【八一《善悪の迷い》】:一
【善悪の迷い】
目の前に座る栄次が、苦笑いを浮かべてテーブルの上を見る。栄次の隣に座る希さんは、栄次が見ている物を見てクスクスと笑っている。
「カズ、お土産を買ってきてくれるのは嬉しい。でも流石にこれは対象年齢が低すぎないか?」
栄次の目の前にあるのは、ロンドン名物の赤い二階建てバスの形をした置物、しかし、ちゃんとバスの車輪が回るようになっているから、ミニカーとしても使える代物だ。
「栄次くん、二階部分を持ち上げてみて」
俺の隣でクスクス笑っていた凛恋が、栄次にそう促す。栄次は凛恋の言葉を聞いて首を傾げながら、ゆっくりとバスのミニカーの二階部分を上に引っ張った。
「えっ?」
栄次が引っ張った二階部分は簡単に外れ、空洞になっていたバスの中が見える。そして、そのバスの中には、別で買った紅茶の箱が入っている。
「最初はミニカーにしようと思ったんだけど、凛恋がミニカーだけじゃダメだって言うから、ミニカーっぽい入れ物に入った紅茶にした」
「あの、これは私から……」
凛恋が恐る恐る栄次の前に大きな箱を差し出す。それは、イギリス名物ショートブレッド。
「向こうで凡人と一緒に食べたんだけど、凄く紅茶に合うから、良かったら家族の人と食べて」
「凛恋さんありがとう」
「うん」
栄次は明るく笑って凛恋にお礼を言う。栄次と話す時も、凛恋はだいぶ緊張しなくなっている。
それは栄次からも分かるのか、凄く栄次が嬉しそうだ。
「こっちは希さんに」
「ありがとう!」
俺が綺麗にラッピングされた箱を希さんに差し出すと、栄次がチラッと俺を見る。
その視線は少し不満そうだった。どうやら、栄次と希さんのお土産の差に不満があるようだ。しかし、そりゃあ栄次は気を遣わないが、希さんに栄次と同じ扱いをするわけがない。
「わあっ! 可愛いっ!」
箱を開けた希さんが、箱の中から顔を出した熊を見て目をキラキラと輝かせる。
フサフサした白のテディベア。頭にはシルクハットを被り、首には蝶ネクタイを付けている。どっちもイギリス国旗柄をしている。
テディベアと言えばドイツなのだが、お土産屋で見た時に女の子の希さんは気に入ると思った。
「それ、私とお揃いなのよ。凡人が私にも色違いを買ってくれたの」
「そうなんだ! 凡人くんありがとう! 凄く嬉しい! 大事にするね」
ニコッと笑ってテディベアを抱き締める希さん。それを見ていた栄次は顔がニヤけていた。まあ、彼女+テディベア+笑顔の破壊力は高いから仕方がない。
「それで? 凛恋のペンダントはどうしたの?」
希さんが凛恋が首から提げたペンダントを目ざとく見付けて尋ねる。その質問に、凛恋が嬉しそうな顔をして答える。
「これ、凡人が私のために命を懸けて買ってくれたの」
「栄次、希さん、夜に凛恋のお父さんと買いに行っただけだから」
一瞬眉をひそめた二人に補足をすると、二人ともクスッと笑った。
八戸家の海外旅行から帰ってからすぐ、俺と凛恋は栄次と希さん、それから萌夏さんに連絡した。しかし、萌夏さんは家の仕事で出られないということで、後日お土産を渡すことになった。
凛恋は飛行機の中で寝たから目が爛々と輝いているが、俺は正直眠い。
凛恋は希さんにスマートフォンで撮った写真を見せて楽しそうに話している。
「カズ、ロンドンはどうだった?」
「めちゃくちゃ楽しかった。それに、凛恋が凄く楽しそうだった」
「良かったな。凛恋さん、本当に嬉しそうだ」
栄次がチラッと凛恋を見て微笑む。そして、凛恋から貰ったショートブレッドの箱に視線を落としてまた微笑んだ。
「カズ、時差ボケは大丈夫なのか?」
「ああ、まあ、眠いな」
「でも凛恋さんは元気そうだけど」
「凛恋は飛行機の中で寝てたからな」
「そうか。それだと夜が辛そうだな」
「まあ、夏休みだしな」
多少夜更かししても、明日学校があるわけじゃない。
ただ、あまり朝が遅いと、お母さんに怒られるだけだ。
まあ、凛恋や優愛ちゃんにとっては、怒られる”だけ”ではないのだが。
「カズ、今後の予定は何か決まってるのか?」
「今後の予定? そういえば何日か後に女子のお泊まり会が凛恋の家であるらしい。その時は家に戻るけど、後は花火大会くらいかな」
「希も言ってたな」
「凛恋には一緒にお泊まり会すれば良いって言われたんだけどな……」
「まあ、女子の中に男一人でお泊まり会っていうの色々困るかもな」
栄次が苦笑いで俺の心中を察してくれる。
栄次が思った通り、女子の中に男一人はかなり気を遣う。それに、凛恋以外の女子が俺に気を遣う。
それでは、女子の楽しいお泊まり会を台無しにする。
「そのお泊まり会の日に俺達は二人で出掛けないか?」
「俺は栄次とデートするつもりはないぞ」
栄次がいつになくニコニコ笑っている。それを見れば、栄次が何やら変なことを考えているのは分かる。
「ちょっと頼まれてさ、人手が足りないんだよ」
「そういうことか……。分かった、栄次の頼みなら仕方ないな」
「ありがとう、カズ」
詳細な説明が無いことに不安だが、栄次に頼むと言われたら無下に断ることも出来ない。
夏というのは一年で最も暑い季節で、当然照り付ける太陽の光も容赦がない。
こんなクソ暑い時期には、家の中でジッとしているのが得策だ。だがしかし、世の中にはそんな状況でも外に出たがる物好きも居る。
そして、そんな物好きは残念ながら、俺のような家でジッとしている派の人間よりも多く。その人間向けのイベントというのも開かれる。
特に、夏休みは……。
駅近くにある広い野外イベント広場で開催されているフードイベント。
そのイベントはいわゆるB級グルメの店が多数出店する大きなイベントで、当然規模に相応しい人出もある。
イベント会場にはイベント運営に雇われた警備員以外に警察官も出動して会場の雑踏警備が行われている。
そんな警備員と警察官のお陰で平和が保たれているイベント会場には、老若男女達の賑やかな声が響き、出店している店舗が調理した料理の香りが立ち込めている。
しかし、その人の熱気と店舗からの熱で、ただでも暑いイベント会場は灼熱地獄と化していた。
そんな会場を見渡しながら、俺は小さくため息を吐く。そして、吐いた息が顔に返ってきてムッとした感覚が顔を覆う。
俺は今日、フードイベントを楽しみに来たわけじゃない。
どちらかと言えば、フードイベントを盛り上げに来た、と言うのが正しいのかもしれない。まあ、盛り上げられているとは思わないが。
「お母さん、あいつダサい!」
前を通り掛かった五歳くらいの男の子が、俺を指さしてそう言う。そして、周囲を歩いている人達がクスクスと笑う。
「ケンちゃんダメよ。おじさんは暑い中お仕事してるんだから」
俺の姿を見てダサいと称したケンちゃんの母親らしき女性が、そう言ってケンちゃんをたしなめる。
言ってくれていることは気遣いに溢れているのだが、この傷付く感じは何なんだろう……。
俺は栄次の頼みで、フードイベントに出店する店の手伝いをしている。
手伝いと言っても日当一万円のアルバイトだ。しかし、このアルバイトが一万円で割に合っているかは分からない。
栄次の両親の知り合いが地域の商工会の会長をしていて、今回のフードイベントに商工会として冷やし蕎麦の店を出すことになったらしい。そして、商工会の会議で蕎麦のイメージキャラクターを考え、それで客寄せをしようと考えたそうだ。
しかし、そこで問題が起きた。
商工会のメンバーの娘が絵が得意で、会議で決まった方針に沿ってキャラクターのデザイン画をおこし、それを元に特注品のキャラクターのスーツを作った。だが、商工会の担当者のおっさんが手痛いミスをしてしまったのだ。
そのミスは……スーツのサイズ間違い。
おっさんは何を血迷ったのか、身長を一七〇センチで作る物を一九〇センチで発注したらしい。
二〇センチも差があれば、本来着るはずだった人が着るとブカブカになる。
そこで、身長が近い俺に白羽の矢が立てられたのだ。
俺が今着ているのは、特撮ヒーローにだいぶ影響された。いや、確実に特撮ヒーローをモチーフにしたキャラクター、手打ち戦隊オソバーマンであるオソバグレイのスーツである。
全身灰色でヘルメットの顔部分はザルをモチーフとしているのか網目状になっている。
見た目の評価は俺が見てもダサい。
おそらく、蕎麦の色が灰色だから灰色のスーツなんだろうが、ヒーローなのに全身灰色は地味だ。それにそもそも、戦隊なのに一人しか居ない。
俺はオソバグレイとして、冷やし蕎麦と書かれたプラカードを持っている。
やっていることはただそれだけだ。声を出して客引きもしない。
声を出すとキャラクターイメージが崩れるからやらないでほしいと言われたからだ。
一日黙ってプラカードを持っているだけで一万円は割が良いのかもしれない。しかし、このオソバグレイのスーツ、かなり通気性が悪い。
更に頭部はヘルメットに覆われていて、顔から頭から汗が吹き出ている。
「いらっしゃいませ」
栄次は店に立って明るい声と笑顔を振り撒き接客している。
まあ、人に話し掛けなければいけないことを考えれば、子供にダサいと言われる灼熱スーツの中の方がマシなのかもしれない。
前を通る来場客は家族連れが圧倒的に多く。
その中でちらほら男女の恋人同士らしき人達や、友人同士らしき集団が見える。
俺はこの手のイベントは、凛恋の誘いがなければ来ることはない。
「希、案内マップだとこの辺りだよ」
プラカードを持つ手を入れ替えて手を休めていると、ヘルメット越しに聞き慣れた声が聞こえる。さり気なくその声の方向に視線を向けると、若い女性の集団が居た。そして、先頭に立って歩いている溝辺さんの姿が見える。
「おっ! あれじゃん! 冷やし蕎麦」
溝辺さんの隣に立っている萌夏さんが、俺の隣にある店を指さす。
その二人の後ろには、並んで歩く希さんと凛恋の姿があった。
凛恋は希と手を繋いで辺りをキョロキョロ見ている。普通なら、凛恋がこんな人の多いところに出てくるわけがない。
多分、萌夏さん辺りが凛恋を人に慣れさせるために連れ出したのだろう。
俺は、雇い主の言い付けもあるが、こんな格好をしているのをさらけ出すのが嫌で、無言に徹することにした。
きっと栄次も空気を読んで俺の存在は隠してくれるに違いない。
目の前を萌夏さんと溝辺さんが通り過ぎ、希さんも凛恋も通り過ぎようとする。しかし、前を通り過ぎようとした凛恋がピタリと足を止めた。
「凛恋?」
凛恋と手を繋いでいた希さんは、立ち止まった凛恋を振り返って首を傾げる。
凛恋は、俺の方を向いて下から俺の顔を見上げていた。
「凡人、ここで何してるの?」
「えっ?」
希さんが驚いた声を上げ、俺も動揺したが何とか声は発しないように堪えた。しかし、外からは顔は見えないし声も発していない。
何故気付かれたのか分からない。
「この人、凡人くんなの?」
「うん。絶対に凡人」
凛恋は確信を持って断言している。しかし、その確信の根拠が全く分からない。
「カズ、凛恋さんと休憩して来いよ」
店から出てきて俺の方を叩く栄次に言われ、いつの間にか俺の手を握った凛恋と一緒に、店の裏に歩いて行った。
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