「第11章 エゴイスティックな手記が語るあの日」(6)

(6)

 湊は、詩織に会わない日々の中で、あの日に決めた事を計画していた。それは彼女の最大の理解者である自分にしか出来ない。これを行う事で現在、自分に抱えている全ての問題が解決出来る。それは至ってシンプルな事。




 森野詩織の命を奪う。つまり、殺す事である。




 殺す。その二文字を読んだ時、透の口がヒュっと短い音を立てた。予想は付いていた。ココの箇所に辿り着くまでに自分なりの覚悟もしていたつもりだった。


 それなのに、どうしても体は反応してしまう。


 透は彩子に気付かれないように慎重に深呼吸をした。


 湊によると、詩織の有能性を潰すのは、これ以外に思い付かなかった。散々した出納準備室での行為も最終的には何の効果も得られなかった。だから彼女を殺す事で、その有能性を永久に滅せられると考えたのである。


 そして、これは何も自分だけの問題ではない。どうせ、もっと成長すれば嫌でも有能性は周りに潰される。


 また、潰さずに成長を続けたとしても大人になれば、自身の能力を妬んだ周囲との確執に苦悩をするのは必然。その時に自分は隣にいられるか分からない。


 それならば、詩織が後悔する前にその命を刈り取ってやれば、彼女も救われる。


 手記に書かれている湊の心境は、今まで読んだ中でも群を抜いて気分を害するモノだった。最初から最後まで、彼は自分の事を最優先にして考えている。


 加えて、自分が優秀だと考えているからこそ、詩織をどうにも出来ない事に我慢ならなかったのだろう。だからと言って、殺人という人の道に反した行為に何ら抵抗がないのは、もうこの時点で彼が狂っているからである。


 恐ろしいのは、その狂気を彼が周到に隠していた事。


 透は在学中、湊の本質を微塵も感じ取れなかった。倉澤との話にも彼は一度たりとも出て来ていない。という事は、警察すらも見抜けなかった事になる。


 それ程までに隠蔽された彼の心の中身。


 それを一人で引き受けていた詩織は、一体どんな気持ちだったのだろうか。


 あの喫茶スペースでの日々、あれだけ会っていたにも関わらず、一度も詩織は、助けを求めなかった。当時の自分でも彼女から求められたら、いつだって動いた。それは間違いない。それなのに一体どうして……。


 透は考えを巡らせるが、満足のいく解答は導き出せなかった。


 手記には意外な事に透を殺そうという気持ちは一切起きないと記されていた。


 その部分を読んで透は安堵する。そこにはその理由が詳しく書かれていた。


 曰く、透を殺したところで、詩織がまた新しい透のポジションの人間を作られては、意味がない。あの笑 顔の対象者を作り続けられたら、その度に殺さなくてはならない。そこまでするのなら、大元を絶てばいい。


 これも詩織を殺す理由の一つだった。


「先輩」


「えっ?」


 ふいに彩子に呼ばれて透は顔を上げる。彼女は心配そうな表情でこちらを見つめていた。今日、彼女はそんな顔ばかり見せる。


「どうした? ああ、今読んでいる所なら……」


 読んでいる箇所を教えようとする。しかし、その先の言葉は彩子に遮られた。


「先輩のせいじゃないです。先輩と関わったから、詩織さんが死んだなんて事は絶対にありません。私が断言します」


「ありがとう。そう言ってくれて嬉しい」


 彩子の優しさに透は感謝の意を述べる。


 湊自身も手記に書いていたのは、自分を殺しても詩織には、新しい自分が出てくるだけだから、殺しても意味がないと言う事。その少し前に長々と記述していた、彼女の有能性とは全く関係がない。完全に彼の感情による理由だ。


 その事にきっと湊の自覚はない。有能性を潰す手段という身勝手な大義名分が彼の感情を全て覆い隠したと推察される。


 しかし、少なくとも詩織との関わりがなければ、死期が延びたのは事実である。


 もしかしたら、詩織に心境の変化が生まれて、周囲に話す未来があったかも知れない。そういった可能性を潰してしまったのは、間違いなく自分なのだ。


 それを透はきちんと感じていた。


 だが、自分を責める事はしない。何故なら透は、森野詩織が自殺した理由を知っているからである。そこを知っているか知らないかが、透と彩子の大きな違いであった。


 湊は、詩織を殺す計画をより具体化させていく。


 学校外で殺すのはいとも簡単に行える。詩織は母子家庭で夕食は基本的に自炊している事から、帰り際に待ち合わせて殺すのは可能。外部犯に思わせた方が不幸な女子高生が暴漢に襲われたと出来る。しかし、湊はそうしなかった。


 それは湊の殺し方にある。


 詩織をただ殺すのではない。彼女を自殺に見せかけて殺そうとしているのだ。自殺に見せかけて殺す行為に意味はある。外部犯に見せかけるよりも自分で死を望んで死んだと思われた方が、平穏が保たれる。手記にはそう書かれていた。


 透は、湊は無意識に自身が詩織より劣っている事、またそのせいで自分の手を汚してまで、彼女の有能性を潰す事に抵抗を示したのだと考えた。


 手記自体にはそんな風には記されていないが、これまでの彼女に対する文章から、それは容易に想像がいた。


 湊はクレモナロープを入手する。そして場所は出納準備室。


 敢えて自分の知り得る場所で彼女を殺すつもりだった。仮に自分に疑いの目が向けられてようとも完璧な対策を施していれば、逆に優秀な盾となる。


 全ては順調だった、まるで誰かの後押しを受けているように。


 典型的な自己陶酔。そう透は思ったが、次のページに続く文章は前ページを否定する内容だった。


【間違っていなかったのに】


 そう始まる手記はいつもと違う文体で、まるで小説のような語り口。


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