【一三《確かにあるもの》】:三

 そう言って二人が部屋を出て行き、しばらくして玄関の戸が開いて閉じる音が聞こえた。

 その瞬間、俺は畳の上に押し倒された。そして、唇を凛恋の唇で塞がれ驚いた声も上げられない。


 凛恋の左手が俺の右手を掴み、凛恋の右手が俺の襟を掴む。重ねられた唇は熱く甘く俺の唇をついばむ。


「り、凛恋!?」

「まだ、許さない」


 息継ぎのために離された凛恋の唇がすぐにまた、俺の唇を塞ぐ。そして初めて、俺と凛恋の舌が触れ合った。

 絡み合う舌のザラリとした感触は、今まで感じたことの無い凛恋を感じる。

 女らしく妖艶な凛恋。その凛恋はゆっくりと俺から唇と舌を離すと、目に涙をいっぱい溜めていた。


「……凡人が、取られたかと思った」

「ごめん……」

「ホント、頭真っ白で、必死に奪い返さなきゃって焦って……よかった、取られたんじゃなくて、ホントよかった……」


 俺の胸に額を当ててワンワンと声を上げて泣く凛恋の頭を、俺は優しく撫でる。全くそんな気が無くても、俺だって凛恋の側に男が居たら心配になる。

 凛恋がその男に取られたんじゃないかと心配になる。その辛い思いを、俺は凛恋にさせてしまったのだ。


「ごめん、凛恋」

「ううん、凡人は悪くない」

「いや、悪い」

「悪くないったら悪くないの!」


 上から凛恋がギュッと抱き締めてピッタリと体を寄せる。俺は凛恋の背中に右手を回して抱き締める。


「もっとギュッとして」


 左手も凛恋の背中に回して強く抱き締める。


「もっと……」


 これ以上抱き締める力を強めて良いのか躊躇っていると、凛恋が体を離して鞄の方に四つん這いで這って行く。そして、鞄の中を漁った後、俺の方に戻って来た。

 体を起こして畳の上に座っていた俺は、戻って来た凛恋の様子を窺う。すると、凛恋は両手を突き出して、手に持った何かを俺の胸に押し当てた。


 胸に押し当てられた凛恋の両手には紙箱が握られている。タバコの箱より大きいが、そんなに大きな箱では無い。

 見た感じは白く医薬品か化粧品の箱のようにも見える。


「もう、我慢の限界」

「……え?」

「もう我慢出来ない! あの女にあんなことされてもう無理! 手を繋ぐのもギュッてされるのもチューも全部凡人からだったから、これは私から誘う!」


 何だかやけくそのように箱の封を開けた凛恋は、中から粉薬の入った小袋を取り出して俺に差し出す。


「凛恋?」


 凛恋は顔を真っ赤にして、粉薬の袋を持って俺の目を見詰める。そして、また目に涙をいっぱい溜めて俺の顔を覗き込む。


「私が相手じゃ嫌?」

「は? 相手? ……えっ!? 

ちょっ! ちょっ待――ええっ!?」


 凛恋が手に持っている小袋。よく見れば、中が円形に膨らんでいる。それは、小袋の包装に中に入っている物の形が浮き出ているからだ。だから、中に入っているのは粉薬ではない。


 俺はこれと同じような物を学校で見たことがある。

 保健体育の授業で、性教育の一環としてクラス全員に配られた。コンドーム、いわゆる避妊具だ。


 凛恋の手に握られているのがコンドームと分かり、一気に頭の中が混乱する。


「ちょ、何でそんなものを――」

「薬局で買ったの! 男の店員さんでチョー恥ずかしかったんだから!」

「いや! 入手手段じゃなくて、何で――」

「凡人とエッチしたいからに決まってるじゃん!」


 頭に血が上り、一瞬意識が飛び掛けた。

 いやいやいやいや、待て待て待て待て。いきなり過ぎて頭が追い付かない。


 俺も普通の高校生男子だから、そういうことに興味がない、なんて見栄を張った嘘は吐かない。興味は大いにあるし、むしろ興味津々だ。

 凛恋という彼女が出来る前からも興味はあったし、凛恋という彼女が出来た後からは、いつか凛恋と……なんて考えもした。だが、俺は凛恋を傷付けたくなくて、それを押し隠した。


 保健体育ではないが、俺は実技はてんでダメでも知識は掻き集めていたタイプの人間だ。だから、女子の初めては痛いという知識も、初めてに女子が恐怖心を抱くという知識も持っている。

 そして、そもそも女子は男と比べてそういうことへの興味関心が低いということも知識として知っていた。


 そういうこともあって、凛恋を大切にしなきゃいけないと思って、そういう願望を理性で制して来た。

 しかし、今目の前で、彼女である凛恋が、コンドームを手にしてエッチがしたいと言っている。


「いや、女の子は初めてが痛いって」

「凡人ならいい!」

「でも、女の子は初めては怖いって」

「凡人となら大丈夫!」

「そもそも、女の子はそういうの興味ないって」

「そんなことな――あっ……」


 言い切った凛恋がボッと顔を真っ赤にする。そして、一瞬俯いた後、真っ赤な顔のまま俺の目を真っ直ぐ見た。


「女子だって、そういうの興味あるし。私だって、そうだし……」


 俺の膝の上に座った凛恋は、ワイシャツの上のボタンを二つ外す。開いた襟元から、凛恋の綺麗な鎖骨が見え思わず生唾を飲み込む。


「凡人のエッチ」

「し、仕方ないだろ!」


 視線を逸らそうと首を横に向けると、凛恋の両手が俺の頭を掴み真正面に向ける。


「ちゃんと見て」

「凛恋にそんなこと出来――」

「へぇ、じゃ他の女子には出来るの?」

「するわけ無いだろ! 凛恋に軽蔑されたくないんだよ。凛恋のことをそんな目で見られてるって思われて、気持ち悪いって思われたら――」

「凡人以外の男に見られたら気色悪いわよ。ふざけんなって思うわよ。でも、凡人にはそう見られたいの」


 凛恋は俺の背中に手を回して抱きつく。しかし、いつもと抱きつき方が違う。俺の胸に自分の胸を押し当てるように抱きつく。


「今……凡人のこと、誘惑してるから」


 顔を真っ赤にして頬を膨らませて不満そうに言う凛恋に、俺は困って引き離すことも抱き締めることも出来ず固まる。


「他の人が経験してるから、私も経験したいって理由じゃないの。ずっと前から凡人としたいって思ってたの。正直、もっと早くすると思ってた。付き合って二日目でチューまでしたし、結構凡人は積極的だとも思ってたし。でも、全然私のことをエッチな目で見なくて、めちゃくちゃ不安だった。付き合う前にパンツ見られた時、凡人は顔真っ赤にしてくれてたから、少なくとも女だとは思われてるのは分かってた」

「凛恋のことはちゃんと女の子だと思ってるって!」

「でも何もして来ないと不安なの! ネットで調べたら、友達関係から付き合い始めると、そういうことはし辛いって書いてた。だから、スカートの丈を短くしてみたり、無意味に上着を脱いだり、他には体をくっ付け――なんか私、痴女みたいじゃん! バカッ!」

「いや、怒られても……」

「……色々とやってんのにさ、全然私をエッチな目で見ないし……。ホント、女の魅力無いのかなって思ってて……そしたら、あの二年と一緒に歩いてるの見て……」


 凛恋はゴシゴシと目を擦って涙を拭き取る。真っ赤にした目でギッと俺を睨み、そしてワッと俺の胸に顔を埋めた。


「あの先輩とは何でもない。それに凛恋のことを女の子だと思ってなかったら、手も繋がないし抱き締めもしないしキスもしない。凛恋は俺には勿体無いくらい可愛い。体も細くてスタイル良いし、顔も女の子らしくて可愛い。……その、胸も結構大っきいし、太ももも綺麗でスカートの裾から見えてる時はドキドキする。正直、パンツが見えないかなって、期待することも多々ある」


 ……俺は何を言っているのだろう。凛恋のパンツを見ようとしてたことまでカミングアウトする必要は無かったかもしれない。

 でも、女の子から、凛恋からエッチに誘うのは相当勇気がいって、恥ずかしかったはずだ。だから、俺も恥ずかしい思いをしなければ割に合わない。


「変態」

「なっ!」

「でも嬉しい」


 凛恋がニッと笑って抱きつく。それを見てホッと一安心した。これで凛恋の不安を取り除けたはずだ。


「じゃあ、はい」

「ああ…………えっ!?」


 凛恋は手に持っていたコンドームを手渡す。俺はそれを何気無し受け取って慌てて凛恋を見返す。


「彼女の私があんなに恥ずかしい思いして誘ったのに……」

「いや! 嫌ってわけじゃ無くてだな! そういうのは心の、準……備を……」


 膝の上に座ったまま、凛恋がワイシャツのボタンをゆっくり外していく。そして、前が完全にはだけると、凛恋はワイシャツを脱いで脇に置く。

 ワイシャツの下には真っ白で控え目なレースの付いたキャミソールを着ている。そのキャミソールも、肩紐をずらして持ち上げ、頭を通して脱ぎ去る。

 細くて滑らかな肌をした腕の付け根には、蛍光灯の光を反射させるスベスベとした華奢な肩があった。その肩から、さっきチラリと見えていて、今はさらけ出されている鎖骨へ目を移す。

 更に視線を下げて、俺の目はそこで止まった。


 淡い水色の、可愛らしくリボンの装飾が施されたブラに包まれた、女らしさを感じる膨らみ。Tシャツ越しかワイシャツ越しにしか見たことの無かったその膨らみが今、目の前にある。


 凛恋は俺の膝から立ち上がり、ベルトを外して赤チェックのプリーツスカートにあるホックもカチッと外す。

 そして横に付いたファスナーをジジジーッとゆっくり音を立てて下ろした。

 一番下までファスナーを下ろすと、俺の膝の上に、ベルトのバックルがガチャっと音を立てながらスカートが落ちてきた。


 膝の上にあるスカートから視線を思わず上へ上げてしまい、目を釘付けにされる。

 ブラとお揃いの、リボンの装飾が可愛らしい淡い水色のパンツ。更に細く引き締まったお腹に、柔らかそうな太もも。


 気が付けば鼓動が高鳴り、内側から激しく胸を叩いていた。

 頭は全身を駆け巡る熱い血液のせいでボーッとし、足の先から手の先、頭のてっぺんまで溶けそうなくらいの熱い熱に満たされている。


 マズい! そう思った時には、遅かった。


「ひやっ!」


 伸ばした右手の先で、凛恋のお腹へ触れる。おへそのすぐ上に指の腹を触れると、温かくスベスベとして滑らかな、そしてまるで羽毛を撫でているような柔らかい感触がした。


「ひやぁっ! ちょっ、くすぐったい」

「ご、ごめん」


 調子に乗って指先をお腹の上で滑らせたら、凛恋がカッと体中を真っ赤にして身をよじる。


「凡人の手つき、エロいんだけど。他の女子にこんなことしてないでしょーね」


 ジトっと疑いの目で見詰める凛恋が、俺の膝の上にペタンと座る。


「す、するわけ無いだろ! 第一、出来る相手が居ない!」

「私なら、出来るわよ」


 俺の手をキュッと握り締め、凛恋が顔を近付ける。そして、ちょっと震えた声で囁いた。


「まずは……チューからね」



 すっかり日の落ちた空を見上げる。チラチラと星が見える空は、黒く澄んでいた。


「いやー、ビックリした。ホント、初めてってチョー痛いのね」

「だ、大丈夫か?」

「何日か痛み残るかも」


 しっかりと手を繋いだ先に居る凛恋が、顔をしかめた後に苦笑いを浮かべる。


「ごめん、俺がもうちょっと上手く出来れば」

「お互い初めてだったんだし、それにちゃんと優しくしてくれたじゃん。痛かったのは痛かったけどさ、優しく気遣ってくれてチョー嬉しかった。なんか、前より凡人と仲良くなれたって実感もあるし」


 確かに凛恋の言う通り、俺も凛恋と前よりもっと仲良くなれた実感がある。そんな気がするなんて淡いものじゃなく、しっかりそこにあるのが分かる確かなものだ。


「少しずつ慣れていこうね」

「本当に、大丈夫か? 痛いなら――」

「大丈夫よ。それにちゃんと凡人のことを捕まえられてるって安心感あるし」


 凛恋は手を繋いだまま俺の腕を抱く。抱いた拍子に凛恋の柔らかい胸が当たる。

 その感触にドギマギしながら様子を窺うと、目が合った凛恋がニタァーっと笑う。わざとやったらしい。


「からかうなよ」

「だって、凡人がやっと私のことエッチな目で見てくれて嬉しいし」

「なんか言ってることが変態みたいだぞ」

「もう良いかな。凡人に変態だって思われても」


 凛恋は組んだ手をギュッと握って、腕に頭を預ける。


「凡人はそんな私も好きだって言ってくれたし。チョー痛かったけど、ちゃんと聞こえてたよ。ありがと」

「そ、そうか」


 気恥ずかしくなってそんな返事しか出来ずにいると、横からクスクス笑う声が聞こえる。


「凡人」

「ん?」

「宿泊研修、私も行くから」

「えっ? どうやって?」

「希達が居た時に、知り合いの子で生徒会の子が居るから、参加希望者の中に入れてもらった」


 なんという交友の広さだ。でも、その交友の広さも、凛恋が人に好かれる良い人だからこそだろう。


「でも良いのか? 夏休みを学校行事に潰されて」

「夏休みが潰れるのは不本意だけど、凡人が居るし。何より凡人をあの二年と一緒にしておけないし」

「だからあの先輩とは何も無いって」

「凡人には何も無くても、向こうには何かあるのよ」


 よく分からないが、でも凛恋が来てくれるのは嬉しい。


「あー、彼氏との初お泊まりが宿泊研修かー」

「言っとくが――」

「夏休み家に泊めてなんて言わないわよ。凡人、そういう所凄くしっかりしてるし、それが私のことを考えてくれてるからって分かるし」

「そうか、なら良かった」

「これもエッチして仲が深まったからねー」

「からかうな」


 またからかうように言う凛恋に苦笑いを浮かべて、凛恋の手を握り返す。

 さっきからずっと、体の奥から絶え間なく温かい何かが溢れてくる。

 とてつもない幸福感を伴うそれは、体全体を温め包み込む。


 隣に居る凛恋は鼻歌を歌っている。いつの間にか腕から離れ、握った手をブンブン振って楽しそうだ。


「あ!」

「ん?」

「今日、ゲームしなかった」

「……………………そんな余裕、なかっただろ」

「そうだけどさー、毎日やってないと腕が鈍るし」

「鈍るほど上手かったか?」

「ちょっと私より上手いからってバカにして! 明日は絶対にゲームするからね!」

「はいはい」


 甘かった雰囲気は何処かへ消えて、スッキリと爽やかな空気が流れる。空と同じ澄んで綺麗な――。


「とりあえず、あの巨大な豚を叩き潰さないと!」


 ――空気は俺達には似合わないらしい。

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