【六八《ずっと側に》】:二
凛恋が次に目を覚ましたのは八時だった。ちょうど回診に来た女医さんが居て、俺と凛恋のお父さんは外に出された。
病室の前を通る廊下に突っ立ち、すぐに体を支えきれずに壁へ背中を預ける。
「もし凛恋が退院出来れば、そのまま凡人くんの自宅にお邪魔させてほしい」
「分かりました。後で家に電話します」
「とりあえず、一週か――」
「出来れば、凛恋が安心して生活出来るようになるまで側に居させて下さい。凛恋のお父さんとお母さん、それから優愛ちゃんが良ければですが。もちろん、話は俺が直接爺ちゃんと婆ちゃんにします」
「分かった。家内と優愛に確認してみよう。聞かなくても、二人は歓迎すると思うがね。先に私が確認してくるよ」
「はい」
凛恋のお父さんが歩いて凛恋の病室から離れていく。
多分、電話をしても差し支えのない場所に移動したんだろう。
流石に、ずっと寝ずに居るのは体に応える。でも、眠れるほど安心出来なかった。
凛恋が一度目に目が覚めた時、凛恋は怯えていた。そんな状態の凛恋から目を離すのが怖かった。
また……俺のせいで凛恋に怖い思いをさせてしまうのが恐ろしかった。
「八戸凛恋さんのお父様はどちらにいらっしゃいますか?」
凛恋の病室から出て来た女医さんが、入り口の脇に突っ立つ俺へ尋ねる。
「今は、電話をするために外しています。すぐに戻って来られるとは思いますが」
「そうですか」
女医の先生はファイルを体の前で持って、俺とは反対側の入り口の脇に立ち止まる。
どうやらここで、凛恋のお父さんが戻ってくるのを待つつもりらしい。
「あの……もう中に入っても大丈夫ですか?」
「はい。もう回診は終わったので大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
女医さんの許可を得て、俺は病室のドアを開けて中へ入る。
病室はカーテンが大きく開かれていて、窓の外から明るい日光が差し込んでいる。
ベッドの上ではリクライニングを起こして背中を預ける凛恋が居た。
「凛恋、おはよう」
「凡人……どうして?」
「ずっと側に居るって言っただろ」
「でも……家に帰らないと」
「昨日のうちに爺ちゃんには電話してるから大丈夫だ。凛恋を一人にするわけないだろ」
「凡人……」
凛恋の脇に座り、俺はすぐに凛恋の手を握る。すると、凛恋は体を俺の方に近付けて唇を俺に突き出した。
その凛恋の唇に軽く自分の唇を触れさせ、ゆっくりと唇を離して凛恋の体を抱き締める。
「凛恋のお父さんに、しばらく凛恋と一緒に生活させてほしいってお願いした」
「えっ? パパは、なんて?」
「一応、認めてくれた。今は凛恋のお母さんと優愛ちゃんに確認を取ってる。今日の昼、凛恋のお父さんと一緒に爺ちゃんと婆ちゃんにも話して許可をもらう」
「私も! 私もお爺ちゃんとお婆ちゃんにお願いする!」
「凛恋がお願いしたら、爺ちゃんはすぐに認めてくれそうだな」
凛恋の明るい表情を見て、俺は嬉しくなって凛恋の体を強く抱き締める。良かった、凛恋の笑顔は消えてない。
「凡人がずっと側に居てくれるなんて夢みたい」
「夢じゃないぞ。ちゃんと現実だ」
「うん! 先生がすぐに退院出来るって言ってたし、今すぐ家に帰りたい!」
「慌てるなって、先生が凛恋のお父さんに話があるみたいだったし、退院の説明とかしてからだろ」
点滴も外れた凛恋はベッドから下りようとするが、俺は凛恋の肩を掴んでベッド上に留まらせる。
「別にもう大丈夫だし! 早く凡人のお爺ちゃんお婆ちゃんに許可をもらわないと、凡人と一緒に居られる時間が減っちゃう!」
俺の顔を必死な表情で見上げる凛恋に、俺は優しく頭を撫でて笑い掛ける。
「早く許可をもらってももらわなくても、俺はずっと凛恋の側に居るんだから同じだろ?」
凛恋の退院手続きを済ませ、俺達は一度凛恋の家に行った。
凛恋のお父さんが凛恋のお母さんに電話した時、どうしても一緒に俺の家へ行きたいと言ったからだ。
それで俺の家に着き、居間で爺ちゃんと婆ちゃんを正面にして俺は頭を下げた。
「凛恋の側に居させてほしい」
「お爺ちゃん、私からもお願いします! 凡人に側に居てほしいんです! 昨日も凡人が居てくれたか安心して眠れて!」
爺ちゃんは両腕を組んで俺を見る。その目は怪訝そうな顔だった。だが、小さく息を吐いて視線を俺から凛恋のお父さんとお母さんに向ける。
「しばらくの間、孫がお世話になります。何でもこき使って下さい」
「ありがとうございます」
凛恋のお父さんとお母さんが深々と頭を下げる。
「爺ちゃん……ありがとう」
俺も爺ちゃんに頭を下げて、視線を婆ちゃんに向ける。
「凡人、凛恋さんをちゃんと支えてあげなさい」
「分かってる。ありがとう婆ちゃん。俺は、荷物の準備をしてくる」
「私も凡人を手伝ってくる!」
爺ちゃん婆ちゃん、凛恋のお父さんお母さんを居間に残して、俺と凛恋は俺の部屋に行く。
部屋に入ると、凛恋が俺の横を通り過ぎて、俺のボストンバッグを引っ張り出し着替え等を詰め込んでいく。
「凛恋、そんなに焦らなくても良いって言っただろ?」
俺よりも俺の物が何処にあるのか知っているように、凛恋は迷うことなく着替えをテキパキと畳んでいく、俺は、とりあえず学校で使う物を通学用の鞄に詰め込み、後ろから凛恋の背中を見詰める。
凛恋は着替えを詰め終えると、凛恋はふうっと息を吐いてバッグを持ち上げる。その凛恋の手からボストンバッグを取ると、凛恋は手を伸ばして俺から奪い返そうとする。
「私が持つ~」
「彼女に荷物を持たせるわけないだろ」
「持たせてよ。凡人が私のために色々してくれてるのに、私……何も出来てないし……」
「凛恋は普通にしてくれるだけでいいって」
俺が凛恋をたしなめながら言うと、凛恋はぷくぅっと両頬を膨らませる。
凛恋を連れて居間に戻ると、凛恋のお父さんとお母さんが立ち上がる。
「凡人、ご迷惑をお掛けするんじゃないぞ。しっかり家の手伝いもやりなさい」
「ああ、爺ちゃんも婆ちゃんもありがとう」
「ありがとうございます」
丁寧に凛恋が頭を下げると、爺ちゃんは緩んだ顔をした。でも、凛恋の手は小刻みに震えていて、男性恐怖症が改善されたわけではない。
それでも、爺ちゃんは嬉しかったんだろう。
家を出て、八戸家の車に乗り込むと、凛恋のお母さんが振り返って俺の方を見る。
「凡人くんは二階の一番奥に空いてる部屋があるからそこを使って。いつも泊まりに来た人のためにベッドを置いてあってすぐに使えるから」
「ありがとうございます。今日からしばらくお世話に――」
「えー、凡人は私の部屋でいいじゃん!」
俺の言葉を遮って、凛恋が不満そうな声を凛恋のお母さんに向ける。しかし、凛恋のお母さんは凛恋をキッと睨み返した。
「駄目よ。いくら二人がお付き合いしてると言っても、親として同じ部屋に住ませることは許せません」
凛恋のお母さんの言い分は当然だ。いくら凛恋のお母さんが俺のことを信頼してくれてると言っても、自分の娘と男を一緒に住まわせるわけがない。
「凡人が一緒じゃないと不安なんだし……」
「裕子(ゆうこ)、凛恋は凡人くんと一緒の方が――」
「あなた、いくら凛恋が心配でもそこまで甘やかしては駄目」
凛恋のお父さんは、凛恋のお母さんに強い口調で言い含められて黙り込んでしまう。
隣に座る凛恋が俺の手を握ってうるうるとした瞳を向けてくる。
どうやら俺からも頼んでほしいと訴えているのだろう。でも、俺は凛恋のお母さんの言い分が正しいと思っているから、何も言わずに凛恋の頭に手を置いて撫でる。
「優愛ちゃんは家に一人なんですか?」
「そうよ。優愛には凡人くんが使う部屋の掃除をしてもらっているの」
「すみません。俺のわがままでご迷惑をお掛けして」
「迷惑なんて思ってないわよ。うちは女の子二人だから、凡人くんが来てくれたら息子が増えたみたいで嬉しいの」
凛恋のお母さんがニコッと笑う。その笑顔は凛恋にそっくりだ。
凛恋の家に着くと、凛恋のお父さんとお母さんが荷物をさっさと持って行ってしまい、俺は申し訳無さを感じながら凛恋と一緒に家の中に入る。
「凡人さん!」
「優愛ちゃん、今日からお世話になります」
「凡人さんなら大歓迎! ねっ? お姉ちゃん」
「優愛、凡人が来たのは私と一緒に居るためなんだから、優愛に構う余裕は無いのよ」
「えー! 凡人さんとファンフュー漬けの毎日を送ろうと思ってたのにっ!」
玄関で凛恋と優愛ちゃんが話しているのを聞いていると、凛恋のお母さんが戻って来て二人に真顔を向ける。
「凛恋? 優愛? お客さんの凡人くんをいつまで玄関に立たせておくつもりなの?」
その凛恋のお母さんの言葉に、二人は背筋をピンと伸ばして素早く動き始める。
凛恋がさっと上がって俺の前にスリッパを出す。そして、優愛ちゃんはダイニングの方に駆け出した。
「凡人、上がって」
「ありがとう。お邪魔します」
スリッパを履いて凛恋と凛恋のお母さんと一緒にダイニングに入ると、優愛ちゃんが待ち構えたようにテーブルの上にお茶の入ったコップを置いた。
「凡人さん、ぜひ飲んで下さい!」
「ありがとう優愛ちゃん」
優愛ちゃんが出してくれたお茶を飲んでいると、ダイニングに凛恋のお父さんが入って来て俺の正面に座る。
「凡人くん、少し二階の部屋で休んだ方がいい。ろくに寝てないだろう」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて休ませていただきます」
凛恋のお父さんの言う通り俺は全く寝ていない。体も重く感じてきて、眠気の限界が近かった。
席を立つと凛恋も一緒に来てくれて、手を繋いで階段を上る。そして、いつも立ち入らない部屋の前に行き、凛恋がドアノブを捻って開ける。
部屋の中は優愛ちゃんが掃除をしてくれた後だからか、窓が大きく開けられて換気されていた。
部屋の中にあったベッドの上に腰掛けると、横に凛恋が座って俺の胴に手を回して抱き締める。
「凡人が眠るまで側に居る」
「ありがとう。凛恋が一緒に居てくれたらぐっすり眠れる」
凛恋の頭に手を伸ばそうとした俺は、その手を途中で止めて凛恋の頬に添える。
凛恋の柔らかく滑らかな頬を親指の腹で撫で、そっと軽くキスをした。
「おやすみ凛恋」
「うん。おやすみ、凡人」
凛恋からも軽いキスをしてくれて、俺は凛恋に手を握られたままベッドの上に体を寝かせた。
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