【一二〇《反旗の旗手》】:一

【反旗の旗手】


 一学期最終日。俺は自分の席から立ち上がり、制服の胸ポケットに入れた紙を確認する。


 賽は投げられた。


 今日まで一月未満、俺は勉強の合間を縫って今日のために動いてきた。

 もちろん、動いたのは俺だけじゃない。沢山の人が協力してくれた。

 希さん、萌夏さん、小鳥、溝辺さん、筑摩さん、露木先生、他の協力してくれた生徒教師。他校の生徒の栄次も助けてくれた。生徒の保護者だって協力してくれた。


 一度は俺を学校から排除しようとした人達が、俺に協力してくれるのは、やっぱり俺はひねくれているから少し違和感があった。でも、協力してくれることは本当にありがたかった。


「凡人、行こう」


 教室のドアを開けた凛恋が、俺の名前を呼んでそう言う。

 凛恋の後ろには萌夏さん、小鳥、溝辺さん、それから露木先生が立っていた。


「凡人くん、行こうか」


 隣でニコッと笑う筑摩さんを見ていると、後ろから希さんが笑顔で俺の背中を押す。


「先頭は凡人くんだよ!」


 希さんが笑顔でそう言うのを聞いて、俺は物理的にも精神的にも背中を押されて歩き出す。


「おい、午後の授業があるだろ。どこに行く気だ」


 教室を出て行こうとする俺に、貸谷が話し掛ける。俺は貸谷を振り返り、視線を貸谷に向けた。


「貸谷はこのままで良いのか?」

「このまま行けば旺峰大に合格出来る。迷う必要はない」

「そうか」


 俺は貸谷から視線を外すと、貸谷の後ろで本蔵さんが席を立つのが見える。


「本蔵? 何やってるんだ?」

「私、勉強嫌いだから。勉強ばかりさせられるのは嫌いなの」


 淡々とした口調で話す本蔵さんは、帰り支度を終えて視線を俺に向けた。


「また新学期に」

「ああ、お疲れ様」

「なっ!」


 帰って行く本蔵さんを唖然とした表情で目詰める貸谷は、視線を俺に向けて睨み付けた。


「何を企んでる」

「企んでたけど、もう終わった」

「何を意味の分からないことを」

「凡人、さっさと済ませて帰ろ! せっかくの夏休みなんだし!」


 凛恋が俺の腕を抱きしめてそう言った後、ギュッと俺の腕を掴んで貸谷を睨み付ける。


「私はあんたを絶対に許さない」

「は?」

「私の凡人をバカにしたあんたを絶対に許さないから。せいぜい、そうやって余裕見せてなさいよ。すぐに私のチョー格好良い彼氏に、その余裕たっぷりの顔を見せられなくなるんだから! 行こ!」


 凛恋があっかんべーをして、俺の腕を引っ張る。

 全員で廊下に出ると、凛恋がホッと息を吐いた。


「怖かった……」

「何であんなことしたんだよ……」


 俺は凛恋の背中を擦りながらそう声を掛ける。

 男が苦手な凛恋が、さっきみたいに男に面と向かって話すのは珍しい。

 凛恋が言葉では言ったが、相当怖かったはずだ。


「言っておかないといけなかったの。今日言わなかったら絶対に後悔する」

「凛恋、格好良かったわよ!」


 萌夏さんが凛恋に肘打ちをしながらニヤッと笑う。


「私より凡人の方がチョー格好良いし!」


 凛恋が笑顔で答えると、萌夏さんが俺を見る。


「それは同感」


 クスッと笑った萌夏さんが俺の顔を見ながら言った。


「だよね。瀬名もこれくらい男らしかったらな~」


 萌夏さんの言葉に同意しながら、ニヤッと笑う溝辺さんがチラリと小鳥に視線を向けて言う。


「り、里奈~」


 溝辺さんに言われた小鳥は、焦った様子で力なく声を漏らした。


「私も惚れ直しちゃったな~」


 クスクス笑う筑摩さんが、からかいながら言う。


「本当、凡人くんにはいつもびっくりさせられっぱなしだね」


 希さんがニコッと笑って言う。


「多野くん、最後はビシッと決めてね」


 明るく笑う露木先生がパチっとウインクをして言う。

 俺はみんなと一緒に、目的地である学校改善マネージャー室に歩いて行く。そして、ノックをせずにドアを開けた。


「今は午後の授業のはずですが?」


 開いたノートパソコンの向こう側で、顔を上げた長久保が俺に視線を向ける。


「学校改善マネージャーに学校の改善を提案しに来ました」


 俺がそう言うと、長久保は眉一つ動かさずに言葉を返す。


「時間の無駄です。すぐに授業に戻りなさい。立場くらい分かっているでしょう」

「長久保さん。あなたが多野くんを脅していたのは知っています。教育者として恥ずかしくはないのですか?」


 露木先生が長久保に問う。しかし、長久保はそれでも表情を全く崩さなかった。


「露木先生、残念ですが私は教育者ではありません。私はこの学校の評判を取り戻して経営を立て直すために来ています。教育者ではなく経営者です。経営者が何よりも優先すべきなのは利益追求です」


 初志貫徹(しょしかんてつ)。最初から最後まで全く考えをブレさせない長久保は優れた経営者なのかもしれない。

 限られた時間とコストの中で、効率良く最大限の利益を出す。

 更に、利益を出すために冷淡になれる。

 それは、製品を売ったりサービスを売ったりするような企業なら、多分成功していたんじゃないかと思う。でも、学校は企業じゃない。学校が生み出すのは物やサービスじゃない。

 学校は人間を成長させて送り出す場所だ。企業とは扱う存在がまるで違う。


「早く戻りなさい。特別旺峰進学科には、旺峰大学に合格するという使命があります。そのためにどれだけのコストを割いて――」

「人を、俺達を、利益を出すためだけに利用した結果こうなった」


 俺は胸ポケットから紙を取り出して開き、長久保の机に叩きつけた。

 その紙を見た長久保が、初めて眉をひそめて表情を変えた。しかし、すぐにいつもの冷たい表情に変わる。


「退学届、ですか」

「ああ、今日限りで俺は刻雨高校を辞める」

「別に構いませんよ。ですが、多野さんのせいで傷付く人が出てしまうでしょ――……う、が」


 淡々とした長久保の口調が乱れる。長久保の机に、みんなが次々と退学届を出したからだ。


「たった七人でクーデターのつもりですか。子供の考えることは――」

「子供だと甘く見ていると、足をすくわれますよ?」


 長久保の言葉を遮るように、露木先生が退職願を長久保の机に置く。すると、長久保は視線を露木先生に向けた。


「露木先生、再就職先はお決まりなんですか? 今の時期に音楽教師を雇うような学校なんてあるわけが――」

「長久保さん! 大変です!」


 また長久保の言葉は遮られる。しかし、その声は、部屋の入り口から聞こえた教頭の焦った声だった。


「な、何やってるんだお前達は!」


 教頭は俺達を見た瞬間に怒鳴り声を上げる。


「教頭先生、大変というのは?」

「そ、そうです! これを見てください!」


 教頭は長久保の言葉で我に返り、長久保の机に大量の紙を置いた。


「これ……は……」

「教師八割の退職願とほぼ全生徒の退学届です! 午前の授業が終わった瞬間に、職員室に居た職員が私にこれを持って来て、生徒が大量に押し寄せて退学届を!」


 パニックに陥って喚く教頭から目を離した長久保は、俺に明らかな怒りを向けて睨み付ける。


「ストライキのつもりか」


 ストライキは、労働条件改善や労働者の不当処罰等に対する抗議手段として、労働を一切行わないことで雇用者に抗議することを指す言葉。

 だが、俺達がやっているのはストライキのように労働を放棄するのとはわけが違う。

 学校自体を辞めたのだ。


「長久保さん! どうすれば!」

「教頭先生、落ち着いてください。どうせはったりです。自分の退学話が持ち上がった時のことを参考にして思いついたんでしょう。学校は生徒が退学すると言えば言うことを聞かざるを得ないと。それで、退学をちらつかせて我々に要求を飲ませようとしているんです」


 やはり長久保は強気だ。絶対に自分の思い通りにいくと、自分の行動が正しいと自信を持っている。だから、揺るがない。


「今の時期に受け入れてくれる学校はありません。それは教師も生徒も同じ。教師は職を失えば収入を失い路頭に迷う。生徒は退学すれば単位を失い全員留年。受験生は確実に浪人します」

「長久保さん……」

「理事長? ……と、理事長のお母様、ですか?」


 部屋に入って来た理事長と理事長の母親。しかし、理事長の方は意気消沈していて、声にも全く覇気がない。


「長久保さん、貴方は強引な経営をされているようですね」

「求められた仕事をこなした結果です」

「確かに、息子が貴方に要求した利益を出すための経営をしようとしたようです。ですが、結果は失敗のようですね」

「まだ失敗とは限りません。このまま旺峰大学に合格者を五名出して進学校としての知名度を上げた後は、運動部の強化に移って全国レベルの運動部を作ります。まずは全国的にも人気のあるサッカー部と野球部の強化をして、国立と甲子園優勝を――」


 理事長の母親に自分の計画を説明する長久保は、理事長の母親がゆっくりと長久保の机に紙を置いたのを見て言葉を途切れさせた。

 そして、紙に書かれている内容を見て目を見開いた。


「…………こ、これはどういうことですかッ!」


 初めて長久保が明らかな動揺を見せて声を荒らげた。そして、手に持った紙を理事長の母親に突き出す。その紙には太文字でこう書かれていた。


『センシビリタ高校刻雨分校設立のご案内』


「私に電話があったのは今月の初めでした。刻雨高校の現状を私に訴え、電話の主は私に言ったのです。センシビリタ高校の分校を作ってほしいと。初めはびっくりしましたが、その電話の主は必死な様子で私に尋ねました。刻雨高校の敷地と校舎の所有者は私ですかと」


 ふっと笑った理事長の母親は話を続ける。


「分校なら、新しく学校を作るよりも容易いはず。学校の所有者が私なら、刻雨高校の校舎を使えるはず。そう電話の主は私に訴えました。そんなに簡単な話ではないのですが、私は心を動かされました。貴方が子供だと侮った一人の人間が、学校を作ろうと考えたのです」

「多野ッ! 貴様の仕業かッ!」


 長久保が手に持っていた紙を破って俺に投げ付ける。


「本日をもって、刻雨高校に敷地及び敷地内の建物全ての使用を禁止します。この敷地と敷地内全ての建物は、センシビリタ高校刻雨分校の施設です。長久保さん、貴方はすぐにこの施設から退去してください。センシビリタ高校刻雨分校の職員ではない貴方は部外者です」

「そんなバカみたいな話はあるか!」


 机の上に載ったものを、机の脇に弾き飛ばしながら長久保は吠える。しかし、理事長の母親は毅然とした態度で視線を長久保に向け続ける。


「本日退学した全生徒のうち、希望者はセンシビリタ高校刻雨分校で全員受け入れます。そして、退職された先生方も希望されるのならセンシビリタ高校刻雨分校の職員として採用します。使用施設を失った刻雨高校の経営継続は困難でしょう。幸い、今は夏休みですから、刻雨高校に在学中の生徒さんと在籍中の先生方には、こちらから受け入れの案内をさせていただきます」


 理事長の母親がそう言い終えると、放心状態の長久保がドサッと音を立てて椅子に座る。


「ここからは経営者としての話ですから、皆さんはお帰りいただいて結構ですよ」


 柔らかい笑みを浮かべる理事長の母――新しい理事長に、俺は深々と頭を下げた。


「本当に、私の突拍子もない思い付きに巻き込んで申し訳ありませんでした」

「いえ、多野さんや他の生徒さん先生方から聞いた現状は私も看過出来るものではありませんでした。それに、学校を変えようという考えが、生徒から出たことに私は感動したのです。やはり、多野さんを良い生徒だと思った私の目に狂いはなかった。さあ、せっかくの夏休みです。思う存分楽しみ、そしてしっかり勉強に励んでください」

「はい。ありがとうございました」

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