【一四五《遠距離恋愛》】:一

【遠距離恋愛】


 俺は希さんにスマートフォンを差し出され、栄次から掛かってきた電話に出る。すると、電話からは栄次の爽やかな声が聞こえた。


『カズ、俺の彼女の部屋に入り浸るとは良い度胸だな』

「俺は希さんに話があるって言われて来たんだ。変な誤解を生むようなことを言うなよ」

『冗談だって』


 俺をからかって笑う栄次の声を聞いて、俺は戸惑っている希さんに視線を向けながら栄次に尋ねた。


「それで? こっちに来てるってどういうことだよ」

『どうもこうもない。遠距離の彼女に会いに来たんだ』


 ことも無げに言ってのける栄次は、電話の向こうで小さく笑う。


『ずっと寂しくて希に会いたいって思ってたから我慢出来なくなった。それに、この前の盗撮騒ぎがあっただろ? 希が辛い時に一緒に居てあげられなかったし、希の様子を直接確かめたかったんだ』

「そういう話は希さんに直接言ってくれ」


 希さんが聞いたら嬉し恥ずかしで顔を真っ赤に染めそうな台詞を聞かされ、俺は若干の恥ずかしさと気まずさを感じて眉をひそめる。

 そんな臭い台詞、俺に言われてもどうしようもない。


 栄次と希さんは遠距離。それも、週末に気軽に会いに来られる距離でもない。時間も掛かるし、交通費もバカにならないくらい掛かったはずだ。

 それでも希さんに会いに来たというのは、それだけ栄次の寂しさが大きかったのだろう。


『そういうことで、希に替わってくれるか?』

「分かった。希さん」

「ありがとう」


 俺は電話を始める希さんに、俺はスマートフォンのメモ帳に『やっぱり俺はこれで帰る』と打ち込んで見せる。それに希さんは驚いて首を振るが、俺は笑顔を希さんに向けて希さんの部屋を出た。


 希さんと栄次の二人の時間を邪魔するわけにはいかない。

 希さんも栄次も邪魔だなんて思う人じゃないが、それでもやっぱり二人だけの時間というのは大切だ。それは、俺に大好きな彼女である凛恋が居るから分かることでもある。


「栄次もやるな~」


 希さんの住んでいるアパートを出ながら、俺は小さく笑ってそう呟く。

 遠距離の彼女に長い時間と多くのお金を掛けて会いに来る。それは簡単に出来ることじゃない。

 ただ、希さんの様子から何も聞かされていなかった様子だったのが気になる。何か希さんが予定を入れてしまっていなければ良いが。

 俺が最寄り駅まで歩いていると、スマートフォンが震えて栄次から電話が掛かってきた。


『カズ、別に帰らなくても良いだろ?』

「何言ってるんだよ。希さんは栄次と二人っきりが良いに決まってるだろ?」

『カズ。俺は希に会うのを目的にしてきた。でも、ついでにカズと凛恋さんに会うのも目的なんだぞ?』

「俺と凛恋はついでか」

『凛恋さんに会うのを目的にしていいのか?』

「ダメに決まってるだろ。絶対に許さん」


 笑いながら冗談を言う栄次に冗談で返すと、栄次が相変わらずの爽やかな声で嬉しそうに言った。


『四人でどこか飯食べに行こう』

「分かった。凛恋にも電話しておく」

『それは希がするって言ってたから大丈夫だ』

「そうか。それにしても、会いに来るなんて思い切ったな」

『希のこと、カズばかりに任せられないからな。でも、ちょっと無理したから、希の家に泊めてもらわないといけないけど』

「金に余裕があっても泊まるくせに」


 栄次の白々しい言葉に、俺は笑いながら言い返す。

 俺が栄次の立場だったら、せっかく彼女に会いに来たのにどこか別の場所に寝泊まりするなんてやらない。

 絶対に凛恋の部屋に泊まるに決まっている。だから、栄次だって最初からそのつもりだったに決まっている。


『もうそろそろ希がカズを追い掛けてくる頃だろうから、一旦切るな。ちゃんと希と一緒に迎えに来てくれよ?』

「分かった」


 栄次と電話を切ってスマートフォンをポケットに仕舞うと、ドンッと背中に少し強めの衝撃を受ける。


「凡人くん、帰らなくて良かったのに」


 後ろから俺の背中を叩いた希さんが、ムッとした表情をして目を細めて見る。


「気まずいだろ。恋人と電話してる人の近くに居るって」

「ありがとう。でも、人に聞かれて困る話はしないから大丈夫。私が居るのに盛り上がっちゃう凡人くんと凛恋と違って」

「……それは、本当にごめん」


 希さんにからかわれたが、からかわれたネタは俺からはからかい返しづらい。

 この前、希さんが泊まった時に、俺は凛恋とキスしているところをバッチリ見られた。その夜の夕飯の時は、かなり気まずい思いをした。まあ、悪いのは俺と凛恋の方だが。

 希さんはクスクス笑って後ろに手を組んで隣に並ぶ。


「凛恋と合流してから、栄次を迎えに行くことになったから、まずは凛恋と合流しないとね」

「分かった。四人揃ったら、何食べるか決めるか」

「凡人くんは美味しいお店いっぱい知ってるから、凡人くんに任せても私は良いと思うけど?」

「まあ、知ってるって言っても、自分で見付けたところはそんなに多くないけど」


 大学生になってから飾磨と出会い、俺は飾磨に色々な飲食店に連れ回されるようになった。そのせ――お陰で、俺は色々な飲食店の知識を得た。

 ただ、飾磨からだけの知識ではなく、凛恋とデートに行った時やバイトの行き帰りで見掛けた店の知識もある。しかし、栄次はわざわざ出てきたし、移動の疲れを労うためにも栄次の希望に添う方が良いとも思う。

 つまりは、とりあえず四人揃ってから話し合うのが一番良いということだ。


 希さんの家から、栄次が乗って来た新幹線の入る駅に向かいながら、途中で凛恋と合流する。

 凛恋は大学の友達とカフェでお茶をしている途中だったが、栄次が来たということで途中で抜けてきたらしい。


「希~、栄次くんに会ったら胸に飛び込んであげたら? きっと栄次くん、泣いて喜ぶよ?」

「私は凛恋みたいに大胆になれる勇気ないからなー」

「うぐぅっ……」


 希さんをからかった凛恋が希さんにからかい返され、返しが出て来ず困った顔をする。そして、その顔を俺に向けた。

 いや……俺に向けられてもどうしようもない。ついさっき、俺も今の凛恋と同じ状況に陥ったのだから……。


「凡人のせいで希にからかいで勝てなくなったじゃん」

「俺のせいなのか?」

「凡人があの時盛り上がっちゃったのが原因じゃん」

「いや……そもそも凛恋が迫ってきたんじゃないか……」


 凛恋に全責任を押し付けられながら目的の駅まで歩いて行くと、駅の前で大きめの鞄を肩に掛けて突っ立つ栄次が見えた。


「栄次!」


 栄次の姿を捉えると、希さんが栄次に向かって駆け出していく。それを俺と凛恋は並んで二人から少し離れた位置で眺めた。


「感動の再会って感じ」

「実際はゴールデンウィークに会ってるから、久しぶりでもないんだけどな」

「もー、せっかく良い雰囲気なんだから水を差さないの」


 凛恋に横から指で頬を突かれた後、優しく腕を抱かれる。視線の先では、ニコニコと嬉しそうに笑う希さんと爽やかな笑顔を浮かべている栄次が見える。


「カズ! 凛恋さん!」

「栄次くん、お疲れ様」

「よう栄次」


 希さんと手を繋いで歩いて来た栄次は、俺と凛恋を見て一層笑顔を明るくする。


「とりあえず、少し夕飯には早いけどどこかに入るか?」

「カズはこっちの店に詳しいんだろ?」


 希さんから話を聞いているのか、栄次がニヤッと笑いながら言う。


「みんなが何を食べたいかだな」

「せっかく栄次くんが来てくれたんだから、栄次くんの好きな物にしない?」

「じゃあ、栄次の希望を聞かないと。何か食べたい物とかあるのか?」


 栄次に視線を戻して尋ねると、栄次は少し首を傾げて困ったような顔をする。


「食べたい物か。今は肉かな」

「肉か。また漠然とした要望だな」


 肉料理と言っても種類が多い。せめて牛肉なのか豚肉なのか、それとも他の肉なのか限定してくれると助かるのだが……。


「凡人! この前の鳥料理の専門店は?」


 凛恋がパッと明るい表情で両手を合わせながら言う。凛恋が言っているのは、以前希さんも一緒に親子丼を食べた店のことだ。


「ああ、あそこか。希さんと凛恋が良いならそこにするか」

「私もそこで良いよ」

「じゃあ行こうか」


 行く店も決まって、俺は凛恋と並んで歩き出す。すると、栄次が俺の肩に手を置いてニッコリ笑った。


「カズに店を案内してもらえるとはな」

「なんだよ、その言い方は」

「だって、高校時代のカズは凛恋さんに引っ張られないと外出しなかっただろ?」

「今だって、学校とアルバイト以外は凛恋に引っ張ってもらわないと出てないぞ」

「なんだよ。ちょっとは外に出るようになったと思ったのに。でも、カズが本当にバイトを始めるなんてな~。それだけ考えればかなりの成長だよな」


 さっきは外出をからかわれていたはずなのに、今はアルバイトのことをからかわれている。


「カズがバイトしてる姿、見たかったな」

「見に来なくていい」


 栄次に見に来られたら、爽やかな笑いを向けられるだけだ。そして、アルバイトの後にはからかわれる。

 それが簡単に想像出来るからこそ、栄次がアルバイト先に来るなんて面倒でしかない。それに、やっぱり栄次にアルバイトをしてる姿を見られるのは恥ずかしい。


「栄次の方はどうなんだ? やっぱり医学部は大変か?」

「いや、一年のうちは他の大学と同じで基礎科目だよ。理系の学部と同じような勉強をしてる。本当に大変になるのは二年かららしい」

「そうか。あんまり頑張り過ぎるなよ。辛かったら希さんに電話して甘えろ」


 さっきからかわれたお返しのために俺がそう言うと、栄次は相変わらずの爽やかで穏やかな笑顔を希さんに向ける。


「今日はそのために来たんだけど」

「え、栄次?」


 栄次は希さんの腰に手を回して抱き寄せる。それに希さんは頬を赤く染めて戸惑っている。だが、栄次の腕に手を回して栄次に身を任せていた。

 栄次にしては積極的で大胆な行動だと言える。多分、それだけ希さんと離れた場所で生活するのが寂しいのだろう。


 俺は凛恋達と以前行った、アルバイト先の近くにある鳥料理専門店に向かう。

 鳥料理専門店に着いて店内に入った栄次は、周囲を見渡して爽やかに笑った。


「落ち着く雰囲気の店だな」

「栄次、ここは親子丼がおすすめなんだよ」


 隣に並ぶ希さんが、いつもより一段と弾んだ声で栄次に言った。当然だが、やっぱり栄次が一緒に居ることが嬉しいのだ。


「そうなんだ。鳥料理専門店も初めてだし、とりあえず希おすすめの親子丼は確定として、他の料理も頼もうかな。昼飯食べてないし」

「お昼食べてこなかったの?」

「食べてたら間に合わなかったんだ」

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