【一六九《ちょっと早めのバレンタインと秘密のホワイトデー》】:一

【ちょっと早めのバレンタインと秘密のホワイトデー】


 年末のただでも人が混む時期に、ただでも人が殺到するであろう初詣に行けばそりゃあ渋滞に巻き込まれる。それは当然のことだ。

 高校の頃、俺達を初詣に連れて行ってくれた凛恋のお父さんも、今の俺と同じ心境だったのだと思う。


 全くこれっぽっちも前へ進まない。

 渋滞を見越して十分余裕を持ってから出て来たから、着いたら年を越してた、なんてことにはならないだろうが、それでもノロノロとさえも表現出来ない車の進み方には不安を覚える。


「凡人、疲れてない?」

「大丈夫だ。ありがとう凛恋」

「ううん。はい、チョコレート」


 助手席に座った凛恋がチョコレートを食べさせてくれて、糖分を補給した俺はフロントガラスの向こうに視線を向ける。


「みんな寝ちゃったね」


 凛恋の言葉を聞いてルームミラーを見ると、後ろで気持ち良さそうに寝ているみんなが見えた。まあ、車に乗って時間が経つし、いつもは寝ている時間なのだから眠っても仕方がない。


「凛恋も寝てて良いぞ」

「嫌よ。せっかく凡人が運転してる車の助手席に乗ってるのに寝たらもったいない」

「これから先、嫌って言うほど乗ることになるんだぞ?」

「そんなことないわよ。私が凡人の隣に乗って嫌って言うことなんてあり得ないし」


 隣から凛恋が手を伸ばし、俺の左手を握って指を組む。


「高校までは夏休みとか冬休みとか、凡人と居られる時間が増えるって嬉しくなってたけど、今は逆に一緒に居られる時間が減って複雑」

「でも、実家の方が落ち着くだろ?」

「まあ、自分の家だから実家の良さはあるけど、凡人と一緒も落ち着くし」

「まあ、また大学が始まれば二人暮らしも始まるし、今はお母さんとお父さんに甘えて楽をしといてくれ」

「そうだよねー。二人暮らししたら、凡人がなかなか寝かせてくれなくて寝不足になっちゃうしー」

「大学がある日はちゃんと寝かせてるだろ」

「そうだったっけー?」


 後ろでみんなが寝てるのを良いことに凛恋とイチャついていると、車が流れ始めて俺は凛恋の手から手を離して車を走らせる。


「また二人でドライブデート行こうね」

「そうだな」

「今度は泊まり掛けが良い! 婚前旅行ってやつ!」

「高校の頃、イギリスに行っただろ?」

「あれはパパ達が居たじゃん。今度は二人きりが良い!」


 ニコニコ笑う凛恋を横目で見ながら、内心でロンドン超えはハードルが高そうだと思った。

 それからしばらく車を走らせて、目的の神社に近い駐車場に車を停めると、タイミングを計ったかのようにみんなが起き出す。


「ふぁ~…………キャッ!」


 両手を伸ばして大きなあくびをした萌夏さんが、俺と目が合って悲鳴を上げる。


「俺、寝起きに見たら怖い顔だったのか……」


 俺の顔を見慣れているはずの萌夏さんに悲鳴を上げられ、俺は柄にもなく若干落ち込んだ。確かに俺の顔は無愛想だと言われるが、悲鳴を上げられるほどの怖さだとは思っていなかった。


「凡人。寝起きであくびしてる顔を見られたら恥ずかしいに決まってるでしょ?」

「え? そうなのか?」


 いつも凛恋のあくびを見慣れているせいか、凛恋にそう注意されてもピンとこない。

 あくびを見られるのが恥ずかしいということは、当然凛恋も恥ずかしかったということだ。個人的には、凛恋のあくびは無防備な可愛さがあって好きだったのだが、今度からはまじまじとではなくて、こっそり見るようにしないといけない。


 車から下りて真っ暗な空を見上げていると、凛恋が俺の腕をギュッと抱きしめる。

 車の外は冬の夜風が吹いて凍えそうなほど寒い。でも、凛恋が腕を抱いてくれて温もりを伝えてくれるから、外の寒さも和らいだ。


「まだ日付が変わってないから、本堂までは入れなさそうだね」


 時計を見た真弥さんが周りを見渡しながら俺達へ話す。

 俺達の周囲は、俺達と同じように初詣に来たに違いない人達でごった返している。初詣に来ている俺が言えたことではないが、こんな寒い真夜中に外に出てくるなんてもの好きだ。


「とりあえず神社まで行こうか」

「そうですね」


 真弥さんを先頭にみんなでぞろぞろと歩き出す。俺は周囲の様子を見ながら、凛恋の体を自分に引き寄せた。

 流れる人の波に乗って、砂利道をゆっくりと歩きながら、ボーッと正面を眺めて思う。

 大学に入って年の瀬まで来るのが早かった気がする。まあ、初めての大学生活だったこともあって、全てが初めて尽くしの日々に追われていたせいもあるのかもしれない。ただ、振り返ってみれば楽しかった一年だったと言える。


 一番大きかったのは凛恋との同棲だ。それは今でも、よく凛恋のお父さんお母さん、それから爺ちゃん婆ちゃんが許してくれたと思う。でもそのおかげで、俺は凄く良い思いが出来た。


 高校時代から、凛恋とずっと一緒に居たいと思っていた。一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に寝て。それが大学に入って叶ったことが嬉しかった。そして、それは来年も続く。更にその先だってずっと続けたい。


「凡人、何考えてんの?」

「今年は凛恋と一緒に居られて楽しかったなって」

「じゃあ、来年も再来年もその先もずっと一緒だから、私と凡人はずっと楽しいままだね!」


 ニコッと明るく笑う凛恋は、はぁっと白い息を吐いて呟く。


「ずっとずっと、凡人の側に居る。ずっと凡人の側で、凡人のこと守る」


 凛恋が腕を絡ませながら指を組んで手を握る。その手を握り返していると、人の流れが止まる。どうやら、まだ神社の門が閉まっていて入れないようだ。


「萌夏さん、悪いな。年末年始なのに」

「良いの良いの。どうせ年末年始は閉めてるんだし」


 本堂が開くのを待つ間、近くに居た萌夏さんに話し掛ける。

 神社で初詣を終えた後は、萌夏さんの実家である純喫茶キリヤマの店舗を借りて、新年早々、新年会をやることになっている。まあ、新年会と言っても酒を飲める人は一人しか居ないのだが。


「それにしても良いのかな~? 私だけ新年早々お酒なんて」

「いつも真弥さんは一人だけ飲んでますけどね」

「凡人くんの意地悪っ! もー、みんな早く成人してよ~」


 俺がからかうと真弥さんが唇を尖らせながら不満を言う。

 やっぱり真弥さんとしては自分だけ酒を飲むというのは、自分だけ羽を伸ばしている感じがして気にしてしまうらしい。しかし、気にしていても結局は飲むのだから、別に気にしなければ良いのにと俺は思う。


「凡人くん」

「はい?」

「帰り、二四時間のスーパーに寄れる?」

「寄りますよ。どうせ、お菓子とかジュースとか買わないといけないですし。ああ、真弥さんのお酒もですね」

「今日の凡人くんは可愛くないっ! 筑摩さ~ん、凡人くんがいじめる!」


 プクぅっと頬を膨らませた真弥さんは、プイッと顔を背けて隣に居た理緒さんに話し掛け始めた。


「凡人くん、飲み物とかはうちで用意してるから大丈夫だよ」

「萌夏さんだけに負担させるわけにはいかないだろ。それに、真弥さんの酒はどうせ買っていかないといけないし」

「ありがとう。でも、食べ物を買う量は抑えてね。用意してる分があるから、食べ切れなくなっちゃうし」

「分かった」

「本当に萌夏って凄いよね。みんなの分のケーキを一人で作っちゃうなんて」


 俺の隣からぴょこっと顔を出した凛恋がニコニコ微笑みながら萌夏さんを褒める。しかし、それは凛恋の言う通りだ。

 萌夏さんは一種類のケーキを全員分ではなく数種類のケーキを全員分用意している。それがどんなに大変なことなのか想像することしか出来ないが、想像を絶するのは分かる。俺はお粥一つ作るのでも四苦八苦なのに、ケーキを数種類なんてとんでもない。


「作るの楽しいし、みんなが喜んでくれるからやる気も出るし、将来のための練習にもなるし、一石三鳥だから」

「いつもありがとね。萌夏のケーキ、美味しいし可愛いから楽しみ」

「うん、楽しみにしてて」


 凛恋と萌夏さんは俺を挟んで笑い合う。周りのみんなも同じように笑顔だった。

 今年もみんな仲良く出来た。そして来年も絶対に仲良く出来る。そう思って、そう思ったからこそ、俺は視線を地面に落とす。


 来年、俺達は一つ年をとって大学生は大学二年生になる。それは、専門学生の萌夏さんも同じだ。萌夏さんも専門学校二年生になる。ただ、萌夏さんの通う製菓専門学校の学科は、フランス留学がある。それも、丸々一年間だ。

 萌夏さんの通う製菓専門学校は業界でも有名な学校で、製菓業界への就職率も高い。それは、萌夏さんが頑張って入学出来たフランス留学科は尚更だ。その高い就職率の理由は、本場フランスのケーキ作りを学べるというのが大きい。


 萌夏さんの将来を考えれば、フランス留学は絶対に力になるものだ。それにきっと、努力を努力と思わない萌夏さんなら、沢山の知識や技術を吸収してくるだろう。

 だけど、一年間も海外に行ってしまうのだ。だから、今よりももっと気軽に会うことなんて出来なくなる。


 フランスは日本国内で離れているのとはわけが違う。当然時差があってサマータイムだと七時間、通常だと八時間の時差がある。だから、ほぼ起きている時間も真逆だ。

 高校を卒業して大学へ進学した時も寂しい気持ちはあった。みんなと毎日会えなくなるのだと思うと辛くなった。でも今回は、国外だ。


「凡人?」「凡人くん?」

「えっ?」


 凛恋と萌夏さんから同時に名前を呼ばれて交互に見る。その二人の顔は心配そうな顔をしていた。


「何でもな――」

「嘘」「嘘だ」


 嘘を吐いた途端、凛恋と萌夏さんに見破られる。しかし、悲しい話を考えてしまった俺が悪いのだが、みんなが楽しい雰囲気の時に悲しい話をするわけにはいかない。


「大丈夫。運転の疲れが出ただけだから」


 そう言い訳を重ねてみた。しかし、凛恋も萌夏さんも納得した様子はない。

 周囲では年越しが近付いて騒がしくなる。ただ日付が変わるだけのことだ。それでもみんな楽しそうに笑って、日付が変わる瞬間に期待感を膨らませる。

 その期待が膨らんだ群衆の中、俺はボーッと閉ざされた本堂へ続く門を見る。そうしながら後悔した。


 今この中で、俺と凛恋と萌夏さんの期待感の膨らみ方は周りと差がある。それは、俺が考えてしまったことを二人が心配してくれたからだ。そして、二人に俺が心配させてしまった。


 年越しのカウントダウン。日頃はなんの変哲もない日付の境目を、数倍楽しく待てる一年に一度の時。その時を、俺のせいで二人になんの変哲もない日付の境目に戻してしまった。いや、もっと冷たく寂しいものに変えてしまった。

 ごめんと謝れば、より二人の気持ちを暗くする。

 気にしないでと空元気を出しても、より二人の気持ちをざわ付かせる。

 だからどっちも出来なくて黙って、ただ日付が変わるのを待つしかない。


 年越しした瞬間、鈍く重い鐘の音が鳴り、それに続いて地響きのような太鼓の音が響く。

 俺は再び流れ出した人の波に乗って、大きく口を広げた門を抜ける。

 門を抜ける瞬間も、隣を歩く凛恋は俺の手を握って腕を抱き寄せていた。だけど、門を抜ける瞬間、その距離がほんの少し縮まった気がした。

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