋のことを奪おうとしてることが」


 言葉にした瞬間、言ってしまった後悔と、言ってしまった安堵が同時に押し寄せてきた。

 正面で俺を見ている凛恋は頭を撫でていた手を俺の頬の上に滑らせ、指先で俺の唇を撫でた。


「さて問題です。私が初めて付き合った彼氏は誰でしょう?」

「俺」

「正解。じゃあ第二問、私が初めてチューした人は誰でしょう?」


 突然始まったクイズに戸惑いながら答えると、凛恋は真面目な顔のまま次の問題を出す。


「俺」

「正解。第三問、私が初めてエッチした人は誰でしょう?」

「おっ、俺」

「正解。第四問、私が好きで好きで堪らなくて家族旅行に連れて行った人は誰でしょう?」

「俺」

「正解。第五問、私のパパママ公認で婚約してる人は誰でしょう?」

「俺」

「正解。凡人は凛恋検定全問正解の優等生です。だから、ちゃんとご褒美あげないとね」

「りっ――ンッ!?」


 布団の中で凛恋に上から覆い被さるように乗られ、上から強引に唇を塞がれる。

 熱く濃く深い凛恋のキスに全身の熱が一気に上がって、脳を溶かされて正常な思考が出来なくされた感覚に陥る。

 布団の中に籠もった凛恋の熱気が漂ってきて甘い凛恋の香りがする。その香りに混じって凛恋の汗の香りも漂い、そのせいでより一層冷静な判断をしようと思えない。


「何度不安になったって何度でも私が証明する。私の彼氏は凡人で私が大好きな人は凡人だけで、私がずっと一緒に居るのは凡人だけだって」


 唇を離した凛恋は、俺の上に馬乗りになったまま乱暴にシャツを脱ぎ捨て下に着ていたキャミソールを捲り上げる。そして、自分で背中に手を回してブラのホックを外した。


「不安になったら確かめる必要があるでしょ? 私が誰のものかって……」


 再び体を倒してキスをした凛恋の背中に、俺はボウッとした頭のまま、手を回して凛恋を手繰り寄せた。




 体が熱い。熱くて熱すぎて、今にも炎を上げて燃え上がりそうなくらい熱い。だけど、その熱に負けないくらいの強い衝動が自分を止められないほど突き動かした。

 冷めやらない熱に溶かされる恐れも感じず、俺は甘い吐息を漏らす凛恋を見下ろす。そして、ただ単に凛恋を好きな気持ちだけで抱き締めた。


「凡人っ……好き……大好きだから。凡人だけ、凡人だけが大好きだから」

「凛恋……俺も凛恋が好きだ。凛恋だけが大好きだ」

「絶対凡人以外に渡らないよ。私は凡人だけの私でしょ?」

「ああ。誰にも凛恋を渡したくない。誰にも……俺の凛恋を渡さない」


 俺は凛恋の上から凛恋の背中に手を回して凛恋を手繰り寄せようとする。しかし、凛恋は俺が背中に手を回す前に、俺の背中に手を回して俺を手繰り寄せた。


「凡人だって、私だけの凡人なんだからね? 絶対に私以外の女の子を好きにならないで」

「そんなことあるわけない」

「うん。でも、安心出来ないからずっと凡人に言い続ける。私以外の人を好きにならないでって。不安だから……ちゃんと証明してって」


 証明する前から解は出ている。証明する必要がないほど簡単な解だ。でも、それを丁寧に時間を掛けて、ちゃんと行動と言葉で証明すれば、それは単なる解じゃなくて理解出来るようになる。その理解は、何度繰り返しても同じだけ自分に自信をくれて、自分の中にある不安を解いてくれる。


 俺は、熱くて濃くて深く、長い長い時間を掛けて証明する。むしろ、その時間が永遠に続けば良いと、わざとその時間を長引かせながら証明する。

 俺と凛恋の間には揺るぎない愛があるのだと。誰がどうやっても壊せない、誰がどうやっても解けない、固く結ばれた愛が存在すると証明する。

 誰かに見せ付けるためじゃない。俺と凛恋だけが理解するためだけの証明。




 縁側に座り、足をパタパタ振って俺の腕に抱き付く凛恋は、自分の腿の上に乗ったモナカを撫でながら俺の頬にキスをする。


「チョー幸せ~」

「凛恋、いつもありがとな」

「お礼を言うのは私よ? 私だってそろそろ凡人に証明して欲しかったし」


 ニヤっと笑った凛恋は、俺の指に自分の指を絡めて握り、口の端に軽くキスをする。


「その証明って、なんか隠語みたいになっちゃったな」

「間違ってないじゃん。エッチするのは愛があるってことをお互いに証明し合うことでしょ?」

「まあ、そう言われると間違ってないのかな」

「それで? まだ話してないことがあるんでしょ?」

「…………」

「話し辛いことなのは分かってる。でも分かったでしょ? 私が何があっても凡人のことが好きだって。何があっても凡人から絶対に離れないって。私はさっき何度も凡人に証明した」

「…………こっちに帰ってくる前に、稲築さんがうちに遊びに来てた時があっただろ? その日に、家へ帰る途中に稲築さんと会ったんだ」

「あの、飛鳥に何か言われたって日?」

「ああ。あの日、稲築さんから俺は凛恋に付きまとってる羽村さんと同じって言われたんだ」

「……飛鳥のバカ。凡人はそんな人じゃないってちゃんと説明したのに」


 凛恋が握った手に力が籠もり表情は険しくなる。その凛恋の表情には確かに怒りを感じた。


「それで、凛恋と別れろって言われた。それで……稲築さんは凛恋を恋愛対象として好きで、女の自分の方が凛恋を大切に出来るって言われた」


 絞り出した言葉を言ってから凛恋の表情を見る。視線の先に移った凛恋は、モナカに視線を落としていて、目も泳いでいなくて真っ直ぐモナカを見下ろしていた。


「……凡人の話を聞いて納得したことがいくつかあるの。飛鳥が何度も家に泊まりに来てって誘うこととか、それと……そういう時に向けられる飛鳥の目がちょっと嫌だ――気持ち悪いって思うことが。今まではそれが何でかなんて理解出来なかったけど、今理解出来た。あの時の飛鳥の目は、女子のことをエッチな目で見てる男と同じ目だった」


 視線は泳がなくても、凛恋の心が動揺で揺れているのが分かる。そして、確かに……俺は凛恋から苦しさを感じた。


「言わないつもりだった。俺だけで稲築さんを諦めさせるつもりだったんだ。でも――」

「言って、私がショックを受けるのが嫌だったんでしょ? 確かにその……ショックだけどさ……良かった……」


 凛恋はポトリと目から涙の雫を落とした。良かったと言っているのに、全く良かったと思っているとは思えない悲しい表情。

 当たり前だ。良かったなんて思える話なんかじゃない。


「大学に行ってさ、初めて出来た友達だったの。それに、飛鳥も男の人が怖くて苦手で嫌いで話が合った。自分と同じ境遇の人が居るって安心感があった。それに、私よりも男の人を嫌いな飛鳥に、ちゃんと凡人みたいな良い男の人が居るって教えたかった。好きな人が出来るって、大切な人が居るって幸せだよって知って欲しかった。でも……私と飛鳥は違うんだね」


 自分と稲築さんは違う。その言葉は、もちろん恋愛対象にする人の違いも指している。だけど、それだけではない気がした。文字通り、自分自身ではないと言っているように思えた。

 世間一般的に男性恐怖症の女性が具体的な数どれだけ居るかなんて分からない。それでも、稲築さんは凛恋にとっては身近に居る貴重な同じ考えの持ち主だったのだ。ただ、実際は凛恋の持っているような“同じ考え”ではなかった。


 萌夏さんも凛恋と同じように男性に対して恐怖心を持っている。だけど、今、萌夏さんはフランスに居て凛恋の身近な場所に居ない。

 大抵の人は孤独を怖がる。大抵の人は自分と他人が同じであることで安心感を得る。


 俺は他の人より孤独に耐性があるし、自分と他人が同じであることに安心感は抱かない。でも、凛恋は俺みたいな特殊な人間じゃない。凛恋は素朴で正常な普通の女の子なのだ。だから、自分と同じ境遇だと思っていた稲築さんに心を支えられた部分があったのかもしれない。


「ごめん。俺がちゃんと凛恋のことを支えられたら……」

「違うよ……違う……凡人は私を支えてくれてる。誰よりも凡人が居ることが心の支えになってる。でも……飛鳥に……飛鳥に、騙されてたような気がして……そんなことを考えてる私のことが許せなくて……」

「凛恋……」


 俺は凛恋を強く抱き締める。

 間違いなく、稲築さんは凛恋を騙していた。あの人は、凛恋と恋愛関係になるために同性の友達という立場を利用して凛恋に近付いた。だけど……俺はそう思ったことを凛恋には言えなかった。


 俺が伝えたことで凛恋は十分に、十分過ぎるくらい……いや、過剰に傷付いた。そんな凛恋をこれ以上傷付ける言葉を掛けることなんて、俺が思えるはずがなかった。

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