【一四《言えないことと言えること》】:一

【言えないことと言えること】


 長い梅雨が明けると、空から容赦の無い太陽の光が照り付ける。空には一つの雲も浮かんでおらず、憎らしいほどに晴れ渡っていた。

 俺は晴天があまり好きじゃない。

 晴天は日差しが強くて暑いし何より眩しい。空というものは適度に曇っている方が丁度良いのだ。


「それにしても、多野くんの宿泊研修に凛恋が付いて行くとは思わなかった」

「凡人に悪い虫が付かないようにするために仕方なかったのよ」


 冷房の効いた俺の部屋で、凛恋が団扇で自分を扇ぎながら冷茶を一口飲む。その隣で、赤城さんは冷えた水羊羹を口にして美味しそうに顔を綻ばせた。


「ごめんね多野くん。せっかくの休日に私もお邪魔しちゃって」

「いや、気にしないでくれ。どうせ家で大人しくしてるつもりだったし」

「そーね、流石の私も今日は外に出たくないし」


 凛恋も水羊羹を口にして「うーん!」と美味しそうな声を出す。

 今日は、栄次が用事で赤城さんと遊べないらしく、凛恋が久しぶりに三人で遊ぼうと誘ったのだ。しかし、例のごとく、爺ちゃん婆ちゃんはこんな暑い日にも出掛けている。

 俺達の方が若いはずなのに、あのエネルギーはどこから湧いて出てくるのだろう。


「凡人。最近あの二年にちょっかい出されてない?」

「ちょっかい? あの宿泊研修に強制参加させられた日以降は会ってないな」

「そっか。ひとまず安心ね」


 フゥーっと息を吐いた凛恋がニコッと笑うと、隣に居た赤城さんが柔らかい笑みを浮かべて俺を見た。


「多野くん、最近雰囲気が柔らかくなったね」

「雰囲気?」

「うん、初めて会った時は何かちょっと影のある感じがしてた。凄く良い人なんだけど近寄りがたいって感じかな」

「まあ、あの時は頼むから話し掛けないでくれって思ってたからな」


 いきなりカラオケに連れて行かれて、女子七人どころか男子五人の名前も顔も一致しない状況に放り出されたのだ。栄次ならともかく、俺がそんな環境に適応出来る訳がない。


「そのせいで私、めっちゃ苦労したんだけど。気は遣って色々やってくれるのに歌わないし話さないし」

「そう言われてもな。栄次と帰ろうと思ってたら男子が余計に五人も居て、更に他校の女子と合コンです。って連れて行かれてもな……。俺は栄次みたいに、ワイワイガヤガヤ話せる人間じゃなかったんだ」

「でも、多野くんを栄次が連れて来てくれて良かった。ねっ? 凛恋?」

「そうね。喜川くんには感謝してるわ」


 ニコッと笑った赤城さんは、隣に居る凛恋の横顔を見る。それに、凛恋は明るい笑顔で俺を見る。


「てか、あの合コンに一番積極的だった佳奈子は、結局また別の高校の人と付き合ってるし」

「あれ? 昨日別れたって言ってなかったっけ?」

「あー、そういえばそうだったかも。刻季の幹事してた男子も浮かばれないわね。めちゃくちゃ佳奈子のことを持ち上げてたのに」

「凄い猛アタックしてたよね」


 苦笑いを交えた表情で話す二人からふと視線を外す。


 もうすぐ夏休みだが、今年の俺の夏休みは、気が付いたら色んな予定が組まれている。その予定の大体が凛恋の仕業だ。そして、更には爺ちゃん婆ちゃんにも許可を得ているらしい。

 まあ、大抵二人で話したり栄次と赤城さんと四人で話したりした時に出た案が元になっているから、全く知らないというわけでもないが。


 その夏休みの予定の中で、とんでもない予定がある。それはキャンプだ。


 計画されているキャンプは、凛恋と赤城さんの友達の両親が保護者として同行してくれるらしいが、宿泊研修に続いての泊まりがけの予定になる。


 正直、泊まりの予定はどうかと思う。

 俺は凛恋の家に二度ほどお邪魔して、凛恋のお母さんとは会った。でも、凛恋のお父さんと妹さんには一度も会ってない。

 そんな状況で泊まりがけの予定なんて良いのか心配になってくる。特にお父さんが心配だ。


 父親というものは、娘に対して並々ならぬ感情を抱くものらしい。

 過保護と言えば悪く聞こえてしまうが、娘のことになるとどうしても心配してしまうみたいだ。


 凛恋のお父さんも当然、凛恋のことを大切にしているだろうから、娘の彼氏である俺には色々と思うところがあるだろう。そして、見る目も相当厳しくなるはずだ。

 そんな状況で、キャンプに行くのは気が引ける。


 凛恋は「お父さんには彼氏が出来たって言ってるから大丈夫よ」と言っていたが、それだけでは安心出来ない。


 だけど、凛恋とキャンプに行くのは、いや、凛恋と一日一緒に居られるのは嬉しい。

 宿泊研修なんて学校行事ではなく、プライベートで遊びに行くというのが気楽で良い。多少ダラッとしてても怒られないだろうし。


 キャンプ以外にもまた別の予定も色々とあるし、今まで通りのダラダラとした夏休みにはならないことは確かだ。


「そういえば、凡人の学校は宿泊研修には纏まって行くの?」

「うちは個人で現地集合だ」

「マジ? じゃあ一緒に行こ! うちの学校、生徒会が送迎バスを出すって言ってるんだけど、彼氏と行くって言って断る」

「いいのか? 学校の付き合いとか」

「元々、凡人と一緒に居るために行くんだし。それに二人っきりで過ごせるしさ!」

「凛恋がいいなら俺は嬉しいけど……」


 ふと凛恋の隣に居る赤城さんに目を向けると、ニコニコ、ニコニコと俺と凛恋の顔を交互に眺めている。

 その笑顔は、柔らかいが少しいたずらめいた影も見える。


「多野くん、凛恋ってよく甘えるでしょ?」

「え?」

「ちょっ! 何言い出すのよ希っ!」


 凛恋の隣からチラリと凛恋に視線を向ける赤城さんは、水羊羹を食べながらニッコリ微笑む。

 赤城さんに微笑まれた凛恋は頬を赤くする。


「凛恋って寂しがり屋だから、昼休みも多野くんのメール見てため息吐いて、そのすぐ後にペアリング見てニヤニヤしての繰り返し。だから多野くんと会ってる時は凄く甘えてるんじゃないかなって」

「だ、だって! 凡人うちの学校に居ないし!」


 凛恋が唇を尖らせて不満げに言う。俺は刻季で凛恋は刻雨だから居なくて当然なのだが、そう言われると嬉しいものがある。


「それで? 凛恋は甘える?」

「甘えられてるのかどうかは分からんが、よく腕を抱かれはする」

「へぇー、そうなんだ! 凛恋、遠慮せずにいつも通りにしてていいよ」


 赤城さんにからかわれた凛恋は頬を膨らませてフンッと鼻を鳴らして立ち上がる。そして、ツカツカと足音を立てて俺の隣に来て座ると、俺の左腕を引ったくるように抱いた。


「仲いいね、二人とも」

「希がやれって言ったんじゃない!」

「私はいつも通りでいいよって言っただけなんだけど?」


 ニコッと笑って言う赤城さんの言葉に、凛恋はハッとして俯く。上手く赤城さんに乗せられたことに気が付いたようだ。

 それにしても、赤城さんは俺や栄次と話している時は大人しいが、凛恋相手には結構手厳しい。まあ、愛のある手厳しさだが。いや……凛恋の反応を楽しんでいるだけとも言える。


「いーもん! いつも通りにするもん! はい、凡人。あーん」


 凛恋は俺の分の水羊羹を黒文字で切って刺し、俺の口元に持ってくる。


「……いつもそんなことしないだろ」

「あーん」

「いや、赤城さん見て――」

「あーんッ!」

「…………あーん」


 仕方なく、凛恋が真っ赤な顔で差し出した水羊羹を食べると、真っ赤な顔のまま引きつった笑みを浮かべる凛恋の顔が近くにあった。


「か、凡人? お、美味し――ダメ……チョー恥ずかしい……」


 パタンと頭をテーブルの上に付けた凛恋が唸る。俺だって赤城さんの目の前でやらされたんだから恥ずかしい。


「本当に二人は仲良しで羨ましいな」

「そういう希はどうなのよ」

「凛恋と多野くんほどではないけど、上手くいってると思うよ。この前、その……初めてキスしたし」


 その言葉を聞いて、俺は水羊羹へ伸ばした黒文字を皿の端に置く。隣では、凛恋が「へ、へぇー」っと、なんとか返事を返していた。

 嬉しそうにはにかみ顔を赤く染めて言う赤城さんに対して、多分凛恋も気不味さを感じたんだろう。


 栄次と赤城さんは俺と凛恋が付き合う前に付き合い始めた。恋人との進展具合は人それぞれだが、赤城さんの話を聞くだけだと、二人が初キスをしたのはごく最近らしい。


「凄くドキドキするよね、初めてのキスって。凛恋と同じで私も栄次が初めての彼氏だから。すっごく幸せだった。あっ、キスしたの話したのは、栄次には内緒にしててね」

「もちろん!」

「言わないから安心してくれ」

「二人ともありがと。二人の進展は多野くんが居ないところで凛恋に聞くね」


 赤城さんのその言葉で俺は一気に肩が軽くなった。しかし、隣に居る凛恋の顔は、さっきよりも引きつっていた。



 赤城さんは「用事があるから」と早めに帰って行った。

 気を遣われたのは明らか。でもまあ、俺だって赤城さんと栄次と同じ空間に一人というのは居辛い。

 友達同士でも、付き合っている二人と一緒というのは、自分の方に遠慮が出てしまう。


「かーずーとー、このボス強いんだけど!」


 俺がボスから離れた場所で操作キャラクターをうろちょろさせ、凛恋がもがき苦しんでいるの観察していると、ひたすらボスに近付いて攻撃を繰り出す凛恋が俺に文句を言う。


「強いも何も、ダメージが通ってないからな。エフェクト見ろエフェクト。攻撃が全部弾かれてるだろ?」

「じゃあどうしろって言うのよ!」

「それを考えて攻略するのが楽しいんだろ」

「クソー! ヒント無しね! 絶対に私が見付けるんだから!」


 凛恋は俺と遊ぶようになるまでゲームをやったことが無かったらしい。ゲームに対しての知識も、クラスメイトの男子がゲームの話をするのは聞いていた程度だったらしい。

 それで、初めは俺と仲良くなるためにやろうとしてくれたみたいだ。そして、今ではこの通り、すっかりゲームにハマっている。


 俺は凛恋がボスの攻略法を推理している間、ボスの周りに出現するザコ敵を手早く倒していく。


「ありがと」

「ん?」

「私のためにザコ敵倒してくれてるから」

「早くしてくれよ。ボスを倒すまで永遠と湧くんだから」


 そう答えると、頬に柔らかい感触を受け同時にチュッという軽い音が聞こえた。


「ほら、ボーッとしてるとやられるわよ」

「凛恋が先にやられるんじゃないか?」


 凛恋の物理的な攻撃に心臓がドキドキと弾けそうなくらい脈打つ。俺はそれを押し隠しザコ敵を倒しながら、凛恋の方をチラリと見る。


 ジーンズ生地のミニスカートに半袖のぴっちりとしたシャツ。体のラインがよく出るその服装は、目に良いのか悪いのかよく分からない。少なくとも、精神安定上は良くないことは確かだ。


「物理攻撃が効かないんでしょ。ってことは、魔法なら! あら? 魔法もダメだ。もー何なのよ、このボス!」


 あの初めての経験の日を境に、前よりもっと凛恋を女の子として見るようになった。可愛いだけじゃない、女の子として魅力的なのだ。

 それで、二人きりになるとドキドキする。


 ムウっと唸ったり、ハァ? っと苛立ってみたり、普通に他人がやったら顔をしかめそうな表情も、凛恋がやればつい見とれてしまう。

 凛恋の一つ一つの表情に、一つ一つの動作に興味をそそられる。凛恋がいつ俺の目を奪われるような――。


「あっ! ボスの攻撃、弾き返せるじゃん!」


 ピョンと体を飛び上がらせて明るく弾んだ声を上げる。そして満面の笑みとピースサインを俺に向けた。

 凛恋が笑うと嬉しくなる。今まで他人が自分に向ける笑いを、自分への嘲笑としか取れなかった俺が、凛恋の笑みは素直に受け止められる。

 楽しいのだと、嬉しいのだと。だから凛恋が笑うのが嬉しくて楽しい。


「凡人、どうしたの?」

「いや、凛恋が楽しそうだなと」

「楽しいに決まってるじゃん。凡人と一緒なんだし」


 何も混ざってない、透き通った屈託の無い笑顔。凛恋の笑顔は沢山の種類がある。

 急に凛恋が恋しくなってさり気なく距離を詰める。すると一瞬驚いた表情を浮かべた凛恋は、すぐにニッコリ笑って俺に身を寄せてくれた。


「凡人チョー可愛い。あーもうッ! なんでこんなに可愛いーのよっ!」


 ギュッと凛恋が抱き締めて俺の胸に顔を埋める。そして、下から俺の顔を見上げてはにかむ。とても真っ赤な顔で。



 校内の雰囲気が夏休みモードへシフトし始めたある日、俺は目の前の光景を見詰める。


 校門を入ってすぐの謎ポーズの石膏像がある中庭に、大量の紙が無造作にばら撒かれていた。その紙の一枚を拾い上げて、俺は内容を見て笑った。


「栄次。俺、タバコと酒、それから深夜徘徊してるらしいぞ」


 隣に居た栄次に紙を見せながら言うと、栄次は頭を抱えて俺へ疲れた表情を向ける。


「酷いことされてるのに、凡人の態度を見てると緊迫感が全く無いな」

「いや、高校生にもなってこんな幼稚なことをやるのかって思うのもあるが、俺ってそんなに興味を持たれたっけなと思って」


 その紙に、もし俺以外への、凛恋や栄次、赤城さんへのことも書かれていたらこんなに冷静には居られなかっただろう。でも自分へのことなら大抵自分の中で処理出来る。


「ただ、これ凛恋にはどうするかな。言ってもブチ切れそうだし、黙っててもブチ切れそうだし。黙ってる方が良くなさそうだな」

「八戸さんは黙ってられた方が落ち込むだろうな。で? これどうするんだ?」

「放っとく。反応を示さなかったら飽きるか、それとも他のことをしてくるか。飽きればそれで良いし、他のことをしてくればまた考える」


 全く、コピー用紙だとしても、真っ白な上質紙を使えよ。

 人を誹謗中傷しておいて再生紙を、しかも印刷物の裏紙を使いやがって。そんな時にエコロジーを発揮するな。

 周りでは数人の教師と生徒が散らばった紙を拾い集めている。


「凡人くん、大丈夫?」

「ああ、先輩。大丈夫です。この手のことは慣れてるんで」


 研修強制参加の首謀者である先輩に朝から声を掛けられる。凛恋にこの先輩のことで心配を掛けたし、あまり関わり合いを持つのは良くない。


「とにかく、俺は大丈夫なので。行くぞ栄次」

「ああ」


 俺は先輩に頭を下げた後、栄次を引き連れて、校舎の中へ入った。

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