【一六八《悲壮は想いに彩られ、ただきらびやかな幸福へと変わる》】:一

【悲壮は想いに彩られ、ただきらびやかな幸福へと変わる】


 突然、実家に男性が訪ねて来た。その人は、文部科学大臣の秘書官だと自分の肩書きを名乗った。その肩書きで、その男性がうちに来た理由は分かる。でも、その人が俺と直接話すことはなかった。それは、爺ちゃんに門前払いを受けたからだ。


 世間を騒がせた文部科学大臣の隠し子問題。その問題は、週刊SOCIALの連載記事によって報道され続けていた。

 そして遂に、その報道の矛先は大臣から隠し子とされている大学生へ移った。


 前の記事に俺の名前が書かれていたせいで、俺の家の前には沢山のマスコミが押し掛け、家の固定電話もひっきりなしに鳴っていた。ただ電話の方は、爺ちゃんが電源を抜いてからは静かになった。


 広いインターネットの海には瞬く間に俺の名前が広がった。そしてそこから、俺が過去に関わったことが芋づる式に引っ張り出され、いくつものニュースのまとめサイトにまとめられた。


 あるところでは、刑事事件の解決や偏った高校の教育方針を変えさせた革命児だと賞賛されていたり、事件に首を突っ込みたがるバカだと揶揄されたり、終いには事件に関わり過ぎていることから疫病神だと書かれているサイトもあった。

 俺の記事が載った今週の週刊SOCIALの売り上げはかなり良かったらしい。だから、あの記者も相当美味い飯が食えただろう。


 週刊SOCIALの報道自体に確たる証拠はない。DNA鑑定をしたわけではないから、俺が報道されている文部科学大臣の隠し子であるとは言えない。でも、世間も文部科学大臣本人もそうは思っていないらしい。


 朝の情報番組では、週刊SOCIALが報道した内容を振り返りながら、俺へ取材を申し込もうとしたがコンタクトが取れなかったと言っていた。

 今、うちは空気がピリピリとしている。爺ちゃんは、俺の母親の件があった時からマスコミが嫌いだった。だから、爺ちゃんの機嫌は当然良くない。それに、婆ちゃんは気にし過ぎなところがあるから、酷く落ち込んでしまっている。


 栞姉ちゃんは、今日友達と予定があったみたいだったが、マスコミが押し掛けて来たことで出るに出られない状況になってしまった。

 ただ、俺自身はやっぱり全く傷付きはしなかった。でも、俺は週刊SOCIALに対して強い怒りを抱いていた。


 今日は、みんなと遊びに行く予定があったからだ。

 今日はクリスマス。だから、みんなでクリスマスバイキングに行って、駅前にある大きなクリスマスツリーのライトアップを見てから、朝までカラオケに行く予定だった。

 人が多い場所で飯を食べるのは苦手だし、人でごった返すライトアップスポットは気疲れする。それにそもそも歌を歌うのは好きじゃない。

 でも、みんなと一緒だから楽しみだった。それなのに、週刊SOCIALのせいでその予定も潰すしかなかった。


 みんなには俺抜きで楽しめなんて軽く伝えたが、みんなが俺抜きで集まるとは思えなかった。だから、きっと……俺のせいでみんなの予定も潰してしまった。

 分かっている。みんなが、誰一人も俺のせいだなんて思わないことくらい。でも、一人で部屋に座り込んでいたら、どうしても考えてしまう。


 テーブルの上に置いてある白い包装紙に赤いリボンのシンプルなラッピングの箱を見詰め、俺はその箱から目を背けるようにベッドの上に横になる。

 クリスマスなんて三六五日ある一年のたった一日だけでしかない。だから、別に今日じゃなくたって良いんだ。

 プレゼントに大切なのは気持ちだ。気持ちが籠もっていれば、日付が一日ずれたって……。


「良いわけないだろッ!」


 怒りに任せて枕を掴み、壁に向かって思いっ切り投げ飛ばした。

 三六五日の一日でも、凛恋が一九歳のクリスマスは一生に一度しかない。その一生に一度のクリスマスに、このままだと俺は凛恋へプレゼントを渡せない。

 床に落ちた枕を見て、俺は座っていたベッドから立ち上がる。そして、廊下に出て玄関のドアを勢い良く開く。


「おい! 出て来たぞっ!」


 俺が出た瞬間、珍獣でも見付けたような男性の声が聞こえ、大きなテレビカメラやマイクを持った人達が俺を見て近付いてくる。その人達の顔は必死そのものだった。

 みんな、仕事でやっている。取材に出て、テレビ番組に使える映像や音声を撮りに来たのだ。だから、映像や音が得られなければみんな生活出来なくなる。でも、仕事だからと言って、笑える状況じゃなかった。


 俺の父親が誰だとかなんてどうだっていい。俺に父親も母親も居ないんだから、外野が勝手に盛り上がってどうこう言ったって俺は気にしない。でも、それで俺の幸せを踏みにじられるのは許せなかった。


「文部科学大臣の息子さんですよね? ずっと父親が不明で認知もされていなかったと聞いていますが、今はどういったお気持ちですか?」

「何か勘違いされているようですが、俺に父親も母親も居ません。俺の家族は祖父母と姉だけです。人違いなので帰って下さい」

「いや、ですが週刊誌報道から私達も調べたところ、確かに大臣は二〇年ほど前にあなたのお母さんの務めていたお店で――」

「帰って下さい。俺には両親は居ない。それが事実です」


 きっぱり言い切っても諦めないだろうとは思った。でも、言わなきゃ気が収まらなかった。言えば大人しく帰るかもしれないという薄い希望にすがりたくなった。


「ですが、二〇年前あなたの母親と大臣に関係があったという事実は――」

「よく知らない他人の女性と男性のことなんて俺が知るわけないでしょ。しかも二〇年前に俺はこの世に生まれてません」


 マイクを顔の前に突き出され、俺はそれを突き出した女性レポーターに向かって言い返す。


「事実を知りたければ当事者のところに行ってください」

「あなたの母親が務めていた店に、当時大臣は度々通っています。その飲食代が政治活動費から――」

「他人のことなんて知らないって言ってるだろ! 俺が、二〇年前の政治活動費の使用目的なんて知るわけあるか! あんたらのせいで俺達家族は家から一歩も出られないんだッ! 姉だって友達と約束があったんだ! それを――」

「姉? 同居している女性は赤の他人で――」

「帰れ」


 俺の言葉を遮って言ったレポーターの言葉を俺が遮り返す。


「いったい何の権利があって人の幸せを踏みにじるんだ! 仕事のためにやってるのか? 自分が幸せに暮らすために人の幸せを踏みにじるのか?」

「そんなことは――」

「今実際に踏みにじってるだろうが! あんたは全く関係ない人を馬鹿にしただろ! 姉は今幸せに暮らしてるんだ。血縁なんて関係ないっ! この家に住んでるのはみんな家族なんだっ! 俺だって、今日は大事な用事があったんだッ! それを……自分勝手なあんたらのせいで全部潰された!」


 きっと言ったって変わらない。言ったことを向こうの都合の良いように編集されて、面白おかしく報道されるだけだ。だから、何も変わらない。

 でも、何も変わらなくても言いたくなることだってある。俺だって人間だから怒りもする。その怒りを発散したいと思うことだってある。


「さっさと帰――」


 もう一度怒鳴ろうとした時、俺は横から腕を引っ張られた。そこには、少し目に涙を滲ませて俺の腕を掴む凛恋が立っていた。


「凡人、約束の時間過ぎてる」

「凛恋……なんでここに……」


 俺の腕を掴む凛恋の手は小刻みに震えている。

 俺と凛恋の周りには沢山の人が取り囲んでいる。その中には、当然男性も居た。

 凛恋は俺の腕を掴んだまま家の玄関から中に入り、まっすぐ俺の部屋に入っていく。

 部屋のドアが軽い音を立てて閉まると、凛恋が正面から優しく抱きしめてくれた。


「みんな待ってる」

「俺抜きで行けって――」

「私達が凡人抜きで絶対に行かないって分かってるくせに」


 凛恋の右手が俺の手を握り、左手が俺の頭を撫でる。

 背伸びをした凛恋が俺の頬にキスをして、それからすぐに唇の端に触れるキスをする。しかし、唇にはキスはしてくれなかった。


「今日の予定、すっぽかしたら後悔するわよ?」


 握っていた右手を離して俺の首の後ろで左手と組んだ凛恋は、俺を見上げたまま小さく小刻みに唇を震わせる。


「エッチな凡人が喜ぶこと……いっぱいしてあげるんだから……」


 俺をからかって笑わせようとしてくれている凛恋は、目からポロポロと涙を落とす。


「…………凡人に甘えてほしい」

「俺は凛恋に甘えてるって」


 凛恋を抱きしめて引き寄せながら、凛恋の頬に自分の頬を当てる。そして、その俺の頬で凛恋の涙を拭う。


「私、誰にも負けたくないの。他の誰にも負けたくない。凡人の一番になりたい……」

「凛恋は俺の一番だ」

「まだなれてない。まだ、凡人が一番頼れる人になれてない。凡人は……まだ自分だけでなんとかしようとしてるから……私じゃ、ダメなのかなって……。私は凡人が真っ先になんでも相談出来る相手じゃなきゃいけないの。じゃないと、ずっと凡人は一人で辛い思いをするまま。そんなの、凡人の側に居られる、凡人の一番近くに居る資格なんて……ないっ……」


 背中に回された凛恋の手が、俺のシャツを必死に握りしめて俺にしがみつくのが分かる。その行動からは、凛恋の必死さと膨大な愛を感じた。


「俺はみんなを……凛恋を傷付けたくなくて……」

「私だって凡人を傷つけたくない! それに……凡人だけ傷付かせるなんてやだ……」


 俺はみんなと凛恋を傷付かせたくなくて庇い、凛恋は俺を傷付かせたくなくて庇おうとする。そして、俺と一緒に自分を傷付けようとする。だけど、俺は凛恋にそうさせたくなくて庇おうとする。

 グルグルと回る想い合いは止まらず、想い合えば想い合うほど少しずつ暗く冷たい影が近付いてくる。


 想い合えば想い合うほど俺は凛恋を傷付けてしまう。

 俺は凛恋をゆっくりベッドに座らせて、横から凛恋を強く抱きしめて背中を擦る。


「ごめん……」

「結婚するまでに絶対なるから。絶対、凡人と結婚するまでに凡人が頼れる。真っ先に泣き付ける相手になるから」

「…………もうなってるって」


 俺は凛恋を抱きしめながら、凛恋の胸に顔を埋める。そして、熱くなった目を凛恋の柔らかく温かい胸に押し付けた。すると、凛恋の手が優しくそっと俺の頭を抱きしめてくれた。




 クリスマスソングの流れる広い店内は、沢山の客で賑わっている。俺はその店内の一角で、隣でずっと手を握っている凛恋と座っていた。


「凡人くん、食べてる?」

「はい。食べてますよ」


 正面に座る真弥さんに声を掛けられ、俺は皿に持っていたローストビーフを口へ運ぶ。

 予定の時間から大分遅れたが、俺は結局みんなと遊ぶことにした。家の周りには相変わらずマスコミ関係者が居たが、その数は少し減っていた。多分、俺からはもう何も面白い情報は出ないと思ったのだろう。


「凡人くんの気持ちはちゃんとみんな分かってるから。でも、素直に凡人くんが楽しんでくれると私は嬉しい。だけど、凡人くんの性格だと急に切り替えるのは難しいから、少しずつで良いよ」

「ありがとうございます」


 そう言った真弥さんが席を立って料理を取りに行くのを見送ると、俺の手を握る凛恋の手に力が籠もる。


「露木先生の方が凡人のこと分かってる……」

「そんなわけないだろ。凛恋と一緒に選んだ料理、俺の好みにバッチリ合ってるし」


 若干の落ち込みモードに入っている凛恋に言うと、少し凛恋の表情が明るくなった。


「そういえば、初詣どうする?」

「やっぱみんなで行きたいよねー」


 萌夏さんと里奈さんがニコニコ笑いながらチラチラと俺を見る。その視線から俺が視線を逸らそうとすると、逸した先に居た栄次と目が合う。その栄次は、ニッコリと爽やかな笑みを浮かべていた。


「凡人く~ん。初詣の時、車の運転してくれない? レンタカー代はもちろんみんなで出すから!」

「まあ、運転出来るの俺しか居ないしな」


 萌夏さんに両手を合わせながら拝まれる。まあ、避けられぬ運命であることは分かっていた。それに、みんなと一緒に初詣に行けるなら、車の運転くらいしたってどうってことない。


「今度は私が助手席に乗ろ!」

「ダメッ!」


 ニコニコ笑った萌夏さんがそう言うと、凛恋が慌てた様子で立ち上がりながら声を上げる。すると、その焦った凛恋を見た萌夏さんがにんまりと笑った。


「そんなに焦らなくても冗談だって」

「ほんと、凛恋って凡人くんと付き合ってからずっと凡人くんにべったりだよね。もう鎖とかで繋いどいたら?」


 萌夏さんの後にからかうように里奈さんが言うと、凛恋は一旦俺に顔を向けた後、小さく頷いた。


「そうする」

「そうするなよ……俺はモナカじゃないんだぞ」

「だって。誰にも凡人を盗られたくないから、繋いどいたらずっと私の目の届くところに凡人が居るし……」


 落ち込みモードに入って考え方が斜め上に突き抜けたものになってしまっている。


「そういえば高校の頃、凡人くんが転校する前も凛恋って毎日不安がってたよね。帰りの挨拶が終わったら真っ先に飛び出して言ってさ」

「付き合った後もそうだったけど、付き合う前もヤバかったよね。みんなで女子会した時は――」

「り、里奈!? それはダメ!」


 凛恋が真っ赤な顔をして身を乗り出し、里奈さんの話を止めようとする。しかし、里奈さんは器用に体を翻して避けた。


「多野の家、お金持ち過ぎて私じゃ釣り合わないって号泣し始めちゃってさ」


 里奈さんが笑いながら言った言葉に、凛恋が身を縮ませて唇を尖らせる。その凛恋の顔は火が出そうなほど真っ赤に染まっていた。


「だっ、だって……家が広くて飛び石があって特上のお寿司が出てくるのよ? 完全に住む世界が違う人を好きになっちゃったって思ったんだもん」

「それで、里奈達はなんてアドバイスしたの?」

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