【八九《蝕(むしば)む》】:二

 学校に戻って、俺は露木先生と数人の先生と一緒に栄次から送ってもらったサイトを見て警察に通報した。

 警察はすぐに来て、盗撮された場所を調べたが、隠しカメラのような物は無かった。


「…………露木先生、すみません」

「ううん……大丈夫」


 俺は椅子に座って俯く露木先生に謝った。

 例のサイトで盗撮されたのは生徒だけではなかった。露木先生も、盗撮の標的にされていたのだ。

 それを知らなかった俺は、露木先生を無意味に傷付けてしまった。


「早く知らせてもらって良かった。もっと沢山盗撮されたかもしれなかったから」

「本当にすみません」

「謝らなくて良いよ。多野くんは被害者がこれ以上出ないようにしてくれたんだから」


 サイトは警察のサイバー犯罪科の人がすぐに凍結してくれたようで、今では観覧することが出来なくなっている。


「後は警察に任せて、多野くんは家に帰った方が――」

「露木先生は? 帰りは一人ですか」

「えっ? うん、いつも一人だけど」

「じゃあ、露木先生の家まで送ります」


 露木先生は戸惑っているが、もうすぐ下校時間。露木先生もそろそろ帰る時間だ。ということは、暗い道を一人で帰るということになる。


 盗撮されたと知り、怖い思いをしている先生を一人で帰らせるわけにはいかない。

 いくら露木先生が大人だと言っても、女性であるのは大人も未成年も変わらない。

 それに、俺には露木先生を怖がらせてしまったという責任がある。


「私は大丈夫だから、多野くんは心配しなくて良いよ」

「だったら、タクシーで帰ってください。足が震えてます。その状態じゃ一人で帰れないはずです」


 露木先生の両足は小刻みに震えている。その震えが、恐怖によるものだというのは明らかだ。


「分かった。今日はタクシーで帰るから、多野くんは安心して帰って」

「分かりました。じゃあ、俺は先に失礼します」

「うん、また明日」

「はい、また明日」


 俺は露木先生に頭を下げて、音楽準備室を後にした。

 真っ暗な刻雨高校の校門前、バッグを肩に掛けた露木先生が、俺を見て目を見開いている。


「多野くん、どうして」

「俺はひねくれてるんで、人の言葉は鵜呑みにしないようにしてるんです。露木先生こそどうして歩きで帰ろうとしてるんですか?」


 俺がそう言うと、露木先生は困った表情をする。


「多野くん、学校裏サイトに私の評価が載ってたのは知ってる?」

「はい。でも、サイトは見てないので――」

「私、彼女の居る多野くんと浮気してるんだって」

「はっ?」

「そういう書き込みがあって、多野くんと二人きりで帰るのは良くないの。私にとっても、もちろん多野くんにとっても」

「そんな事実無根の書き込みなんて気にしなくても――」

「そういう噂が立つことが良くないことなの。もし、八戸さんがこのことを聞いたら悲しむでしょ?」


 自分の評価も他人の評価も見ていない俺は、そんな書き込みがあったなんて知らなかった。


「多野くんの言葉は凄く嬉しいし、私のことを心配してくれる気持ちも凄く心強い。でも、やっぱり、生徒と教師は仲良くし過ぎるのは良くないみたい。…………私は……生徒と友達みたいに仲良くなれる先生になりたかったんだけどな……」


 露木先生は乾いた笑いを浮かべる。でも、その笑いが、偽りの笑みだというのは誰が見ても分かる。

 露木先生の瞳からは、ポトリポトリと涙が落ちる。


「私、特定の誰かを贔屓したことなんてない。でも、生徒からは特定の誰かを贔屓してるように見られてるみたい」

「露木先生はクラス全員に平等に接してるじゃないですか。そうしようとして無理してる時もありますけど」


 露木先生が誰かを贔屓してるわけがない。

 そんなこと、露木先生と話したことがある人なら分かりきっていることだ。だから、露木先生が贔屓してるなんて言う人間は、露木先生とまともに話したことがない、露木先生のことを全く知らない人間に決まってる。


「…………私ね。生徒も教師も見境なく、甘えた声で男の人を誘ってるんだって……私、そんなこと……してないよ……」

「露――」

「露木先生がそんなことしないって、私達は知ってますっ!」


 突然、横からその声が聞こえて振り向くと、そこには凛恋と希さん、そして栄次が居た。


「露木先生は私が出会ってきた中で一番良い先生!」

「私も露木先生は凄く良い先生だって思ってます」


 凛恋と希さんが露木先生の元に駆け寄り、二人で露木先生の両側を挟んで励ます。


「悪く言う人達のことを気にして、良いところを消しちゃうなんてダメです。私は今の露木先生が大好きなんです。露木先生は、私がストーカーで落ち込んでいる時、ずっと励ましてくれました。先生でそんなことしてくれたの、露木先生が初めてです」

「私も、上履きが壊された時、露木先生がずっと側に居てくれて凄く心強かったです。露木先生とは毎日お昼を食べて毎日話をしてたから、他の先生じゃなくて露木先生だから信頼出来ました」

「八戸さん、赤城さん…………」


 露木先生は手の甲で何度も目を拭いながら、凛恋と希さんの名前を口にする。そして、凛恋の肩に額を載せて小さくすすり泣く。


「カズの嘘なんて、凛恋さんに通じるわけなかった」

「…………凛恋は?」

「全部知ってる。あの盗撮された画像のあったサイトも全部見た。希と一緒に」

「…………そうか」


 近付いてきた栄次の言葉にそう答えると、栄次は俺の肩を叩いて俺を励ました。

 俺を励ます必要なんてなかったが。


「盗撮画像のサイトには、カズ達のクラス担任をしてる先生の画像が多かったんだ。それで、凛恋さんと希が先生が心配だから学校に戻るって聞かなくて。カズが行ったから大丈夫だって言ったんだけど、凛恋さんがカズのことも心配だって。その…………裏サイトの先生に対する評価の書き込みに、カズの名前も出てたから」

「そっちにも書かれてたのか…………」


 栄次の言葉に俺は落ち込んだ。

 俺と露木先生は普通に接していた。確かに、その辺の生徒と教師にしては、気軽に話していたかもしれない。でも、それは互いにそう接しても大丈夫だと判断していたからだ。

 そこには、俺と露木先生の信頼関係があった。

 それを、ただ上っ面だけしか見てないやつが、勝手な妄想と解釈の結果を、さも事実かのように書き込んで拡散した。

 そのせいで、俺は学校で数少ない信頼出来る教師を失い、露木先生は教師としての長所を消されるところだった。


「希さんは大丈夫なのか?」

「ショックは受けてた。でも、自分よりも先生の方が辛いからって」

「そうか。優しい希さんらしいな」


 俺はそう言いながらも、右手の拳をギリギリと握り締める。

 たとえ、限られた人数しか見ることが出来なかったとしても、不特定多数の人に恥ずかしい姿を見られ、不特定多数の人からいわれのない誹謗中傷を受けた人が居る。

 でも、そうやって人を傷付けたやつらは、自分が誰かを傷付けたという自覚もなく、この世の何処かで平然と暮らしている。

 それがどうしようもなく悔しくて、何も出来ない自分が、どうしようもなく不甲斐なかった。




 凛恋、栄次、希さんと一緒に露木先生を送った後、俺は凛恋を家に送った。そして、今は自分の家に居る。


 爺ちゃんと婆ちゃんはいつも通り温泉に行っていて、田丸先輩は……もうこの家には居ない。

 前までは一人で居ることに寂しさなんて感じなかった。でも、今は一人で居ることに心細さを感じる。


 不甲斐ない自分が、誰かを助けようと、守ろうとすることが滑稽に思えてくる。

 そんな出来もしないことをやろうとする自分が酷くアホらしく見える。


 露木先生は送り届けた時、俺に何度も謝っていた。でも、謝る必要なんてなかった。

 誰だって怖い思いをして、自分が自信を持っていたことを否定されれば取り乱す。

 それを、大人だからとか教師だからという理由で、絶対的に制しなければならないわけじゃない。そんな理不尽なことはない。


 今は凍結されて閲覧も書き込みも出来ない、盗撮された画像の載っていたサイトでは、書き込みを行う不特定多数の人間達が交わす会話があった。


 それは本来、男子の内輪で交わされるような会話だ。

 絶対的に、女性に対して発する会話じゃない。でも、それが女性でも閲覧出来る状態にあった。しかも、会話のネタにされている女性自身が。


 でも、一番悪かったのは俺だ。一番、大人だからとか教師だからという理由で、露木先生のことを軽視したのは俺だ。

 ちゃんと、露木先生のことを考えていれば、盗撮された画像の載ったサイトなんて、女性の露木先生には見せなかった。露木先生を傷付けたのは俺だ。


「…………露木先生?」


 テーブルに置いたスマートフォンが震え、画面に露木先生の名前が表示される。

 俺は、少し躊躇いながらも、恐る恐る電話に出た。


「もしもし」

『多野くん、夜遅くにごめんね』

「いえ、今日は本当に申し訳ありませんでした」

『ううん。大丈夫、もう落ち着いたから。私の方こそ取り乱してごめんなさい』

「いや、当然です。あんなものを見て、平常心で居られる女性は居ません」

『ありがとう。…………それでね、多野くんにお願いしたいことがあるの』

「お願いしたいこと、ですか?」

『うん。明日からも、今まで通り気軽に接しても大丈夫?』

「もちろん、俺は露木先生に今まで通り気軽に接してもらった方が嬉しいです」


 露木先生の言葉にホッとした。

 露木先生は気軽に生徒と接する。それが親しみがあり、露木先生と接する生徒にとっては話しやすさを作っていた。

 気軽に話し掛けられるから相談もし易いし、意思の疎通もし易い。特に俺は、露木先生くらいしか、信頼出来る先生は居ない。


『家に帰って冷静になって分かったの。多野くんだって辛かったことを』

「俺は何も辛いことなんて――」

『ううん。多野くんは、私のせいで色々酷いことを書かれてた』


 露木先生が彼女の居る俺と浮気している。と書き込まれていたように、俺も彼女が居るのに浮気していると書き込まれていた。

 親が犯罪者ということを使って、露木先生を同情させたと書かれていた。しかし、もうその手の悪口は慣れた。


『多野くんは――』

「俺は大丈夫ですから。俺のことは心配しないでください」

『心配するよ。私の大切な生徒だし。それに、多野くんは凄く真面目な性格だから、余計に思い詰めちゃうし』

「真面目なのは露木先生でしょう」


 そう答えると、クスッと笑う露木先生の声が聞こえた。


『じゃあ、似た者同士ってことだね』


 真面目さが慕われている露木先生とは似ても似つかないのだが、まあ考え過ぎる質というのは似ているのかもしれない。


『私、今日以上に教師になって良かったって思えた日はない。私が正しいって思ってやってきたことが、八戸さんと赤城さん、それから多野くんにも届いてたから』

「ちゃんと露木先生と接して来た人には、ちゃんと全員に届いてますよ」

『うん! …………なんか、多野くんに慰められちゃったな』

「良いんじゃないですか? 生徒に慰められる先生が居ても」

『あっ! 多野くん、大人をからかうのは止めなさい』


 クスクス笑う露木先生の元気な声が聞こえて、俺は露木先生に言葉を掛ける。


「露木先生、明日からもまたよろしくお願いします」

『うん、こちらこそよろしくお願いします。ごめんね、夜遅くに長電話しちゃって』

「いえ、露木先生のことが心配だったんで、安心しました」


 俺がホッとしながら言うと、電話を切る直前、露木先生のため息が聞こえた。


『多野くんがこの調子だと、八戸さんは大変だなー』

「えっ?」

『ううん、じゃあおやすみなさい』


 そう言って電話は切られる。露木先生は、凛恋が大変とは言っていたが、深刻そうではなかったし呆れを感じている声だった。

 その呆れの正体は分からないが、露木先生が元気になったのは良かった。

 電話を切ったスマートフォンをテーブルの上に置き、ベットの上に再び寝転ぶ。


 学校裏サイトのアドレスを、暗号を使ったクイズで誘導し、そこには生徒教師を評価するようなシステムがあった。そして、その学校裏サイトを模した盗撮された画像を載せたサイトも作られた。


 学校裏サイトも盗撮画像のサイトも同じ人物が作ったとしか思えない。でも、そうだとしたら何故、あんなサイトを作ったのだろう。


 裏サイトの方は、単純に他人の評価を見て楽しみたかったのだろうか? 盗撮画像の方は、やっぱり女性の恥ずかしい姿が見たかったからだろうか?

 自分の理解の及ばない人間の行動を、どれだけ考えたって理解は出来ない。俺はそう割り切って目を閉じた。




 次の日、学校へ行くと、教室が大騒ぎになっていた。そして、全員が自分の席に座り、コピー用紙を手にして口々に話している。


「みんな、何してるんだろう?」


 希さんが教室の様子を見渡して首を傾げる。俺達は疑問を持つものの、とりあえず自分の席につく。

 すると、机の棚に大きな茶封筒が入っていた。


「何だこ――」

「キャアッ!」


 その茶封筒を手にして首を傾げた瞬間、凛恋が大きく悲鳴を上げる。


「凛恋! どうした!?」

「凡人っ!」


 凛恋は体を震わせて俺に抱きつき、必死に俺にしがみついてくる。俺は凛恋の背中を擦りながら、凛恋の机の下に落ちているものを見た。

 それは俺の机に入っていた茶封筒と同じものだった。

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