「第5章 完璧なる迷路」(5)

(5)

 一見すると、遺書と呼べるかすら怪しい。彼ら警察がまだ学校関係者に話していないのは、そういう点からだった。


 ただ、一応遺書としているのは、筆跡が手書きであるのと、最後の文章がギリギリ遺書と読める点、そして、二つ目に書かれている日付が今日だからだ。


 どうして、日付が二つ書かれているのか。そこはまだ分からない。ただ、今日の日付が書いてある文書を持って本人が自殺。状況から考えて、遺書として見るのも当然である。


 そこまで思考していたところで、廊下を歩く足音が聞こえてきた。その方向を向いて、すぐに立林だと分かった倉澤は、菱田に手を上げて彼を退散させた。


「ごめんね、待たせちゃって」


「いや、大丈夫さ。さ、行こうか。ああ、送る車だけど、パトカーじゃないから安心してくれ。それにパトランプは外してる。普通の車にしか見えない」


「ありがとう、助かるわ」


 パトカーで家まで送られるのは、一般人からしたら気持ち良いモノじゃない。それを仕事上、よく知っている倉澤の配慮だった。


 倉澤と立林は車を止めた場所へと戻る。助手席を先に開けて、立林に乗せたら、パトランプを外して運転席に乗り込んだ。


 送り先の家の住所を教えてもらい、カーナビにインプットする。


 二人を乗せた車は緩やかに発進した。


 この時間になると、この辺りは車をあまり見かけない。時折、バスとすれ違う程度である。車内は静かで二人の間に会話はない。左折時に軽く立林の様子を窺うと、窓の外の景色を眺めていた。


 緊張の糸はまだ保っているようだが、いずれ糸が解けて眠ってしまうだろう。そうなってしまう前に倉澤は、三回目の赤信号で停車した時、口を開いた。


「聞いていいかな?」


「何?」


「立林から見て、森野詩織さんってどんな子だった?」


 本来ならば、事情聴取時に済ませおく事を尋ねた。


 菱田もいる応接室で緊張感に包まれながら答えてもらうより、昔からの顔馴染みと二人でいる方が、リラックスしてより有益な事を言ってくれる可能性があると考えているからである。


 立林は質問を受けて、しばらく沈黙して何かを考えているようだったが、やがてゆっくりと話し始めた。


「森野さんは物凄く頭が良い子だった」


「成績優秀なんだ」


「ええ。彼女、ウチの学校じゃ有名人だったから。全国模試で一桁の順位も獲った事がある子でね。当然、 授業料全額免除の特待生。学校の定期テストも一番が当たり前で、問題を作る教師側が気後れしちゃうのよ。まるで、彼女の解答用紙は、こちら側が作る模範解答のようだったから」


「羨ましいなあ。俺、高校の頃はそんなに頭良くなかったから」


 倉澤がそう言うと、立林は小さく笑う。


「彼女は特別。何て言うのかな、考え方が大人な子だった。下手すれば私達教師よりも」


「へぇ、どんな風に?」


 立林から更なる情報を引き出そうと、自然を装って質問を続ける。


「普通、勉強が出来る子って周りからは良く思われない。もしくは、空気のように避けられる。その二択。けれど、森野さんは違った。彼女は簡単に言えば、両方の逆に属している」


「両方の逆?」


「普段は大人しく、教室の隅で本を読んでいる子。だけど、陰口は言われない。そして、テスト前や勉強が難しい授業の放課後には、皆彼女に群がって教えを乞う。教師より教え方が上手なのよ。教室で勉強を教えているのを聞いていた事があるけれど、複数に教えているのに、勉強のレベルを一人一人に合わせて変えている。そんな事はこっちの仕事なのに、彼女はそれを普通にやってのけている。現に彼女に勉強を見てもらった子で成績が上がらなかった子はいない」


「いない? 一人も?」


「そう。ただの一人も。彼女が教えたら全員が全員、成績が上がる。だから、テスト前は人気者だった……」


 遠くを見つめるような目で前を見ながら、立林はぼんやりと呟く倉澤は彼女に話で改めて森野詩織の人物像を組み立てていった。


 そこで、一つの疑問点が浮かぶ。


「さっき、森野さんは両方の逆に属しているって言うけど、話を聞く限り彼女、ただクラスの皆に都合良く利用されているだけなんじゃないか?」


「そう思うでしょ?」


 立林は、想定済みだとばかりに鼻から息を漏らした。


「彼女を知った大人は最初、必ずそう考える。特に我々教師陣はそれを止めさせようともする。これは学校側のエゴだけど、他の子に勉強を見て模試の成績を落とされたら色々と困るから。勿論、それとは別に彼女が負担になっているんじゃないかって懸念もあるけれどね。だけどそれは大きな間違い」


「間違い?」


 倉澤は赤信号で車を止めた際、彼女の方を向いてそう尋ねた。カーナビの示す目的地までそろそろ半分と言ったところで、あまり時間は残されていない。


 彼の質問に立林は深く頷く。


「周りから利用されているんじゃない。森野さんが周りを利用していたのよ」


「どういう事だ?」


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