第346話:憎しみ

「……親だぞ」

「だからこそだ。退け」


 エストールは冷たい目で俺を見る。


「母上を見捨て、我々を見捨てくたばった憎き父上がここにいるのだ。この手で殺すに決まっているだろう」

「だからそれは――」

「誤解だ、と?」

「そうだ」

「……2000年以上だ」

「……?」

「2000年以上、その男を――全てを憎み続けてきた。今更何も変わらんのだ」


 エストールがその場で剣を振り上げる。

 フッ、と一瞬にして目の前にいたエストールが遠ざかる。


 いや、奴が遠くなったのではなく俺が遠ざかったのだ。

 シトリーが使った逆転移召喚によって。



「この剣の前に――」



 飛ぶ斬撃を何度か見ている俺は、そこから衝撃波が飛んでくる可能性を考えて身構える。

 

 だが。

 そのまま、エストールはすいっと剣を下げるだけだった。

 衝撃波も何も飛んでこない。


 シトリーですら、肩透かしを食らったかのように少しだけ目を見開いている。



「――距離など関係ない」

  

 静かな声が響いた直後。


「――ぐっ!?」



 左肩から腹にかけて激痛が走った。

 大きく服と肉が抉れ――いや、骨すら砕けているような勢いで血が吹き出る。



「悠真ちゃん!?」


 真っ先に俺に駆け寄り、治癒魔法を施すシトリー。

 傷自体は一瞬で治ったが、今の攻撃の絡繰りが全くわからない。


 衝撃波だとか、飛ぶ斬撃だとかとは全く異なる原理のなにかだったのは間違いない。


「悠真殿!! え、エストール! この方は――」

「その名で私を呼ぶな、が」

「ぐあっ……!」


 エストールがジョアンの胸を蹴飛ばす。

 かなりの威力だったようで、骨の砕ける音がこちらまで聞こえてきた。

 


「――転移召喚」



 ずらりとエストールを取り囲むようにスノウ、ウェンディ、フレア、そしてシエルの四人が召喚される。 

 シトリーは服まで直してしまっているので俺に外傷は全くないが、血を吐いて蹲っているジョアンと、血のついた青いオーラを放つ剣を持つ尋常でない様子のエストールを見てすぐに察したのだろう。


 俺が念話で状況説明するまでもなく、四人共が臨戦態勢に入った。


「ま、どうせこうなるだろうとは思ってたわよ」


 ジョアンに一番近かったスノウが治癒魔法を施しつつ、ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「……穏便には済まんかったのか、ダークエルフ王。わしも旧知と戦いたくはないのじゃが」

「随分と上から目線だな、妖精女王ティターニア。それが白の驕りだ」

「わしはそんな風には……っ!」


 シエルが焦ったように言う。

 本当にこいつは全てを憎んでいるのか。


 2000年以上も。

 そんなの――


「ゴホッ……」


 急に、咳が出た。

 なんてことないただの咳だと思った。

 

 だが――



「お兄さま!?」

「え……」


 フレアの悲鳴で、自覚する。

 自分が大量に吐血していることを。


 そしてと耳や目から温かい何か――恐らくは血が流れ出る。


 体から力が抜け、その場に跪いてしまう。


「な……」 

「撤退するよ!!」


 シトリーが叫び、転移石を発動しようとするが――


 発動しない。

 同時進行で治癒魔法もかけているようだが、そちらも全くと言っていいほど効果がない。

 

「な、なんで……!?」

「なるほど、この結界には効果の効く転移魔法とそうでない転移魔法があるのか」


 エストールがそう呟く。

 結界……?


 転移石での転移を防ぐ結界がここにあるということか。

 まずいぞ。


 先程俺を斬った正体不明の斬撃。

 そして今の吐血。


 本来戦力的には心配ないはずなのに、不確定要素が大きすぎる。


「くっ……」

「では貴方をここで殺しましょう。そうしてから結界の外へ出れば、全てが解決します」


 ウェンディがそう断言して、風を纏う。

 やばい、明らかにブチギレているぞ。

 

 今にも風が動き出そうという寸前。


 ジョアンが、ウェンディとエストールの間に立ち塞がった。


「ま、待ってくれ!! 頼む……我の……我の息子なんだ……!」


 そう懇願するジョアンに、ウェンディは冷たく言い放つ。


「邪魔をするなら貴方も殺します」

「……ウェンディ」


 フレアに肩を貸してもらいながら、俺はふらふらと立ち上がる。

 

「それは……駄目だ」

「……マスター、しかし……」

「頼む」

「…………」


 ウェンディが渋々と腕を下ろす。

 状況は依然最悪のまま。


 更に――


 ジョアンが目を見開く。

 血がから吹き出る。


 たった今ウェンディから己を庇った父親を。

 エストールが斬ったのだ。


「ジョアン!!」


 一目で致命傷だとわかる出血量。

 

「動くな。動けば召喚術師が死ぬことになる」

「……!」


 恐らくは遠隔で治癒魔法を施そうとしたのだろう。

 ぴたりとシトリーが動きを止める。


 俺のことを召喚術師と言ったのか?

 まさか、こいつ……


「ソレにかかっているのは呪いだ。落ち着いて解呪すればまだ助かるだろう。だが、貴様らがこの男を助けることは許さん」


 足元に血塗れで転がるジョアンを無造作に蹴飛ばすエストール。

 その目は恨みに――

 憎しみに囚われている。


「もし動けば、召喚術師にかかっている呪いを強める。即死する程にな」

「…………」


 そう言われればシトリーも、スノウも、フレアも、ウェンディも、シエルも。

 誰も動けなくなる。


 俺たちの関係性を、この男は知っているからだ。

 

「……お前、ベリアルと繋がりがあるな。エストール」

「それがどうした」


 否定もしないで、あっさりと肯定する。

 そうか。

 だからあの余裕なのか。


 ベリアルとなんらかの取引を交わし――

 恐らくは自分たちのみの安全を確保しているのだ。


「私は常日頃から考えていた。何故我らダークエルフを迫害した人間が。除け者にしたエルフがのうのうと、何も知らずに生きているのかと」


 ジョアンの背中を踏みつけにする。


「ぐあっ……がっ……ああ……っ!」

「母上は何のために犠牲になったのかと」


 ジョアンが勢いよく吐血する。

 致命傷となっている傷だけでなく、内蔵が圧迫されていることによるものだろう。


「だから――全てを破壊し、新世界を築き上げると言っているベリアルに私は協力することにしたのだ。生き残るのはダークエルフのみで良い。貴様らは新しき理想の世界には不要なのだ」


 ジョアンの目から光が失われて行く。

 死が近い。

 魔力の感じからも、それがわかる。


「……ジョアンから足をどけろ」

「なに?」

自分テメェのことを大事に思ってる親のことを踏みつけにしてるような奴の理想なんてのはクソ喰らえだ」


 激しく咳き込む。

 大量の血が手に付着している。


「お兄さま! 動いては駄目です!」


 フレアの静止を振り切る。

 どうやら――俺って奴は親という生き物に弱いらしい。


「俺を即死させる呪いだ? 殺れるもんなら殺ってみろよ、三下。お前如きにゃ絶対無理だろうけどな」

「……戯言を」

「理想を押し通したいならまず俺を殺せ。死んでやらねえけどな」


 エストールは不愉快そうに眉を顰めた。

 

「では死ね」


 そして。

 強い呪いが、俺を襲った。

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