【四五《新天地》】:二
学校がやっと終わっても、俺の気の休まるところはない。
俺の隣では、凛恋が両頬を膨らませて憤慨している。その凛恋を横目で見ながら、凛恋とは反対側に座っている栄次が俺に耳打ちしてきた。
「カズ、凛恋さんどうしたんだ?」
「あ、ああ……ちょっとな」
俺の歓迎会があると言われて、切山さんの実家である喫茶キリヤマに連れて来られた。
栄次も後から来て合流したのだが、栄次が来るまでに盛大に凛恋が愚痴を吐き散らしたのだ。しかし、それではストレスが解消されないのか、凛恋は未だ不機嫌なままである。
「凡人くんと同じクラスに居る女子が、ちょっとね」
栄次の隣から苦笑いを浮かべる希さんが、遠回しに状況を説明する。しかし、情報量が少な過ぎて栄次は首を傾げていた。
「凛恋、気を付けた方がいいよ。絶対、筑摩に目を付けられたって」
「多野くん、身長高いし顔も結構良いからね。あっちのクラスのメンツを考えると筑摩が手を出さない訳がない」
凛恋の正面に座る溝辺さんと切山さんが飲み物を飲みながら凛恋に注意を促す。その様子を見て、栄次が希さんに首を傾げて尋ねた。
「筑摩さんって人がどうかしたの?」
「喜川くん、筑摩ってのはうちの学校の生徒会書記で、要注意人物よ」
栄次の疑問には、希さんの代わりに溝辺さんが答えた。その要注意人物、という表現に栄次は顔をしかめる。
「何か、悪いことしてる人?」
「悪いってものじゃないわ。筑摩は男子に媚び売って、自分と仲良くない女子のことは自分の周りから徹底的に排除しようとするの。仲の良い男子に嫌いな女子の根も葉もない噂を流したりね。んで、男子に好かれるのが上手いから、みんな信じるの」
その話を聞いて、栄次は眉をひそめる。まあ、そうなって当然だ。
なんだか、女子世界の闇を見てしまった感じがして、聞いてて面白い話じゃない。
「筑摩が気にくわないって思ったせいで別れさせられた人達は結構居るのよ。彼氏の方に彼女の悪い噂流して、そして彼氏の方には好き好きオーラ出して彼女を裏切らせるの。でも、男子はあの見た目と男子向けの性格に騙されて筑摩のことは疑わないし。それに、別れさせられた彼氏の方も少しは筑摩と付き合えて良い思いが出来るから、振られてもちょっと落ち込むだけで、別れさせられたなんて思わないし」
「その人にカズが狙われているっていうのは?」
それを聞いて、俺はさりげなく頭を押さえた。
バンッ! っという激しい音と共に、テーブルの上に置かれていたケーキの載った皿や飲み物の入ったカップが揺れる。
その音と揺れの主は、激しくテーブルに突いた凛恋の両手だ。
「全校集会の時も休み時間の時も、私が帰りに凡人を迎えに行った時も、ずっと凡人に話し掛けてたの! 凡人が帰るって言った後なんか『凡人くん、また明日ね』って猫撫で声で言いやがって! ホンットあり得ないしッ! なんであんな奴とまた明日会わないといけないのよ!」
凛恋は怒っているせいか言っていることがよく分からなくなっている。
明日会わないといけないのは凛恋ではなく俺の方だ。
「しかもさ! 私が来たときに、私に満面の笑みで聞いてきたのよ? 『八戸さん、凡人くん転校してきたばかりで色々分からないことがあると思うから、連絡先聞くね』って! 聞いていい? って聞かれても、教えてやるわけないけど、聞くねってなんなのよッ! 何、聞いて教えてもらえるのが当然だと思ってるのよ! 私だって凡人の連絡先聞くのめちゃくちゃ苦労したのに、あんな奴に教えてやるかっての! 当然、分からないことは私が教えるからいいって言ってやったわッ!」
「凛恋が正しい。あんな奴に多野くんの連絡先を知られたら、どんなことされるか分かんないわ」
溝辺さんが凛恋の言葉を肯定して頷く。
しかし、さっきの明日会う件と同じように、俺の連絡先も凛恋が教えるか教えないか判断することではない。もちろん、教えるつもりなんてないが。
「あいつの笑顔を見ただけで気色悪いってのに、凡人の連絡先を聞こうとするなんて寒気が走るわ!」
「筑摩のクラスの女子が話してたけど、筑摩の隣の席を空けさせたの筑摩らしいよ。本当は池水が一番前に席を作ってたんだけど、筑摩が男子に前へ詰めさせたって言ってた」
「これは確定ね。完全に狙われてるわ」
凛恋にそう言った切山さんの話を聞いて、溝辺さんが椅子の背もたれに寄り掛かりながら言葉を吐く。そして、凛恋は俺の手をギュッと握って唇を噛む。
「絶対、あいつなんかに凡人を渡すもんかっ!」
「その意気よ凛恋」
「私達もフォローするわ」
妙な団結力を見せている女子陣から気配を消しながら、俺はカップに入ったコーヒーを一口飲んでゆっくり息を吐く。
「カズ、転校初日から大変そうだな」
「俺は何もやってない。今日は一日黙って座ってただけだ。はぁ~……」
栄次にそう答えて、俺は疲れと一緒にため息を吐く。
今日一日……いや、正確には半日くらいだが、俺の隣では常にくだんの筑摩さんが暇さえあれば話し掛けてきてかなり疲れた。
分からないことがあったら気軽に聞いてほしい、程度の話で済んでくれれば良かった。だが、趣味は何かとか、音楽の趣味はどうとか、そんな学校とは関係ない話をされて、上手く返すのに疲れた。親しくない人との会話ほどエネルギーを使うことはない。
それに、疲れの原因は会話を強いられたからだけではない。
溝辺さんの話に上がったように、筑摩さんは男子に好かれる見た目をしている。そして、溝辺さんの話にあったように、筑摩さんは男子にモテるようだ。だから、筑摩さんを好きであろう男子から睨まれる。
睨まれるのは別に良いのだが、転学初日の慣れない環境かつ、その視線の量が尋常じゃなかったせいで気疲れした。
明日からもあの空間に居ることになると思うとストレスでどうにかなってしまいそうだ。それに、もう一つ気になることもある。
「ちょっと聞きたいんだけど」
「何?」
「池水先生ってどんな人だ?」
俺がその質問をすると、その場に居た栄次以外の全員が顔をしかめる。さっきまで一人だけ苦笑いに止めていた希さんまでもだ。
「池水は男女問わず嫌われてる」
「生徒からか?」
「いや、教師からも」
凛恋の言葉に、俺は顔をしかめる。生徒教師から男女問わず等しく嫌われているというのは相当だ。
「でも、どうして池水の話なんか聞くわけ?」
「ああ、池水先生に舌打ちされたから、どういう人なのか知っとかないと面倒なこ――しまった……」
「はぁッ!? 凡人に舌打ち!? あのキモ親父! ふざけんじゃないわよッ!」
俺の話を聞いた凛恋が憤慨する。だが、言葉を言い終えてから焦っても後の祭りだった。
凛恋は、俺のことで喜んでくれるし悲しんでくれる。それに、怒ってもくれる。だから、俺が舌打ちされたと聞けば、凛恋が黙っているわけはない。
それを分かっていながら、舌打ちされたことを言葉に出したのは良くなかった。
「多野くん、どんな時に池水から舌打ちなんかされたの?」
「え~っと、筑摩さんが自分の隣が空いてますって言った時に」
「「「「ああ」」」」
俺の言葉を聞いて、溝辺さん、切山さん、希さん、そして凛恋が揃って納得したような声を出した。
しかし、俺はよく分からないし、栄次も首を傾げている。
「筑摩は池水のお気に入りなのよ。筑摩の方は相変わらず男受けの良い笑顔で躱してるけど、裏ではもう言いたい放題言ってるわ。まあ、池水は知らないだろうけどね。で、そのお気に入りの筑摩が多野くんを自分の側に座らせたから嫉妬してるってところね」
「なるほど」
正直、なんだその俺に全く非の無いとばっちりは……と思う。
「池水が男から嫌われてる理由は、男子に徹底的に厳しいこと。それに男の先生にも態度が悪いらしい。で、女子に嫌われてる理由は、気持ち悪いくらい馴れ馴れしいから」
「気持ち悪いくらい馴れ馴れしい?」
「しつこく話し掛けてくるし、どさくさに紛れて体を触ろうとするのよ」
「凛恋は大丈夫だったのか?」「希は大丈夫なのか?」
俺と栄次が同時に立ち上がって、自分の彼女を見て同じことを聞き返す。
「私はみんながガードしてくれるから」
「そうか」
希さんの言葉を聞いて栄次はホッと息を吐いて椅子に座る。しかし、俺は凛恋の方を向いて凛恋の言葉を待った。
「一回、スカートが短いってお尻叩かれた」
ふざけるな。そう思って、はらわたが煮えくり返る思いがした。
あんな奴が凛恋のお尻に触ったと思うと許せない。
「まだ私は良い方よ。スカートを短くしてる子で生徒指導部に呼び出された子が、池水にスカートの丈を直されたって言ってたし。他には体は触ってこなくても、胸が大きいとか太ももがエロいとか言われた子も居るし、もっと酷い子は処女かって聞かれた子も居るって話よ」
「それって完全にセクハラじゃ」
「そーよ。でも、そういうこと、女の子はすぐ忘れたいし、それに揉め事になると面倒でしょ」
「池水の場合は、あれがコミュニケーションだって勘違いしてるのが救えないのよね。女の先生の誰かが訴えてくれれば一発で辞めさせられるのに。ハァ~……」
溝辺さんがそう言って深くため息を吐く。
黙っているのは良くない。でも、問題になってその問題に自分が担ぎ出されることを考えれば、声が上げられない気持ちも分かる。
セクハラを受けたことが知られれば、池水先生が辞めさせられるだけではなく、セクハラを受けた側の人も晒し者になってしまう可能性だってある。
そうして傷付いてしまうことを考えると、怖くて声を上げずに忘れてしまおうという選択をしてしまう気持ちは分かる。
「でも――」
「でも、私は幸せよね~。怒ってくれる凡人が居るし!」
凛恋が俺の手に指を絡めながらニコッと笑って言う。でも、その笑顔を見ても、俺は少しも心が晴れやかな気分にはならなかった。
喫茶キリヤマでの集まりを終えて、凛恋は俺の家に来てゲームをやっている。熱心にコントローラーを操作している凛恋を横で見つめながら、俺は自分の持ったコントローラーに視線を落とす。
「凡人、何さっきから棒立ちして――凡人?」
頭をよぎるのは、喫茶キリヤマでの話。
『一回、スカートが短いってお尻叩かれた』
凛恋は軽く言っていたが、俺の心は重い。
溝辺さんは、池水先生がセクハラ行為をコミュニケーションだと思っている。なんて言っていたが、そんなことはあり得ない。
後ろから呼び止める時に肩を叩くとか、そういうことじゃない限り、男が女子の体に触れるという時には必ず下心がある。
その下心は単にエロい考えだけとは言えないが、少なくとも触る相手に対して多少の好意を抱いての行為だ。
だから、池水先生の行動はコミュニケーションのためということではなく、若い女の体に触れたいという欲求を、教師という立場を悪用して行っているのだ。
そんな、そんな薄汚い思惑の的に凛恋がされたのがやるせない。凛恋は――
「こら! 彼女を無視するなし!」
「イテッ!」
額に凛恋の軽いチョップが入り、俺は頭を仰け反らせる。
頭を元に戻して凛恋を見ると、凛恋はゲームを待機画面にして俺に体を近付けるように座り直す。
「池水のこと、気にしてくれてるの分かってるよ」
「凛恋……」
「凡人は凄く優しくて私のことを凄く好きで居てくれるから、そんな話をしたら心配するのもちゃんと分かってる。でも、あそこで何も無いって言うと、凡人に嘘吐くじゃん? もしかしたら、その嘘は吐いても許される嘘だったのかもしれないけどさ」
「いや……ちゃんと言ってくれて良かった。そんな嫌なこと、凛恋一人に抱えさせられない」
「プッ!」
「何で笑うんだよ」
俺が真剣に話しているのに笑われると、馬鹿にされた気がして嬉しくはない。
「ごめん! 別に凡人のことをバカにしたわけじゃないの! でもさ……やっぱ私は幸せだな~って」
「え?」
「エロ教師にセクハラされたって話は、大抵みんな気持ち悪いね~って言って終わりなのよ。女子同士でもそうだし、彼女が彼氏に愚痴っても同じ。でも、凡人はこんなに落ち込むくらい真剣に考えてくれる。それだけ真面目に考えてくれるのって凡人くらいだと思う。ううん、私の周りはみんな彼氏に話したら『気を付けろよ』って言われたくらいって言ってたから、凡人だけね」
「誰だって心配だ。それに嫌な気持ちになる」
誰だって、彼女がそんな目に遭ったと聞いて平然としていられるわけがない。
彼女のことが心配になるし、彼女をそんな目に遭わせた奴のことが許せなくなる。
「凡人は人一倍そうなの。凡人は人一倍優しくて人一倍人の気持ちを考えられるから、人一倍心配して人一倍落ち込んでくれる。凡人にとっては悲しい気持ちだけど、私にとってはチョー嬉しいことなの。ごめんね、凡人が悲しんでるのに私は喜んじゃって」
凛恋は俺の頭を優しく撫でて優しく微笑む。
「心配してくれてありがとう」
「ど、どういたしまして」
なんとなく気恥ずかしくなって、俺は視線を逸らしながらそう言った。
凛恋の手が俺の頭から手に移ると、俺の左手の薬指に填まった指輪を撫でた。
「私も、心配なんだからね」
「え?」
「筑摩よ。筑摩が凡人にちょっかい出してること」
「筑摩さんのことは何とも思ってないって」
筑摩さんとは今日初めて会った。……いや、実際は一度前に顔を合わせているらしいが、それでも俺からしたら今日が初対面だ。
その筑摩さんに特に凛恋が心配するような感情は持っていない。それどころか、めんどくさい人のカテゴリーに既に振り分けられている。
今後は出来るだけ関わりを持たないようにしたい人だ。
「凡人がどう思ってるかは関係ないの。これは女と女の戦いなのよ」
「女と女の戦い?」
「そう。自分の彼氏にちょっかい出されてるのに黙ってると、それだけで舐められるんだから」
「それ、俺は関係ないんじゃないのか?」
女同士のメンツの話に何故俺が関わるのだろうと首を傾げたくなる。でも、凛恋は人差し指を立てて横に振り、チッチッと舌を鳴らす。
「甘いわね凡人。女同士では良い男を彼氏に持ってるってだけで優劣が決まるんだから」
「……なんだ、そのよく分からん格付け方法は」
「男子も同じよ。あいつの彼女は可愛い。それだけでその男子は周りから羨ましがられる。んで、女子も、背が高くて成績優秀で、何より格好いい彼氏を連れてると周りが羨ましがるのよ。私の彼氏みたいにね」
凛恋フィルターを通された俺に関する評価に関して言及するのは止めよう。その話をしたら、更にべた褒めされて俺が大やけどを負うことになる。
「筑摩は男好きだけど、良い男に好かれてる自分凄い。みたいな気もあるから、まあ凡人に分かり易く言えば、筑摩にとって良い男はゲームのレアアイテムとかレア装備なのよ。周りから羨ましいって思われたいの」
「なるほど」
悲しいかな、ゲームにたとえられるとすんなり話が入って来た。
まあ、だとしたら俺はそんなレアアイテムでもないから、すぐに飽きて話し掛けられなくなると安心出来た。
今は転学したばかりで物珍しいだけだ。
「あっ! そうだ凡人」
「ん?」
「今度の歩こう会、一緒に歩こうね!」
唐突に、パッと思い出したように手を合わせてそう言う凛恋を見て、俺は首を傾げる。
「歩こう会って、何だ?」
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