387.仄暗い翳りと母の愛〜ヘルトside

「····うん。

でも····駄目。

そうされて良い人達じゃないから」


 少し震えている。

擦っている背中越しに呼吸を確かめているが、今のところ過呼吸にはなっていない。

随分と浅い呼吸にはなっているが。


「歴史も歪んで、亡骸だってもう無くて、微かにでも覚えていてくれる家族がいるのに····家族の為に戦って、なのに僕以外、もう誰の記憶にすらもその最期は遺っていないんだ。

彼らがいたからこの世界は次に繋げられたのに····凄惨な死が待つってわかっていても、あの地に残って命が消える瞬間まで戦っていたのに····。

だから····」

「それで可愛いお前が苦しむのは、父様は嫌だな。

兄達だってそうだよ?」

「そんなの····わかっているもの。

だから教えたく····」


 少しむくれてしまったかな。


 そうだな。


 何年か前までのこの子なら、それでも隠そうとしていたんだと思う。

私達の心配を受け入れられるようになってきたから、こうして教えようとしてくれているんだろう。


 兄にははぐらかし、父親の私には教えてくれた。

それが何とはなしに嬉しくもある。

息子達にいつか自慢してやりたい。


「それならせめて教えてくれるかい?

どうしてまた症状が出たのか」

「それは········」


 そこは核心に触れる事のようだ。

黙ってしまった。


「教えられない?」


 時々何かしらの制約にあたるようで、そういう時には無理には聞けない。


 しかし娘は小さく首を振る。


「教えたくない?」

「····わからない。

理由····わからない、けど····どうしてかな····自分の気持ちの問題なのに····複雑····」


 何かに葛藤や戸惑いがあって、まだ口にできないというところか。


 この子は器用貧乏だ。

特に自分の内面については。


 内側に負う傷には平気で蓋をして、誤魔化しもして、後で爆発してやっと消化する。

損な性格だ。


 かつての専属侍女の死ココについてもそうだった。

あのまま自然の成り行きに任せていれば、この子の中の歪みは2度と正せないまま、壊れた感情は死んでいただろう。


 まるでグレインビル家のかつての先代達のようだ。


 私も含めて当主達は家族に、特に妻にはことさら執着する。

それは血生臭い紛争が起こるあの領ではそれが正気を保つ唯一の拠り所となるからかもしれない。


 だから妻に先立たれた先代達は狂乱の中に身を置いて、最期は正気を失う。

次代の当主の最初の仕事が先代を殺す事だったなんていう話も、ままある。


 そういう意味では、私は幸運だったのかもしれない。


 ふと父親先代の最期に思いを馳せそうになって、我に返る。

今はこの子の事だったな。


「ミレーネが言っていたよ。

もし次にお前にその症状が出たら、私が理由を聞くようにって」

「····母様が?」


 思わず顔を上げた紫暗の瞳は、仄暗ほのぐらかげり、揺れているように見えた。


「そうだよ。

いつか再発するのがわかっていたんだろうね。

お前は強いけど、脆くもあるから」


 目を反らさずに話せば、事の真偽を····いや、違うな。

当時の母の想いを、私を通して紐解こうとするかのように目を細める。


そうだったんだろう?」

「········それも····母様が?」


 驚いたように目を開き、恐らく絶句している。

最後の言葉は、呟きのようなものかもしれない。


「ああ。

自分は側にいて傷ついたお前を慰める事しかできないけど、私にはお前の負った傷に触れてやって欲しいとね。

親友と同じように」


 ミレーネから教わった事をそのまま話せば、優しげな目に涙があふれ、仄暗いかげりが消えた。


 結局この子を真に救うのはミレーネ母親の愛なのかもしれない。


「あ····母様········ミク····。

全て····思い出してたのかな?」


 ぼろぼろと涙をこぼし始めた娘は、今にも消えてしまいそうな程に儚く、頼りなく感じる。


「どうだろう?

そこまでは聞いていないんだ」


 消えてしまいそうな存在をぎゅっと抱きしめる。


「ただね、私達が結婚する前。

誰かの母親になる約束を叶える為に産まれたんだと聞いた事はあったんだ。

約束の子供には必ずアリリアと、夢で見た木にちなんだ名前をつけるんだと言っていた」

「····さく、ら····」

「そういう名前の木なのかい?

名前までは教えてくれなかったんだ。

亡くなる少し前かな。

かつての幼馴染の事を夢で見たと言って、その時だよ。

私にお前の事をそう頼んだのは」


 胸に抱いた小さな頭をそっと撫でてやる。


 虚弱ですぐに死んでしまうかもしれないと、そう覚悟して育てていたこの子は相変わらず小さい。

小さいけれど、この子なりに成長している。


「自分は親友にはなれなかったけど、幼馴染としての自分だからこその役割があったんだと、今になってやっと腑に落ちたと、そう笑っていた」

「········そう····そっか····うっ、っく、ミク····」


 娘が漏らす初めて聞く名前らしき言葉に、どうしてか愛しさを感じた。

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