【一五三《不覚》】:一

【不覚】


 警察が来て喚く石川と一緒に、俺は警察署に連れて来られた。そして、事情聴取を受けた時に、地図に七人の家の位置が描かれていたことを話した。

 警察は七人のところにも急行してくれたようで、事情聴取が一段落した俺はベンチに座って待つ。


 警察からは、脅迫文を書かれるような心当たりはあるかと尋ねられた。俺は恨みを買うようなことは最近していない。しかし、あの地図みたいなやり口をするやつに心当たりがあった。


 内笠京(うちかさけい)。高二の時に、学校裏サイトや盗撮画像サイト騒動を起こした上に、萌夏さんと露木先生を脅迫した犯人。回りくどく暗号のような物を送り付けてくるやり口が内笠を連想させた。だから、心当たりのある人物として俺は内笠の名前を挙げた。


 まだ、内笠が関係しているかもしれないという話は、みんなに伝わっていないと思う。

 萌夏さんと露木先生も、内笠の事件で辛い思いをした。それをまた思い出させたくはない。だから、内笠の件が伝わらないのは二人にとっても、凛恋達女性陣にとっても良いことだ。


 せっかくの夏休みに、俺は警察署の廊下で座っている。警察署の廊下はクーラーが効いておらず暑い。しかし、他に居られる場所がないからここに居るしかない。


 内笠の事件から二年近く経っている。今更なのか、今だからなのか分からない。しかし、内笠の仕業かどうかも確定していない。それにそもそも、ただの大学生の俺は知ったところで何も出来ない。

 脅された張本人の石川は事情聴取が長引いているのか、なかなか取調室から出て来ない。


「眠いし暑いし……最悪だ……」


 今日は特に予定もなかった。予定がなかったから、凛恋を家に連れて来てモナカを凛恋に会わせようと思っていた。その予定が大きく狂った。


 本当に石川に関わって良いことはない。しかし、あのフィルムが何を示しているかを知ったら、首を突っ込まないわけにはいかない。

 凛恋、希さん、萌夏さん、理緒さん、里奈さん、ステラ、露木先生の七人の家を示す星マーク。

 その七人のうち、ステラを除いた六人は刻雨高校関係者だから、石川にも関係がある人物だ。だが、ステラは石川と無関係で面識さえもない。だから、今回のことは石川を使って誰かが俺に何かを伝えようとしている。


「多野凡人さん」

「はい」


 座って待っていた俺は、近付いて来た警察官に名前を呼ばれて立ち上がる。


「多野さんはもう帰っても構いません。ご協力ありがとうございました」

「はい。ありがとうございました」


 警察官に許しを得てホッとする。これでやっと帰れる。でも、今日は凛恋を家に連れて来るのは控えた方が良い。

 アクリルフィルムにあった七つの星マークがみんなの家を示しているということは、石川を使ってフィルムを俺に見せたやつは、みんながどこに住んでいるかを知っているということになる。


 既に警察がみんなの家の周りを調べて、不審者は居なかったし不審物もなかったと言っている。それで安心し切ることは出来ないが、何も調べてもらえないよりよっぽど良い。


「電話?」


 警察署を出た直後、俺のスマートフォンが震えて着信を知らせる。スマートフォンの画面には『非通知』の文字が見え、俺はそのまま電話を取ってスマートフォンを耳に付けた。


『どうも、こんにちは。凡人くん』


 電話に出たのは萌夏さんの声だった。でも明らかに声がおかしい。単語と単語の繋がりが不自然、いや一音一音の繋がりが不自然だ。まるで、独立した音を切り貼りして作られた声のように聞こえる。


「お前は誰だ」

『嫌だな多野くん。あんなに熱烈なキスをしたのに』


 今度は露木先生の声だった。しかし、こちらもさっき聞いた萌夏さんの声と同じように不自然な声になっている。


「内笠か。警察に捕まって反省したんじゃなかったのか?」


 露木先生は、二年前、内笠を取り押さえる時に、俺にキスをして内笠を動揺させた。そのことを知っているのは、俺か露木先生か、露木先生から謝られた凛恋か、あの場に居た萌夏さんか内笠くらいだ。


『京くんは凡人くんのせいで、犯罪者と一緒の場所に入れられたんだよ。謝って』


 次は不自然な萌夏さんの声でその言葉が返ってくる。もう疑惑でも何でもない。石川を使ってアクリルフィルムを持って来させたのも、あのアクリルフィルムを作ったのも内笠だ。そして、今俺に萌夏さんと露木先生の声を使って電話してきているのも、内笠だ。


「何がしたい。逆恨みからの復讐か?」

『ダメだよ、多野くん。GPSで見張ってるから、警察署の中に戻ろうとしたって分かるんだから。そのまま駅に向かって歩いて。それと、電話を切った瞬間、まずは神之木ステラさんが酷い目に遭うよ?』


 俺は電話をしながら踵を返していた足を元に戻し警察署から離れる。そうしながら空を見上げるが、俺を監視しているGPSの人工衛星は遥か高く宇宙に浮かんでいる。だから、どうすることも出来ない。それに、今の時点でGPSの反応がなくなったら、ステラが危ない。


 今、俺はスマートフォンを使わされているからステラに連絡が取れない。それにGPSで位置を監視されているから、ステラの様子を見に行くことも出来ない。単純なやり口に見えて、以外と俺の行動を制限しようと考えられている。


『京くん、凡人くんに私と露木先生が愛し合うことを邪魔されたこと、凄く怒ってるの。謝って』

「そうか。悪かったな。俺は、俺の味方で居てくれる人を守るので精一杯だったんだ。それ以外のやつのことなんて考えてない」

『人に優しくしないとダメだよ、凡人くん。そんなんじゃ、凛恋も京くんのものになっちゃうよ』

「凛恋に手を出したら許さない」

『多野くん、もうちょっと京くんに敬意を払って話して』


 萌夏さんと露木先生の声を使って喋ることに何の意味があるのか分からないが、電話の向こうで醜悪に笑っている内笠の顔を想像してしまいイライラが募る。


『そういえば、凡人くんって修学旅行で石川くんに殺され掛けたんだって?』

「それがどうした?」

『残念だな~。その時、死んじゃえば良かったのに』

「それは申し訳ないな。俺はこの通りピンピンしてる」


 駅に向かって歩きながら、萌夏さんの声を使う内笠に言い返す。

 挑発のつもりなのか、素直に俺が死ななくて残念だと思っているのか。まあ内笠の場合だと、どっちもという可能性もある。


『多野くんのせいで、京くんは大変だったんだよ? 多野くんが京くんの邪魔をしなかったら、今頃幸せな世界になってたのに』

「また人を脅して言うことを聞かせようと考えてるのか。この前失敗して分かっただろう。お前は――」

『凡人くん、この前見て分かったでしょ? 私、凡人くんが邪魔しなかったら京くんと愛し合ったよ?』


 その言葉を聞いて、俺はスマートフォンを握る手に力を込める。

 内笠の言うとおり、あの時もし俺が居なかったら……それを考えて胃がよじれるほどの胸糞悪さを感じる。

 あの時もし俺が萌夏さんについて行っていなかったら、萌夏さんは酷く傷付けられた。今よりももっと深く惨い傷を心に付けられた。それを思って、内笠に対する怒りにスマートフォンを握る手が震える。


『多野くん、私も多野くんがあんな邪魔しなかったら、今頃京くんと幸せになれたのに』

「内笠。俺に何の用だ。こんな暑い中歩き回らせやがって、何の用事もないなら切るぞ」

『もー、凡人くんはわがままだなー。京くんが、駅に着いたら、駅の正面に見えるネカフェに入って良いって。良かったね、京くんが優しい人で』


 どうせそのネットカフェに俺を誘導するつもりだったに違いない。

 駅に着いてすぐに視界に入ったネットカフェに入る。


『席はどこでも良いよ。申し訳ないけど、料金は多野くんが払ってね』


 俺は指示に従ってネットカフェの受付で利用料を払い囲いのあるブースに入る。


『石川くんと仲が悪いって本当?』

「良くないな、全く」

『そっか! 良かった~。じゃないと石川くんを使った意味がないからね』

「随分趣味の悪い嫌がらせだな」

『凡人くん、それだけ京くんを凡人くんが傷付けたんだから仕方ないよ』

「それ以上に萌夏さんと露木先生が傷付いた」

『私は全然傷付いてないよ? 凡人くん』

『私も傷付いてないよ? 多野くん』


 ブースにあったソファーに座りながら、俺は何の実りもない内笠との話を続けていると、電話から相変わらず不自然な萌夏さんの声が聞こえる。


『石川くん、凛恋のこと随分好きなんだね』

「内笠、何のために俺をここに誘導した」

『もうせっかちだなー、凡人くんは。私の指示に従ってURLを入力して』


 そう指示され、電話から聞こえてくる通りにURLを入力する。すると、シンプルなホームページが表示された。


「石川敦大先生のホームページ…………内笠が作ったのか」

『年齢認証があるからね。一八歳以上は観覧不可だよ?』


 この見るからに馬鹿げたホームページを見せたいらしく、俺はマウスを使って入室という文字をクリックする。

 切り替わったページもシンプルなページで、著作と秘蔵コレクションという二つの項目しかない。


『凡人くんの好きな方から見て良いよ』


 俺はマウスを動かし、マウスカーソルに近かった『著作』の文字をクリックする。すると、何だか沢山の項目が表示された。


『それは石川敦大先生の処女作の自作小説だよ。なんと長さは三〇〇万文字を超えている大長編』

「三〇〇万文字の小説? それを今から読めって言うのか? 日が暮れるし日付が変わるぞ。一日で読める量じゃない」

『分かってるよ。天才の京くんと違って、タダノボンジンの多野くんじゃそんなこと出来ないって。だから、全部読んだ京くんが書いたあらすじを読んであげる』


 普通の文庫本が一〇万文字前後だから、三〇〇万文字ということは文庫本三〇冊分の文章を読んだということになる。そもそも三〇〇万文字の小説を書いたという石川の根気も凄いが、それを読んだ内笠の方も凄い。たが、なぜ俺が石川の自作小説について説明されるのかは分からないが。


『物語の主人公はアツシ。高校一年生のアツシは、世界でたった一人、一瞬で相手を消し去る能力を持つ勇者だった』


 露木先生の声で淡々と語られる小説の説明。しかし、最初から突っ込みどころかある。人を消し去る能力を持っている勇者って何なんだいったい……。それは勇者というよりも、魔王の能力のような気がする。


『沢山の悪党を、アツシは持って生まれた最強の能力で倒しながら、国王から認められて城と生涯遊んで暮らせるだけの金を貰う』


 人を消し去る能力なのだから、倒すというより消したのだろう。ただ、悪党を倒したのだから国王から褒美があるのは当然かもしれない。国王ということは、設定的にはハイファンタジーなのだろうか。


『アツシには将来を誓い合ったリコというお姫様が居た』


 その言葉に、俺はマウスから手を離してソファーの背もたれに背中を付ける。そのお姫様のリコが、凛恋を指しているのは明らかだ。


『しかし、リコは大悪党のカズトに騙されて、無理矢理結婚を迫られる』


 大悪党カズトというのは当然俺だ。まあ、凛恋に好意がある石川にとって俺は邪魔な存在だ。


 アツシにリコにカズト。その登場人物を考えると、石川が書いたという自作小説は自分の願望を投影した物なのだ。リコとカズトのキャラクター設定からして間違いないだろう。


『アツシは最愛のリコを守るために、伝説の剣エクスカリバーと伝説の盾イージスの盾を神様から授かり、大悪党カズトに戦いを挑む』


 人を消し去れる便利な能力があるのだから、わざわざ伝説の剣と盾なんか持ち出す必要はないだろうと思う。そんなまどろっこしいことをする前に、大悪党カズトを能力で消し去れば良いだけの話だ。しかし、そういうのは突っ込む次元の話ではない。全ては、石川の妄想で作られた話なのだから。


『激闘の末、遂にアツシはリコと結ばれる。現在は、リコがアツシの三人目の子供を妊娠したところで執筆が止まってるね』

「そうか。それで、それがどうした?」

『痩せ我慢しちゃって。大事な彼女を妄想の中でも汚された気分はどう?』

「自分一人で楽しむ分には良いんじゃないか。見せられて気分の良い内容じゃないが」

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