章間:確かな予感
side伊敷 未菜
珍しく会社で仕事をしていた未菜とそれを監視していた
「ロサンゼルスで高層ビルがダンジョンに変異しただと……?」
10年間ダンジョンに最前線で関わってきた未菜ですら一度も聞いたことのない事例。
偶発的に発生したダンジョンが既存の建物の一部を飲み込んだという例はなくもない。
だがそうではなく、全体の変異ともなるとこれまでとは規模の違う犠牲者が出るだろう。
事実、未菜のところまで上がってきた情報の時点で死者・行方不明者の総数は1143人となっていた。
ビルの規模から考えて確認の取れていないものまで含めれば、ダンジョン発生の時刻を考慮して2000人は優に超えるだろう。
「今はまだ対岸の火事だが、日本で同じことが起きないとは言えないぞ。お前の報告した件もあることだ。何が起きてもおかしくはない」
柳枝は渋面を浮かべながら提言する。
未菜の報告した件とはボスが本来いないはずの階層に現れた、という事。
これもまた今までに起きなかったことだ。
何らかの異変がダンジョンを中心に起きている。
それは明らかだった。
未菜は天井を仰ぎ見る。
「分かっている。かと言ってもう少し詳しい情報が出るまではこちらも何も出来ない。あちらは政府主導だからな。情報が開示されるまでは時間がかかる」
そう――今のところは何もできない。
今頃あちらでは政府が躍起になって事態の収束へ動いているだろう。
しかしそれはとても迅速な動きとは言えない。
ダンジョン絡み――もっと言えば魔力が絡んでいる以上、どうしても動きが鈍ってしまうのだ。
魔力を多く持つ探索者を下手に失うわけにはいかない。
魔力の存在は極秘裏だ。
近頃はレベル要素として知られ始めているが。
魔力の存在が広く知れ渡れば世界中が混乱に陥る。
――というのは建前だ。
各国の本音としては、魔力によって身体能力が強化された<兵士>を作り、その情報を独占することによって立場を市民に脅かされないようにするというどこまでも自分本位な考え方である。
未菜は小さく呟く。
「……それを知っていながら公表しない私が人のことをとやかく言えたことではないか」
「なにか言ったか?」
「いいや、柳枝。私は何も言っていないさ。何もな」
もし秘密を漏らせば未菜の身だけではなく、日本という国そのものの立場が危うくなる。
未菜は溜め息をついた。
「全く、面倒なことだ」
魔力の存在を隠すということには日本の政府も関わっている。
というより、早い段階で圧力がかかっていたのだ。
元々与える影響の大きさ故に公表する気もなかったことだが、G7を始めとした先進国で<魔力>の存在を公表しないということが取り決められた。
もちろんその中には中国やロシアと言った本来そこに加入していない国も入っている。
国家ぐるみのルールと言っていい。
日本ではダンジョンのことは基本的にはダンジョン管理局が取りまとめているが、結局のところそれは魔力を秘密にするというルールの上に成り立っていること。
(民間企業とは謳っているが、全く政府と関わりがない訳でもない……とても公表は出来ないがな)
自分のことを英雄と慕ってくれる国民が――もっと身近なところで言えば、悠真が知ったらどう思うだろうか。
そう考えると胸が痛む。
「どう思う、伊敷」
「どう、とは?」
柳枝が真剣な表情を浮かべ、伊敷に問いかける。
「アメリカはこの事態を収束出来ると思うか」
被害者の多さ。
そして世間に与えている衝撃の大きさ。
これらを考えれば、アメリカはあのダンジョンを放置はしないだろう。
即時の攻略を目指すはず。
今は手をこまねいているかもしれないが、それも僅かな間だろう。
準備を整えた後、アメリカの最高戦力クラスが動き出す。
だが――
「分からない。このダンジョンの難易度がどれ程のものか、私たちは知る術はないからな」
「予想でいい。ダンジョンと関わってきた長年の勘の、な」
「難しいだろうな」
未菜は断言した。
情報のない今は公式に発言することは出来ない。
だがそれこそ未菜の勘ではこの事態は普通でないと警鐘を鳴らしていた。
一般的にダンジョンの難易度には統一性がないと言われている。
どのようなダンジョンが難しく、どのようなダンジョンが簡単なのか。
未菜や柳枝ほどの歴戦の探索者にもなればそこに入ればある程度の難易度は察することが出来るが、今回はそれも敵わない。
国内の主要なダンジョンには(勝手に)何度も行ったことのある未菜でも、流石にそれが海外ともなればそう簡単には行くことが出来ない。
スノウを始めとした悠真たちのグループはその難易度を簡易的に見極める方法を既に知っているが、それは一般的な知識ではない。
そもそもの話、そのようにダンジョンをゲーム感覚の難易度で区切るということが出来るほどの実力を持つ者が少ないのだ。
そしてそのスノウ達でさえ、今回発生したダンジョンのことについては分からないことの方が多かった。
唯一分かっているのは、『分からないという事』のみ。
未菜が口を開く。
「もうしばらくすればあちらの軍が動くだろう。それでどうにもならなかったら……」
「事実上、人類がダンジョンに敗北したということになる」
柳枝が重々しい口調で断言した。
人類の敗北――
これまでは勝利するとまでは言わずとも、上手く付き合ってきたつもりだった。
その均衡が崩れるというのだ。
もちろんそれは分かっているが、一応未菜は反論のようなことを言っておく。
「既存の建物がダンジョンに変異するという事例が他でも起きるならな」
「起きないと断言する方が難しかろう」
「全くだな」
だからこそ厄介なのだ。
このダンジョンの原因解明、そして攻略が進まなければまず高層ビルそのものが廃れるだろう。
否、それだけで済めばまだ被害は軽い方だ。
最悪の場合、駅や学校など主要かつ人流の多い場所すべてが閉鎖もしくは解体される可能性だってある。
そうなれば人々へ与える影響はダンジョンが現れたあの時と同規模、あるいはそれ以上のものになる。
再び世界中が混乱に陥るだろう。
10年経って、ようやく人々はダンジョンという謎に対して向き合えるようになってきたというのに。
(あるいは人々が慣れ始めた頃だからこそ……か? いや、考えすぎか……)
基本的にはどこにいてもダンジョンに巻き込まれる可能性はある。
ある日普通に道を歩いていて巻き込まれた悠真のように。
しかし、人々は誰もその可能性を憂慮しない。
道を歩いていて隕石にぶつかることを心配する人間がいるだろうか、という話だ。
しかしそれが建物ピンポイントでダンジョン化する可能性があるともなれば話は変わってくる。
本来発生するダンジョンなど、精々が巻き込まれても一人や二人、多くて三人程度だ。
ダンジョン発生時に生じる穴というものはそれほど大きくない。
しかし建物全体がダンジョンに変わるのなら、その穴に落ちるという仮定すらなしにそこにいるだけでアウト。
体感的な危険度は跳ね上がるという訳だ。
柳枝は額を押さえた。
頭痛のタネがまた一つ増えた、と言わんばかりに。
「すぐさま混乱が起きる訳ではないだろうが、このご時世だ。誰かがそのことで騒ぎ出し、テレビやネットを介して全体に広まるのも時間の問題だろう」
「その辺りのことは私たちでどうこうするのは無理だ。国に任せるしかない」
流石にダンジョン管理局と言えど、そこまで抑制出来る訳ではない。
とは言え、国になら出来るとも言い切れないのだが。
人の感情というものは理屈ではない。
特に不安や恐怖というものは。
それをいの一番に拭うことが出来たからこそ政府を差し置いて民間でダンジョンのことを取り仕切っているのがダンジョン管理局なのだから。
しかしだからこそ、
「間違いなく我々が矢面に立たされるだろうな。いや、我々というより、俺が、か」
「……すまないな、柳枝」
ダンジョン攻略者を抱えあげる、という名目で作られた会社。
発案者こそ彼女ではないが、間違いなく彼女の実績ありきで成立しているのに、その自分が世間に身を晒さず、安全を享受している。
そのことに対しての負い目というものはやはり未菜の中にあった。
「良い。名声を受けられないというデメリットを甘んじて受けれている時点でそのことに対する贖罪は済んでいるだろう。お前は
柳枝はそう言うが、それは建前だと未菜は分かっている。
一番の理由は彼女自身が10年前に望んだ、必要以上に目立ちたくないという言葉によるものだと。
15の子供だ。
当時の大人は――柳枝はそれを尊重した。
そして当時のパーティメンバーも。
今もなお、全員が誰一人秘密を漏らさずにいてくれる。
「……新進気鋭のあの二人組……いや、今は三人組になったんだったか? 彼らが解決してくれないだろうか」
柳枝は本気でそう思ってはいないが、と言わんばかりの態度で冗談混じりにそんなことを言った。
しかし事実、柳枝にとっての彼らは得体のしれない何か。
短期間で発生したてのものを含めてダンジョンを3つも攻略しているのだ。
それもごく少人数で。
普通ならあり得ない。
なら今起きているあり得ないこともそのあり得ない力で解決してくれれば良いのに。
それくらいのノリでの軽口である。
「…………」
しかしそれを聞いた未菜の中では、確信めいた予感があった。
この件だけに関わらず――
彼らの存在が、これからの『ダンジョンのある世界』において重要な何かを担うであろう、ということ。
その予感が正しいかどうかは、まだ誰も知らない。
「しかしそれはそうとして、伊敷。お前が報告したことの中に隠していることがあるだろう」
先程までの深刻な雰囲気とは打って変わって、未菜にとって一番馴染み深い雰囲気が出る。
それはこの10年間、ほとんど父親代わりとして接してきた相手としての身近なもの。
しかしその雰囲気が出る時はつまるところ未菜に何かしらの非がある時だ。
具体的に言えば、ほとんどはダンジョン絡みのことで。
「……なんのことだ?」
未菜は先程までのシリアスな表情のままとぼけた。
というより、心当たりがありすぎて何が正解なのかよく分からないのでとぼけている。
変に藪をつついて蛇を出すのは避けたいからだ。
「皆城君から既に連絡を受けている。よく出来た若者だな。お前の子守だけでなく、ちゃんと報告もしてくれるのだから。ほうれんそうを怠るどこかの誰かとは大違いだ」
「……しまった」
口止めをしておくべきだった。
しかし時既に遅しである。
「言っておくが、口止めは無駄だぞ。あの若者は責任感が強い。お前を怪我させてしまったことに対して申し訳無さそうにしていたからな」
流石は父親代わり。
未菜の思っていることもお見通しである。
というより普通に表情に出ていた。
「ダンジョンで重傷を負ったそうだな。それを彼の精霊に治して貰ったと」
「そういうことも……あったかな?」
たらりと未菜のこめかみに冷や汗が垂れる。
よく考えなくても分かることだった。
悠真のあの性格で、そのことを柳枝に報告しないはずがなかった。
「あったかな、じゃない。また俺に報告しないでダンジョンに行った挙げ句、自分だけでなく皆城君も危険な目に合わせた訳だ。皆城君はしきりに謝っていたがな。自分の力が及ばなかったせいだと」
「それは違う。私の不注意だ」
「そんなことは分かっている。たとえボスが本来いない階層に現れるというイレギュラーがあったとしても、経験年数の長いお前がついていながら彼を危険な目に合わせたのはお前の落ち度だ。どれだけ強くともまだ成人したての青年。それも彼はダンジョンについては初心者のようなものだ」
ぐうの音も出なかった。
こうなると基本的に未菜は柳枝に勝てない。
なぜならほとんどの場合で未菜が悪いからである。
そして柳枝の言うことはとことん正論だった。
未菜の大人としての部分はそれを理解している。
甘んじてお叱りを受けるべきだとも。
しかし、悠真もある程度見抜いていた通り、未菜の根っこの部分は案外子どもっぽい。
それがどういう結果に繋がるかと言うと……
「あ、おい伊敷! お前能力を使ったな! 少し俺が叱ると毎回こうだ! 出てこい、こら!」
(そんなことはお前に言われなくとも分かっているんだ、柳枝。だからこそ私はこれから強くなる。今度こそ彼を――悠真君を守れるようにな)
完全に気配を消した未菜を柳枝が見つけられるはずもなく、虚空に向かって叱り続ける彼を尻目にそっと未菜は部屋を出ていった。
30分だけ修練場に行って、柳枝の怒りが落ち着いた頃に帰ってこようと考えながら。
結局30分後にのこのこ帰ってきて、それを待ち構えていた柳枝にこっぴどく叱られるのはまた別の話である。
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