【五八《最後の最後に信じられなかった人》】:二

 また一週間の学校生活が始まる月曜日。学校で二者面談があった。


 机を挟み向こう側には露木先生が座っている。そして、俺が提出した進路調査票を見てから、視線を俺に向けた。


「多野くんの志望は進学で、第一志望は塔成(とうせい)大学の文学部。今の多野くんの成績なら十分だね。進路指導部の先生は旺峰(おうほう)目指してほしいみたいだけど」


「国内トップの難関大学なんて行ける気がしませんよ」

「学年二位の多野くんが無理なら、旺峰大は生徒数が激減しちゃうんじゃない?」


 笑いながら進路調査票を仕舞った露木先生は、ニコッと笑う。


「今のところは何も問題無し」

「ありがとうございます」

「さて、ここからは進路指導じゃなくなるんだけど、八戸さんと赤城さんと何かあった?」

「いえ、特には」


 何かあったと聞かれてあったと答えるわけはない。もちろん、それは露木先生も分かってるはずだ。


「まずは赤城さんの方なんだけど、二者面談の後に聞かれたの。多野くんと付き合ってるんですかって」

「…………は?」

「あの噂が尾を引いちゃってるのかな、とも思ったんだけど、赤城さんってそういうことを聞くような子じゃないから。もちろん、そんなことあるわけないよとは言ったんだけど、ちょっと気になってね」

「はあ……」

「それと八戸さんなんだけど、ちょっと困ってて」

「困る?」


 俺がそう尋ねると、露木先生は俺の前に一枚の紙を置いた。

 それは、進路調査票で、その進路調査票は凛恋のものだった。


 普通、進路調査票は個人情報だから第三者に開示したりはしない。でも、露木先生が躊躇いなく見せた理由はすぐに分かった。


 凛恋の進路調査票は、名前のところ以外白紙なのだ。

 この進路調査票から分かる情報は凛恋の名前だけしかない。だから、躊躇いなく俺に見せられたのだ。


「八戸さん、先週の後半ずっと休んでたでしょ? それで今日は登校してたけど一日元気がなかった。それで二者面談の時に進路調査票も出してもらったんだけど」

「名前以外は白紙……」

「そう。それで、聞かれたの。多野くんは何処の大学を志望してるのかって。当然、それは教えられないって答えたんだけど、その後ずっと俯いて黙り込んじゃって。今度、ご両親を呼んで三者か四者面談しないといけない」


 露木先生は手に持っていた、進路調査票の入ったファイルを机に置き、真っ直ぐ俺に視線を向ける。

 その視線は鋭く、日頃見ている露木先生の視線とは全く違った。


「もう一度聞くけど、二人と何かあった?」

「特に先生に話せるようなことはありません」

「そっか……三角関係か」

「……どうしてそうなるんですか」


 露木先生の発した超展開のような気がする言葉に、俺は頭を手で押さえてそう声を漏らす。


「だって、赤城さんは多野くんの男女交際の状況を気にしてて、八戸さんは多野くんの進路を気にしてる。ということは二人とも多野くんのことが好きなんじゃない?」

「希さんは彼氏が居ますよ。俺より立派な」

「そう。じゃあ、八戸さんと仲の良い赤城さんは、八戸さんに協力してるのかな?」

「それは俺に聞かれても」


 知らぬ存ぜぬで通せるわけがないのは分かっているが、それ以外にこの場を乗り切る方法が思い付かない。


「良かった。多野くん、赤城さんと八戸さんとまだ友達なんだね」

「えっ?」


 露木先生の言葉に驚いて聞き返してしまう。


「普通ね。自分の男女交際の情報を調べられたり、自分の進路を調べられたりしたら気持ち悪いって思うものなの。でも多野くんは、心配そうな顔をしてた。喧嘩してるのかなって思ってたけど、私の取り越し苦労だったね」


 ニコッと笑う露木先生は、手を上に伸ばして背伸びをする。そして、大きく息を吐いてうな垂れた。


「この前ね。池水先生にしつこく飲みに誘われて、つい言っちゃったの」


 二者面談から人間関係の話になり、何故か今度は露木先生の愚痴話が始まった。

 まあステラのレッスン終わりまで時間はまだあるし、それもあって二者面談の順番を最後でも良いと言った。

 だから別に時間は良いのだが、生徒に先生が愚痴るのはどうなのだろう。


「それで? どうしたんですか?」

「うん、ついね……気持ち悪いから止めてください。迷惑ですって言っちゃった」

「…………それは随分ハッキリ言いましたね」


 いくら相手があの池水だとしても、露木先生にとって池水は職場の先輩。

 仮に池水が先生生徒問わず嫌われているとしても、当たり障りのない関係であるに越したことはない。

 しかし、露木先生の言った言葉は、当たり障りのない関係から、当たり障りのある関係にしてしまう言葉だ。


「だって、他の先生達と飲みに行った時も、彼氏居るんですかーとか、この後二人で抜けませんかーって言ってきて迷惑だったし、それに誘ってる間ずっと胸見てるし」

「まあお気持ちは察します。でも、これで諦めるんじゃないんですか?」

「うん、諦めてはくれたんだけど、今度はいびってきて……」

「最低だ……」

「でしょー?」


 露木先生は、まるで女友達に愚痴るように俺へそう言う。しかし、池水の態度はどう考えても最悪だ。

 好意を持っていた人から拒絶されたからといって、それで逆恨みして今度は相手を貶めるようなことをするなんて最低としか言いようがない。


「ほんと……あの人、学校辞めないかな……」

「そんなこと言って良いんですか?」

「大丈夫。多野くんはそういうことを気軽に言いふらすような人じゃないし」


 露木先生は机に突っ伏してまたため息を吐く。

 こういう姿を見ていると、学校の先生らしくはない。しかし、他のただ真面目なだけの先生達より親しみは感じる。


「そういえば、この前のヴァイオリニストの子、凄く大きなコンクールに出てるね」

「ステラですか?」

「そうそう、神之木ステラさん。桜咲女子って言ったら、いわゆる超お嬢様学校だし、凄い子だとは思ったんだけど、国際音楽コンクールに出るなんて」

「あれ? 確かインターナショナルミュージックコンクールじゃ?」

「ああ、長いからみんな国際音楽コンクールって言うの。もっと短く言う人は国音(こくおん)なんて言う人も居るけど」

「それで、その国音は凄いコンクールなんですか?」


 俺がそう聞くと、露木先生は背筋をピンと伸ばして起き上がり、右手を激しく横に振る。


「凄いってものじゃないよ。日本では結構沢山コンクールがあるんだけど、国内で一番大きなコンクールが一般だと全日本音楽コンクール、学生だと全国学生音楽コンクールなんだけど、全国学生音楽コンクールの金賞者でも、国際音楽コンクールの予選は通れない。全日本の金賞者で予選を通過出来るレベル。国際音楽コンクールは全世界の人が挑戦するから、それだけレベルが段違いなの」


 全国一位で予選通過出来るレベルということは、少なくともステラは全国一位レベルの実力はあるということだ。


「多野くんは多分、まだ神之木さんの凄さを理解し切れてないね。国際音楽コンクールは満二五歳以下の若手音楽家向けのコンクールなの。でも、そのコンクールに出るのは、大体が既にプロとして活躍してる人か、音大や音大の大学院でトップレベルの人達。そういう人達が簡単に予選で落ちるの。だから異常なのよ、まだ一五歳の神之木さんが予選を通ってること自体が」

「プロが落ちるコンクール……」


 自分で言った言葉で俺は背中に冷や汗を掻く。

 確かに露木先生の説明で、よりステラの凄さが分かった。


「でもあんな凄い演奏しちゃうんだから、一五歳で本戦出場も当然だって思っちゃうよねー。そういえば、多野くんと神之木さんって仲が良いんだよね?」

「はい。まあ、よくヴァイオリンを聴かせてもらって話もしますし」


 俺がそう答えると、目の前の露木先生は、何故か目をキラキラと輝かせて身を乗り出してきた。


「多野くん! お願いがあります!」

「は、はい?」

「神之木さんに頼んで、ガラコンサートのチケット一枚押さえてくれない!? 無理なら本戦のでも良いから!」

「チケット?」

「そう! 国際音楽コンクールクラスのコンクールは、本当にトップクラスの音楽家が集まるから、予選でもチケット代を払ってチケットを買わないと観られないの」

「そうなんですか」


 コンクールはコンサートではないから無料なのかと思っていたが、よくよく考えればコンクールを行うのには広いホールを使うはずだ。そして、その他の経費を回収することを考えれば、チケット代が発生しても当然なのかもしれない。


「それで本戦は分かるんですが、ガラコンサートってなんですか?」


 露木先生の発した『ガラコンサート』という言葉に聞き馴染みはない。

 まあコンサートと付いているし、音楽関連の専門用語だろうから俺に聞き馴染みが無くて当然だ。


「そっか、そうだよね。普通は聞き馴染みないよね。ガラコンサートは特別公演とか記念演奏会って言うんだけど、コンクールの場合だとコンクールの入賞者が揃って演奏するコンサートなの。国際音楽コンクールはピアノ部門とヴァイオリン部門で分かれてるけど、ガラコンサートは両方の入賞者が出演するんだ」

「なるほど」

「チケット代はちゃんと払うから! お願いッ!」


 露木先生が両手を合わせて拝む。


「一応聞いてはみますけど、ステラがチケットを融通出来るか分かりませんよ?」

「ありがとう! 本戦出場者ならある程度の枠は割り振られてるはずだから、お願いっ!」


 また拝まれるが、まあ俺はステラに聞くだけだし特に手間は掛からない。

 それに、ステラが俺を本戦に誘ったことを考えれば、露木先生が言ったとおり、ステラはチケットが融通出来るのかも知れない。


「多野くんと神之木さんがお友達で良かった~」


 露木先生は音楽の話になると一気にテンションを上げる。

 露木先生の専門はピアノらしいが、俺なんかよりよっぽどステラと話が合いそうな気がする。


「あっ、話は戻っちゃうけど、ちゃんと八戸さんには納得してもらった方が良いよ」


 そう言って立ち上がった露木先生は、相変わらずの明るい笑顔で言った。


「多野くんと八戸さんがお付き合いしてたのは生徒から聞いたの。プライベートなことを勝手に聞き出してごめんね。でも、八戸さんの様子が心配だったから。納得出来ない振られ方で一方的に振られて放置されるのって、凄く傷付くから。だから、ちゃんと八戸さんを納得させてあげないとだめだよ。じゃあ二者面談はこれで終わり。チケットよろしくね」


 手を振って教室を出て行く先生を見送り、ゆっくりと背もたれに背中を付ける。

 結局何の話だったのかは分からない。でもきっと一番言いたかったのは、最後の言葉だったんだろう。そう信じた。

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