第154話:神の領域

 水龍は悠然と宙に浮かびながらこちらを睨んでいる。

 これまでのボスや守護者ガーディアンとは一線を画す存在だと考えていい。


 元からかなりのものだったが、魔石を取り込んだ事によって更に威圧感を増している。

 

 正直、足が竦む。

 精霊達ならワケなく勝てる相手だとしても、俺はまだそこまで強くなれていない。

 いつまでも守られているばかりでいられないとは思っていても、まだまだ俺には足りないものがたくさんあるからだ。

 それを今までは魔力の多さというアドバンテージで誤魔化してきただけの話である。


「その魔力を有効活用しようってんだから、どの道やるしかないよな……」


 右手を向ける。

 フレアがめちゃくちゃうきうきしているような眼差しで俺のことを見てくるが、正直詠唱を考えるセンスなんて俺には無いに等しいのであまり過剰に期待しないで欲しいものだ。


 しかし。

 俺が魔力を練り上げる前に、水龍は動いていた。

 鎌首をもたげ、口を大きく開いてその中にはとんでもない量の魔力が凝縮され――


咆哮ブレスが来るニャ――!」

 

 ルルが叫ぶのと同時に、スノウの氷が俺達を覆った。

 直後。

 凄まじい勢いで水龍の口から大量の水が発射された。


 水と氷の衝突。

 ズズン、と重い音がしてスノウの氷の盾が少し床に沈む。

 

「魔力を質量に変換するタイプね」

「足場を作りましょうか」


 スノウが面倒くさそうに呟き、シトリーが恐らく土魔法か何かで足場を盛り上げさせる。

 しばらく水のブレスは続き、やがて先程ウェンディが持ち上げ、スノウが凍らせて砕いたことによってなくなった池に再び水が満たされる結果になった。

 更に先程スノウが凍らせた分も加わったせいで、純粋に水かさが二倍近くなっている。

 シトリーが足場を作っていなかったら今頃俺達は沈んでいたところだろう。

 


「い、今のはヤバかったニャ……猫は水が苦手なのニャ」


 気づけばルルが俺の腕に抱きついていた。浮き輪にでもしようとしたのだろうか。

 どうやら猫の水嫌いは万国……万界(?)共通らしい。

 というか何万トン、下手すりゃ何十万トンにもなりそうな水の量を一発で魔力から変換できるあの水龍は何なんだよ。

 スノウ達が居なかったら今のでゲームオーバーだった。


 怖すぎて腕に押し付けられているマシュマロみたいな感覚をフルで楽しめない。

 ヤバすぎるって、あの水龍。

 

 フレアがルルの尻尾を掴んだ。


「ふギャッ!?」

「ルル、お兄さまの動きに支障が出てしまうでしょう? 離れなさい。今すぐ」

「わ、わかってるニャ! おっかないニャ……」


 表情筋はにこやかな表情を浮かべているのだが、どう見ても今のは目が笑っていなかった。

 おっかないと言ったルルの気持ちがよくわかる。

 水龍よりこっちの方がよっぽど怖えや。

 ルルがフレアに連れられ、俺から離れていく。

 ああ、獣人の健康おっぱいが……


 スノウの氷が消える。


「ほら、さっさと倒しなさいよ。何度もあればっかりやられるとどうしようもなくなるわよ」

「……わかってるさ」


 どうしようもなくなる、というのは水という物量に押しつぶされるぞという意味だろう。

 スノウが氷はスノウの意志で出したり消したりできるようだが、元々あるモノを凍らせた場合はその氷を溶かすことはできても消すことはできない。

 フレアが一気に蒸発させるという手は……現実的に考えて無しだな。

 水蒸気爆発が起きてしまう。

 俺の中学生頃の記憶が正しければ、水が水蒸気になる時は体積が1700倍くらいになったはずだ。


 そうなれば下手すればこのボス部屋ごと吹き飛ぶわけで、ダンジョンなので部屋自体は修復されるだろうし、スノウの氷によるバリアがあれば俺達も無事で済むかもしれないが、そうなれば結局振り出しに戻るだけだ。


 かと言って増える水を放っておく訳にもいかない。

 あの水龍は部屋の中が水槽みたいになっても大丈夫なんだろうが、俺達は違う。

 水中で呼吸する方法はないし、あったとしてもルルとスノウがカナヅチだ。

 短期決戦で終わらせるしかない。


 しかし、炎の文句を入れた詠唱か。

 相手が水なのに炎で大丈夫なのだろうか。

 そんなことを考えていると、基本的に今まで口出ししないで見守っていたシトリーが話しかけてきた。


「悠真ちゃん、詠唱のことはお姉さんもアドバイスできないけど、一つだけ。フレアの<炎>を詠唱に入れるんだとしても、その魔法自体が炎の属性を帯びる訳じゃないからね」

「……あ、そっか。そりゃそうだよな」


 先刻俺が銀色の魚に放った魔法だって、別にウェンディのような風属性を纏っていた訳ではなかった。

 炎という言葉が入っているからと言って炎属性になる訳じゃないのか。

 もしこのまま魔法を放っていたら、そのイメージに引っ張られてほとんど威力の出ないモノになっていたかもしれない。

 流石はシトリー、欲しい時に的確なアドバイスをくれるな。


「という訳で、お前はそろそろ退場して貰うぞ」


 今度こそ右の掌を水龍に向ける。

 多分、俺が普通に<魔弾>を放ってもこの水龍には効き目が薄い。

 新宿ダンジョンでやった本気の<魔弾>なら或いはダメージが入るかもしれないが、結局それは何も制御できていないただの力任せだ。


 詠唱の真髄は威力を高めることではない。

 魔法を――魔力を安定させることにある。


「巡る力へ命ずる 手中に収めし魔の力よ 我が意に従い水の龍をも破壊する猛り狂う炎が如く在れ」

 

 荒々しい魔力が掌へ集まっていく。

 イメージするのはフレアの破壊的な威力を持つ魔法。

 地面をも溶かす程の圧倒的な技。


 しかし、爆発ではない。

 そうなるとこの狭い部屋では危険すぎる。

 もちろん、スノウがいれば怪我をするようなことはないだろう。

 しかし彼女の防御頼りの魔法を使うようでは、新宿ダンジョンで放ったあの<魔弾>と変わりない。

 

 相手を魔法の威力で包むようなイメージだ。

 それで倒せばいい。


「留まれ、そして討ち滅ぼせ――」


 ――違う。

 これは放つものではない。

 むしろ、こうして――


 掌に出現したまるで白い魔力が燃えているかのような玉が巨大化する。


 がどんな性質かを察した、元々俺の前に立っていたスノウとウェンディが後ろへ下がった。

 

 そのまま白い魔力の玉は拡大していく。

 

「……そんな馬鹿げた話がある訳ないニャ」


 ルルも何かを察したのか、後ろから唖然としたような声が聞こえた。

 

 俺の脳裏に浮かんでいるのは、その場から一歩も動かずに周りにいる敵を地面ごと溶かしてしまうような圧倒的な熱量で滅ぼしてしまったフレアだ。

 あの時のフレアのように、それ以外の対象へ影響を及ぼさないような繊細なコントロールは出来ないが――


 白く燃える球体はどんどん大きくなっていく。

 もはや俺の身の丈など遥かに超え、直径で10メートルはあろうかと言う程に成長している。

 だが、まだまだこんなものではない。


 一気に行くぞ。


「はああああ!!」


 ごっそりと魔力が持っていかれる。

 白く燃える球体は一気に拡大し、逃げようとしていた水龍を捕える程にまでなった。

 そして。


「くっ……ぐっ……」

 

 渾身の力を込めて、白く燃える球体を握りつぶしていくようなイメージ。

 水龍を呑み込んだ球体は徐々に小さくなっていき、やがて俺の掌に収まるサイズにまで縮小した。


 そして最後に、俺が右の掌を完全に握り込むのと同時にボフッ、と音を立てて完全に消え去った。


 もちろん、水龍の姿もどこにもない。


 空中で光の粒がパッときらめいて、そこには大きな魔石が一つと、一本の長く青い、どことなく水龍モチーフであることを感じさせる美しい槍が現れた。

 どうやら完全に消滅させてしまってもこのようにして魔石もドロップ品も残るようになっているらしい。


 ていうか、槍か。

 かの異世界の勇者から託された剣、アスカロンですらまだまだ持て余しているのにここで槍が加わってもな。

 柳枝さん辺りにプレゼントしようかな、これ。

 あの人なら多分どんな武器でも俺以上に使いこなしてくれるだろうし、現場復帰記念ということで。

 

 槍と魔石を拾い上げていると、スノウが後ろから話しかけてきた。


「……ちょっとあんた、今の何よ」

「何よって、フレアの炎を参考にしたんだよ。いい感じだっただろ?」

「いい感じも何も、今のは……」


 スノウはルルの方を睨んだ。

 ルルは素知らぬ顔でそっぽを向いて口笛を吹こうとしている。

 吹けていないが。


「どうしたんだよ」

「悠真ちゃん、今の魔法を使ってなんともないの? 魔力量は大丈夫?」


 スノウもルルも答えようとしない中、シトリーが俺の体をぺたぺた触りながら聞いてきた。

 やめて、そこは弱いの。くすぐったいの。


「全然平気だけど、もしかして無駄に魔力を使いすぎたのか?」

「無駄にというか……」


 シトリーもどう説明したらいいか考えかねているようだった。


「マスター、今のは私達の間で<理論魔法>と呼ばれる、『理屈の上では存在するが、実在はしない』魔法に性質が酷似しています」

「……理論魔法?」


 なんだそりゃ。

 実在はしない魔法?


「実際に使えているのなら問題はないのでは? ウェンディお姉さま」


 スノウ、シトリー、そしてウェンディは深刻……というか、驚きの方が強いようだが、フレアは喜びの方が強いようだ。


「そうですが……まさか詠唱をすることによって、知らず知らずに理論魔法を完成させてしまうとは……」

を入れることによって完成させてくださるなんて、なんという僥倖なのでしょう! お兄さま、フレアはお兄さまと出会えて幸せです!」

「そ、そうか、そりゃ良かったな。俺もお前と会えてよかったよ」

「お兄さま……!」


 感激したようにフレアが俺の両手を握る。

 熱い、ちょっと熱いんですけど。

 興奮して熱が発生してるんですけど!


「で、ルル。説明してくれるよな」

「……さっきのはあたしの世界では<失われた魔法ロストマジック>と呼ばれてるニャ」


 失われた魔法?

 <理論魔法>と言い<失われた魔法>と言い、厨二チックな単語が並ぶな。

 22歳になる今でもそういうの好きだけどね。

 いつまでも心は少年のままなのだ。


「失われた……ってことは、時もあるってことか?」

「無いニャ」


 即答だった。

 無いのですか。

 じゃあ失われたんじゃなくて存在しない魔法じゃん。


「けど、神話では存在していたニャ。さっきのは<消滅魔法ホワイト・ゼロ>という魔法によく似ているニャ。罪を犯した神を裁く、神の魔法ニャ」


 厨二病が止まらない。

 なんだ消滅魔法ホワイト・ゼロって。

 神話にしか存在しない魔法って。

 神を裁く魔法って。

 かっこよすぎるだろおい。


「お姉さんたちが知っているのも多分、ルルちゃんの世界にあるのとほとんど同じよ。腕のいい魔導師が万の単位で集まり、命を燃やす覚悟を持ってようやく実現が現実的になると言われているような魔法。膨大な魔力が対象のに直接介入して、消失させてしまうの。名前までは知らなかったけど……」

「……そんな危ない魔法なのか、今の」


 絶対人に向けて使っちゃいけないやつじゃん。

 そういう技、たまに漫画とかで見るけどさ。

 一撃必殺すぎてほとんど使われないパターンのやつだ。


「あくまでも似てるってだけで、本当に同一かどうかはわからないけど……なにせ本当に使った人が今までいないから」

「なるほど……」

 

 神話レベルでしか存在しない、或いは理論でしか存在しないことをやってのけたのだとすれば、皆の反応も理解できるというものだ。

 俺の魔力って、多いのは勿論わかっていたのだが実際どれくらいあるのだろうか。

 

 シトリーの話を鵜呑みにするのならば、腕のいい魔導師1万人分よりも俺一人分の魔力が多い……のか?

 そんな単純な話でもないとは思うが……

 

「まあでも、今の魔法は強力かもしれないけど隙が大きいんだよな。あんまり実用的じゃないかもしれない」


 そう言うとスノウは呆れたように溜め息をついた。


「当然でしょ。あの<理論魔法>は本来戦争に使うようなものよ。相手の国の中枢に向けてぶっ放すのが正しい使い方なんだから、あの程度の隙ならむしろ無いに等しいわ」

「こわっ!」

「そんな魔法をあんたはあの水龍一匹に使ったの。良かったわね、ここに居たのがあたし達だけで。もしこんなのを大多数に見られてたら面倒な事に……あら、部外者の猫が一匹いたわねそういえば」

「ニャ!? い、言いふらしたりしないニャ! 絶対だニャ!」


 あわれなルルは尻尾を逆立てて耳もぺたんとしたイカ耳になっている。

 

「というか、言いふらす勇気がまずないニャ。ヤバイのに喧嘩を売る理由がないニャ」

「でもあんたが元の世界に戻ってから何かしら言いふらして、面倒なことにならないという保証もないわよね」

「んニャ!?」

「それニャら……」


 ウェンディが何かを提案しようとしたのだろう。

 しかしルルのニャーニャー言っている語尾が移ったのかなんなのか、確かに今ウェンディは「それニャら」と言った。


 あ、めっちゃ顔赤くなってる。

 

「そ、それならルルもうちに住まわせれば良いのではないでしょうか」

「……そこまですることか?」


 今触れるのは可哀想なので、俺はスルーすることにした。

 後でたっぷりいじるが。

 具体的にはベッドの上で。


「そこまでする事です。ルル自身が口を割らなくても、魔法で情報が抜かれたりする可能性はあるので。そうなれば、最悪の場合異世界の国家と戦争になるかもしれません。なにせ神話にもなる程の魔法ですから」


 うっ……

 確かに、神話とかが絡むと過激な派閥とかが元気になりそうなイメージがある。

 そもそもこの魔法、戦争用らしいし。


 として俺を欲しがるような異世界の国が現れるかもしれない。


「それなら確かに、ルルちゃんをうちで『保護』した方が良いかもしれないわね~。ね、ルルちゃん?」

 

 ウェンディとシトリーに有無を言わさぬ圧をかけられた哀れな猫は……


「は、はいですニャ……」


 と頷く他なかったのだった。

 鰹節たくさん用意してあげるから、元気だせよ。

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