【一〇九《晴れぬ吹雪》】:二
「分かりました。ところで露木先生達は、午後何するんですか?」
「職員も当然待機。何もやることないんだけどね」
露木先生が困った笑顔を浮かべていると、俺の後ろから凛恋が顔を出す。
「露木先生、何もやることないならみんなで話しませんか?」
「うーん」
「お菓子もありますよ?」
「お邪魔しまーす!」
お菓子に釣られたわけではないだろうが、露木先生がニコニコ笑いながら部屋へ入ってきて、端に仕舞っていた椅子をベッドの方に向けて座る。そして、お菓子を一つ摘んで俺を見た。
「それで? みんなで何の話をしてたの?」
「筑摩がモテるって話をしてたんですよ」
「筑摩さんは可愛らしいからね。男子に人気があるのは当然じゃないかな?」
「そんなこと言ったら、露木先生だってナンパされてたじゃないですか~」
「あれは困ったね。大学生だと思われちゃってたし」
教師と言っても同じ女性であるからか、露木先生は相変わらず違和感なく会話に溶け込んでいく。
「露木先生は男子に告られることとかないんですか?」
その質問を萌夏さんがすると、露木先生は困った表情をしてお菓子を口に放り込む。
「うーん……あるけど、誰からっていうのは内緒にさせて。相手の子のこともあるから」
「へぇー、やっぱり露木先生もモテるんですねー」
「告白してくれることは嬉しいんだけど、正直に言うと告白されても応えられないから困っちゃうかな。断る時に傷付けないように気を付けてはいるけど、それでも全く傷付けずに断わるのは難しいことだし」
露木先生の言葉と反応は当然だ。生徒と教師という関係で付き合うのは色々と不味い。余程、将来のことまで考えた真剣交際なら別だが、そうではないと生徒と教師の恋愛というのは難しい。
周囲の目もあるし社会的な目も厳しい。
俺は、人を好きになるのは仕方ないと思うし、恋愛くらい自由にすれば良いと思う。でも、そういう単純な話で物事が解決されるほど、人は人の粗には無関心ではない。
「じゃあ、生徒と教師じゃなかったら、付き合いたいって人居ました?」
「居ないかな。みんなまだ頼りないからね」
「これ聞いたら、露木先生ファンは号泣ね」
女性陣の話の間に入る技術は俺にはない。当然そんな技術は小鳥にもなく、二人してみんなが話すのを聞いているしかなかった。
午後も吹雪いて外に出られないとなると、しばらくこの女子会に同席させられる男子二人の構図は続くのかもしれない。
「もうすぐお昼の時間だから、みんな一旦部屋に戻ろうか」
「「「はい」」」
昼食の時間が近付き、露木先生がそう言って女性陣を撤収させる。
「多野くんと小鳥くん、私達が居たことは内緒にしておいてね」
「でも、良かったんですか? 男子の部屋に女子が居るのを黙認した上に自分もって」
「多野くんと小鳥くんは、問題になるようなことは絶対にやらない子達だからね」
「気を付けてくださいね。俺達のせいで露木先生が辛い立場に立たされるのは嫌なので」
俺がそう言うと、露木先生はニコッと笑って頷く。
「ありがとう。今度は、もっと気を付けてみんなと遊ぶね」
露木先生達が歩いていくのを見送って振り返ると、小鳥が難しい顔をして部屋の床に視線を向けていた。
その小鳥に余計な声を掛けることなく、俺は自分のベッドの上に寝転がった。
昼食を一階の食堂で食べていると、目の前に男子が座る。その男子は入江だった。
「多野、ここ良いか?」
「良いかって、もう座ってるだろ」
「大事な話があるんだ」
「大事な話?」
入江から俺に話があるというだけで不自然なのに、大事な話と来た。
より一層、不自然さを感じる。
「これを見てくれ」
入江が見せたのは、スマートフォンの画面に映った画像だった。
その画像は石川の画像だ。そして、画像の場所はこのホテルの廊下だというのが分かる。
「これは?」
「佳奈子が撮ったんだ。この石川が立ってる部屋、八戸と赤城の部屋だ」
「何?」
「佳奈子がジッと見てたんだけど、周囲を警戒してから入っていったらしいぞ」
「それは無理だ」
俺はすぐに否定する。すると入江が眉をひそめた。
「何で無理なんだ?」
「凛恋達は他の班員と遊んでた。二人は午前中、自分達の部屋に居なかったんだ」
流石に、俺の部屋に来ていたなんて言うわけにいかない。だが、凛恋達が俺達の部屋に来ていた以上、凛恋達の部屋には鍵が掛かっていた。だから、石川が入ることは不可能だ。
それに仮に凛恋達が部屋に居たとしても、凛恋達が石川を自分達の部屋に入れるわけがない。
俺は視線を落として、両腕を組みながら視線を動かす。すると、入江の後方に居る有馬と目が合った。
それを見て、俺は入江に視線を戻す。
「見間違いだと思うが、凛恋に聞いてみる」
「部屋に彼氏以外の男を連れ込んでるのに、正直に言うと思うか?」
さっきの説明で納得したと思ったが、入江は全く納得していないというか、引き下がる気がない様子で俺に話を続ける。だが、俺は入江に首を振って否定する。
「それはあり得ない。凛恋がそういうことをするわけがない」
凛恋は男が苦手だ。それで男を部屋に招くわけがない。ましてや、石川なんてあり得ない。
「わざわざ済まないな。石川のことは注意しておく」
話を続ける意味は無いと判断して、俺はそう入江との話を切り上げる。すると、入江は席を立って俺に爽やかな笑顔を向けた。
「いや、気を付けろよ」
入江が歩いて行くのを見送り、腕を組んで視線を入江と有馬に向ける。
入江がわざわざ俺にあんな話をしてくるのは不自然だ。
もしそれが、凛恋に気を付けるようにという趣旨の話なら、入江が平田佳奈子さんの彼氏だとしても、平田さんはまず凛恋達の友達グループに拡散するに決まっている。
『凛恋、石川が部屋の前に来てた話は平田さんから聞いたか?』
『えっ? 聞いてない』
スマートフォンでメールを送ると、すぐに凛恋から返信が返ってくる。
『戸締まりは気を付けろよ』
『うん。午後も凡人のところに行きたかったのに……』
凛恋の落ち込んだようなメールが返ってくるが、真実か嘘かは別として、凛恋の周りを石川がうろついているかもしれないのに、出歩かせるわけにはいかない。
不安にさせてはしまうが、何も備えないよりかは遥かにマシだ。
凛恋の方は大丈夫として、あとは入江が何を企んでいるかだ。
そして、少なくとも有馬が絡んでいるのは分かる。が、何故、入江と有馬が凛恋の部屋に石川が行ったことをわざわざ言いに来たのか。
普通の人間なら「親切な人だ」と思うのだろう。だが、俺がそういうおめでたい性格でないのと、入江と有馬との関わりで良い経験がないことが、すんなり人を信じさせない。
そこで問題なのは、何故今更入江と有馬が関わって来るのか。そう考えて、俺は一つの答えに行き着く。
有馬は溝辺さんと付き合っていた。もし有馬が溝辺さんに対して未練があるとすれば、俺に関わってくる理由も分かる。
昨日、溝辺さんは小鳥に告白した。もしその話が有馬の耳に入ったとしたら、溝辺さんのことがまだ好きな有馬は面白い話じゃない。
俺が凛恋の周りに石川の影があると聞けば、俺は凛恋を心配して凛恋の部屋に行く。
その間に、小鳥と何かをする気だろう。ただ小鳥と一対一で話したいだけなのか、それとも小鳥を一人にして何か企んでいるのか。
そう考えてみたが、好意的な解釈はし辛い。好意的なことなら、わざわざ俺を小鳥から離すような工作はやらないはずだ。ただ単に、部屋へ来て話があると言えばいい。
「小鳥くん、午後暇?」
「えっ? 何も用事はないけど……」
俺が考え事をしていると、明るい笑顔をした溝辺さんが小鳥の隣に座る。
「お土産一緒に見に行かない?」
「う、うん」
小鳥は戸惑っているが、グイグイと積極的にアピールしてくる溝辺さんに気圧されて承諾した。
「里奈」
「……何?」
小鳥と溝辺さんが席を立つ前に、溝辺さんの後ろに有馬が立って声を掛ける。
その有馬に、溝辺さんは酷く嫌悪感に満ちた表情と声を向ける。その様子を見て、もう溝辺さんが有馬に対して一ミリも好意を持っていないのは明らかだった。
「俺達も一緒に――」
「ごめん。私、小鳥くんと二人が良いから」
「小鳥はどうなんだ?」
「えっ!?」
あまり急かす気はなかった。でも、このままここで溝辺さんと有馬の攻防を見ているわけにはいかない人物が居る。それは、小鳥本人だ。
もし、小鳥が溝辺さんと付き合う気なら、ここで溝辺さんと付き合うと宣言しなくても、有馬の同行を拒否すべきだ。
そして、付き合う気がないのであれば、同行を容認するという意思表示をしなければいけない。
いくら溝辺さんが、小鳥の大人しいところが好きだとしても、自分の彼女に言い寄る男を放置する彼氏なんてあり得ない。
それに、周りから鈍感だと言われる俺でも、溝辺さんが有馬に対して好意的ではないと分かった。
そういう相手と彼女と不必要に関わらせるのも、彼氏としてはどうなんだろうと思う。
「溝辺さんと……二人がいいです」
「そういうことだから、遠慮してくれる?」
溝辺さんは小鳥を見てニコニコ笑った後、有馬に晴れやかな笑顔を向ける。その笑顔を受けた有馬は、右手の拳を握って溝辺さんの前から立ち去った。
「小鳥くん、行こう。多野くんごめんね。小鳥くん借りていく」
「好きなだけ連れ回してくれ」
小鳥の手を自然と掴んで歩いて行く溝辺さんと、溝辺さんに手を引かれて真っ赤な顔をしている小鳥を見送る。
「複雑そうな顔してるね」
「萌夏さん」
小鳥が座っていた椅子に萌夏さんが座り、歩いて行く溝辺さんと小鳥の後ろ姿を見ながら微笑ましそうな笑顔を向ける。
「凡人くんは真面目で純粋だから、やっぱり複雑だよね」
「小鳥が良いなら、それで良い」
「凡人くんはやっぱり真面目だ」
ニコッと笑った萌夏さんが、笑顔を消して真剣な表情を向ける。
「凡人くん、少し話を聞いてほしいんだけど」
「良いけど、場所は何処にする?」
「凡人くんの部屋で良い? ……ちょっと、みんなには言い辛いことで」
「分かった」
俺が席を立つと、萌夏さんも席を立って俺に付いてくる。
話を聞いてほしいという言葉に不安を覚える。話を聞いてほしいということは、萌夏さんが何か困っているということだ。
エレベーターに乗って俺の部屋があるフロアに行くと、俺の部屋の前に凛恋が立っていた。
「凛恋は私が呼んだの。流石に、凡人くんと部屋に二人きりになるわけにはいかないから」
「萌夏……大丈夫?」
「うん……」
俺がカードキーを使ってドアを開けると、萌夏さんが何かに耐え切れずその場に座り込む。
「萌夏さん!?」
「ごめんね…………昨日、全然眠れなくて……」
「えっ?」
午前中、萌夏さんはいつも通り元気に明るく笑っていた。だから、昨日眠れていないなんて知らなかった。思っても見なかった。
「萌夏、とりあえず座ろ」
「ありがとう、凛恋」
凛恋は萌夏さんの肩を支えて俺のベッドに座らせる。
「何か飲み物を買って――」
「凡人くん、行かないでっ! ご、ごめん……」
俺は席を外そうとした。しかし、萌夏さんが手を掴んで俺を引き止める。そして、焦ったように手を離す。
「萌夏……どうしたの?」
「寝ようとしたら……あいつに触られたことを思い出して……」
「萌夏、何で昨日言わなかったの? 私の部屋に来れば良かったじゃん……」
凛恋は萌夏さんの背中を何度も撫でながら、涙を流して唇を噛む。
「遅かったし、みんなに迷惑掛けたくなかったから……」
萌夏さんは両手で顔を覆って俯く。
「ごめんね……凛恋……凛恋も聞きたくない話なのに……何度も……」
「大丈夫! 萌夏が一人で抱え込む方がダメだから」
「凛恋……凛恋ッ!」
凛恋に必死にしがみつく萌夏さんから目を逸らさず見続ける。
凛恋も心に深い傷を負っている。だが、それは萌夏さんもだ。二人とも男の醜悪さの被害に遭った。
同じだから分かることがある。でも、俺には二人の気持ちを完璧に分かることが出来ない。
それは、俺が男で、俺が凛恋と萌夏さんと同じ状況になれないからだ。だから、今の萌夏さんの力になれるのは俺ではなく凛恋だ。
「凡人……萌夏をギュッとしてあげて」
立ち上がった凛恋が、涙を拭いながら立ち上がり、俺と萌夏さんに背を向ける。
「友達を励ますために抱きしめるだけだから。それは浮気じゃない」
「ありがとう……凛恋……」
萌夏さんがゆっくり俺の胴に手を回してそっと俺を抱きしめる。その萌夏さんの背中に、俺は躊躇いながら手を回した。
「凡人くん……もっと強く抱きしめて。お願い……強く抱きしめて、あいつに触られた感触、消して……お願い……」
俺は手に力を込める。萌夏さんの柔らかさと温かさを感じながら、それよりも強い萌夏さんの恐れと震えを感じた。
萌夏さんは、俺のベッドで眠っている。睡眠不足の上に泣き疲れたからか、すぐに眠ってしまった。
「…………本当、男って最低」
「凛恋…………」
「何で我慢出来ないのよ……何で、自分が好きだからって思い通りにしようとか考えるのよっ……」
「凛恋……」
並んで小鳥のベッドに座り、俺は凛恋の肩を抱き寄せて擦る。
「ごめん……分かってるの。男の人がみんなそういう人じゃないってことくらい……でも……」
「俺の前で建て前は要らない。凛恋の本音だけで良い」
「…………私達を傷付ける男、全員消えちゃえば良いのに」
「そうだな。俺だって、俺の大切な人達を傷付けるやつらは消えて無くなれば良いと思う」
凛恋の肩を擦りながら、空いている手の拳を握る。
「……凡人」
「大丈夫。凛恋には俺が居る。萌夏さんにも、俺や凛恋が居る」
「うん。でも……萌夏にも凡人が必要なんだよ……だけど、嫌なの……それは絶対に嫌。私……わがままかな?」
「わがままなんかじゃない。普通だ」
凛恋が思うことは普通だ。俺だって、他の男と凛恋が触れ合うなんて考えたくもないし許すわけがない。
俺は、凛恋の体に他の男が触れるなんて耐えられない。でも、凛恋はそれを萌夏さんに許した。それは、とても苦渋の決断だったに決まっている。
「凡人……私もしばらく居て良い?」
「良いに決まってるだろ。それに、二人ともちゃんと部屋まで俺が送る」
「ありがとう……やっぱり凡人は優しくて格好良い」
優しくて格好良い。そう凛恋は褒めてくれる。でも俺はまだ、萌夏さんはおろか、凛恋の心に吹雪いた吹雪さえも晴らすことは出来ていない。
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