「第7章 大人達はすぐに騙される」(12)

(12)

 そう、考えてみたらそれ程難しい物ではなかった。


 二人の個性を排除して、高校生同士のカップルというカテゴリに当てはめてみると、自ずと答えは出てくるはずだったのだ。それをしなかったのは、どこかで倉澤が期待していたからに他ならない。


「最初のきっかけは些細な事でした。メールばかりではなく、アナログな事がやりたいって詩織が言い出したんです」


 ポツポツと内田が語り出す。


「詩織は肉筆で書いた字が好きだとよく話していました。だから、手紙を沢山くれたし、僕もお返しに書いた。勿論、それ以外にもメールはやってましたけどね。彼女が言ったんです。付き合ってる事を他人に隠しつつ、記録に残る事がしたいって。データみたいに無機質でいつ消えてしまうか分からないモノより、人の癖が付いた手書きの文字が良いって。だから……」


 鼻を啜る音が聞こえて、自身の声が次第に震え始めながらも、内田は経緯を説明し始めた。


 倉澤はノートに視線を落として、内田の話を聞いていた。


 今、手にしているノート。それは交換日記だった。


 日付と名前が書かれており、今日の一日が記されている。そして、最後には相手への質問やメッセージが書かれていた。


 それは二人だけの世界。その世界の外にいる人間は入る許可を持たない。


 倉澤はノートを閉じた。そして、内田の顔を見る。


 茶色の瞳が潤んでいた。今にも泣きそうな表情で、ちょっとした振動で涙が落ちてしまいそうだった。


 深いため息を吐く。


 それはこの事件を捜査して出たどの種類のため息とも違う。


「あの遺書は君へのメッセージだったのか……」


「最初に倉澤さんから話を聞いた時、すぐに交換日記の事だと気付きました。倉澤さん、彼女の遺書に書かれていた日付って覚えていますか?」


「ああ……、確か」


 倉澤は記憶を探る。


 彼女の遺書に書かれていた不可解な内容とは別にあった二つの日付。


 一つは当日。では、もう一つは? それが分からなくてずっと考えていた。しかし、どれだけ考えても日付単体では納得のいく答えは出ない。時の経過によって、日付の方はゆっくりと存在を薄くさせていった。


 頭では思い出せないので、背広の内ポケットから手帳に手を伸ばした。


 こういう時の為にある手帳だ。そう思いながら手帳を開き、何ページか遡った先に書かれていた、殴り書きの日付を声に出す。


「2008年10月22日」


「その前日の交換日記を見てください」


 言われるがまま、日記のページを捲り、該当する日付に辿り着く。


 そこに書かれていたのは、彼女の心の内側。


 周囲の期待やプレッシャーに悩む十代の少女であった。


 他のページに書かれていた内容とは一線を画しており、そこだけ異彩な雰囲気が目立つ。


 倉澤はそこで初めて、森野詩織という少女の弱さを垣間見る事が出来た。


 他人からの話だけで、彼女の人物像を形成して、自らも惹かれていた。その結果、事件発生から今日に至るまで、自分の中で森野詩織は相当大人になっていた。


 ところがそれは、勝手に作り上げてしまった虚像に過ぎない。


 いくら頭の回転が速く、周囲から凄いと言われようが、本質的にはただの女子高生なのだ。倉澤の年齢の半分程度の人生しか生きていない。


 知識や要領の良さでいくらそこをカバーしたところで、経験には敵わない。


 彼女が自殺した理由は、なんら特別な事ではない。


 極めて簡単に述べるならば、将来に悲観して自殺した。それだけだった。


「周囲からは勉強を教えてくれる存在。教師陣からはそれを疎ましく思われる時もありつつも、学校を宣伝するに相応しい成績を全国模試で叩き出す。そんな事をしていると、いつの間にか詩織は他人から頭が良い=大人である。っという図式の下、評価されていました。でも、そんなの虚構に過ぎない」


「周りが彼女を異様に持ち上げ過ぎていたと……」


 内田は頷いて肯定する。


「同級生達の成績を上げ続けて、自分の成績も維持する。それにプレッシャーを感じない人間がいるでしょうか?」


 そう内田は、言葉に芯が入った声で言った。


「君の言う通りだ。我々大人がもう少し彼女の事を知ってあげる事が出来れば、悲劇は起こらなかった。すまなかった」


 プレッシャーを感じていた森野詩織。それなのに、彼女は決して止めなかった。


 勉強の面倒を止めるのは、難しい事ではない。プリントを作らなければ終わる。


 ただ、それをすると自分はどうなってしまう?


 聡明な彼女は、それが容易に想像出来たから続けたのだ。プレッシャーを毎日受け続けて、最後には自殺してしまう程にまで。


 そう、彼女は止めなかったのではなく、止められなかったのだ。


 その事に我々大人は最後まで気付けなかった。反省すべきである。


「謝らないでください。倉澤さんは生きていた頃の詩織と直接関わっていないんです。それなのに謝られても変ですよ。それに僕の話はまだ終わっていません。彼女の日記の日付は、遺書に書かれていた日の前日になっているでしょう?」


「ああ、そうだ。まさか彼女が日付を間違えたという事はないだろうな」


「はい。それは交換日記ですから、当然返事は僕が書く事になります。だけどその日。詩織は日記を学校に持って来なかったんです。忘れ物をするって概念が彼女にあった事に驚かされました」


 内田は上を向き、当時の事を思い描きながら目を瞑った。


「詩織と僕は三ノ宮駅の喫茶スペースでしか会っていませんでした。だから、この交換日記もその時しか渡せません。それなのに、彼女は日記を忘れたと言いました。そして、代わりに日記に書いてある内容を僕に相談して来たんです。自分は周りから凄く評価されている。それは有難い時もあったけれど、今はもう苦痛でしかない。だけど今更、皆の面倒を打ち切る訳にはいかないって……」


「辛いだろうな」


「詩織の泣き顔なんて初めて見ましたよ。それに僕自身も彼女に勉強を教えてもらっている内の一人ですから、どう答えていいものか。正直、迷いました。もう止めろって言うのは簡単ですが、実際口にするのは難しい」


 園内に風が舞う。近くの海が運んでくる風と雲は、ゆっくりと夜を持って来る。

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