100.馬車の中~クラウディアside
「本日あなたはグレインビル侯爵令嬢のお世話をなさい」
もう春だというのに昨夜は真冬のように底冷えした夜でしたわ。
使用人用の部屋には暖炉もなく、分厚い掛布をかぶっていても寒くて凍えてほとんど寝つけなかった、そんな翌日の早朝でしたの。
お母様はにこりともせず私に告げられました。
「私に侍女の真似事をしろと?」
寝不足からつい苛立ちをぶつけてしまいましたわ。
けれどどうであっても格下の家の後妻となるのですものね。
今更どうでもいいという投げ槍な気持ちになってしまいましたの。
「侍女にも劣る仕事しかできないのにおこがましいですね。
あなたは既に公爵令嬢ではありません」
そうですわね。
もう伯爵家に嫁ぐのですもの····。
「グレインビル侯爵令嬢の恩赦で本日はフォンデアス公爵家の体裁を整える為にあなたの出席を認めただけ。
しかしあなたの価値は幼いあの令嬢によって評価され、
今後?
どういう事ですの?
すでに私の今後は決まっているのではなくて?
私はこれまでのような令嬢として過ごせるのかと一縷の希望にすがりそうになり····お母様の顔を見て浅ましくも希望を抱いた事に羞恥を覚え、カッと顔が熱くなりましたわ。
けれどそれと同時に私は····。
「他人を評価するだけの価値があの者にあると?」
悔しくもあったのです。
けれどこの悔しさや苛立ちは自分に対してでしたわ。
わかっておりますの。
昨日のあの馬車の中で、嫌という程自らの至らなさを痛感しましたのよ。
もちろんあの子が幼い身でありながら誰よりも貴族然とした考えの持ち主だとは認めて····いえ、知りましたわ。
けれど····けれどもこれまで馬鹿にしてきたあの子を素直に認められない、ちっぽけだとわかっていてもプライドが邪魔をして素直になれないのです。
どうして私はこうなのかしら。
変わらなければいけないとわかっているのに、そう出来ない自分が悔しい。
今変わらなければ····。
「嫌ならば評価の機会すら奪われ、侯爵によって貴族裁判にかけられます。
良くて平民として放逐、悪ければ奴隷となる事もあるでしょうが、どのみち貴族の身分は剥奪されます」
「····なに····」
呆然としてしまいます。
裁判?
奴隷?
貴族でなくなる?
伯爵家の後妻ではないの?
「あなたがこれまでに侯爵令息に行った事、そしてまだ社交界にすら出ない令嬢を貶めた事は犯罪。
それも何年にも渡って貶め、最後には本人を前にして罵り、グレインビル侯爵家をも軽んじた。
前回に引き続き、あちらは既に一連の証拠を押さえてこちらにも提示しているわ」
既に
「我が公爵家が亡きグレインビル侯爵夫人の生家だからこそ、これまで大目に見てくれていただけの事なのにそれに気づきもせずに、あなたは彼らの別荘で本来なら最後となる酌量の機会を自ら棒にふり、さらにそれを現行犯としての証拠として押さえられたの。
本当に愚かしいわ」
お母様はやれやれとため息をつきながら首を振りましたわ。
「社交界でのあなたの評判を知っていて?
身分はあっても中身のないつきまとい令嬢。
公爵家の寄生虫。
他にもたくさんあるわ。
あなたの度を超えた言動があなたを社交界から追い出しているのよ。
公爵令嬢でありながらまともな嫁ぎ先がない令嬢などそうはいなくてよ。
これで裁判などにかけられれば、唯一
彼女が憤る家族に口添えしてあなたを自分に預ける事で首の皮1枚繋がったのですよ」
なん、ですって····。
言葉が、出てきませんでしたわ。
あまりの自分の現状に、理解が追いつきませんでした。
この後馬車で移動する頃になって、どれほど自分が甘かったか痛感していくのですけれど····。
「どうしますか?
令嬢の評価を受け入れるか、裁判にかけられるか。
どちらにしても我が公爵家からは勘当となり、今後許可なく領地に立ち入る事は許されませんが」
「····どうかグレインビル侯爵令嬢の評価を受けさせて下さいませ」
屈辱、絶望、恐怖、苦しみ、悲しみ。
言い様のない感情が渦巻き、自分ではどうする事も出来なくなって涙が止まらなくなりましたわ。
勘当される····。
私は公爵令嬢どころか、貴族ですらなくなってしまいますの?
私はこれまでの自分が足元から崩れていくような、そんな恐怖に支配されたのです。
それからはどうやって支度したのか、元々用意してあったレイヤード様の目のお色に合わせた赤いドレスに身を包み、ホールであの子とグレインビル侯爵家の馬車に乗り込みましたの。
最初は2人の会話も頭に入ってきませんでしたわ。
ただ呆然と聞き流しておりました。
けれどお母様が馬車の乗り心地についておっしゃって、そういえばお尻も痛くないなと思った所からやっと会話が頭に入り始めたのです。
「あなたは自領の商品開発について詳しいのね」
「知っていれば役に立つ事もその時もございましょう?
それに領民が1番大変な実働を担ってくれているのなら、領主とその家族は宣伝くらいしておかなくては彼らのより良い働きを引き出せませんもの。
周りに認められるような何かを作る事ができれば、彼らの労働意識も作業効率も変わりますわ」
また、思い知らされます。
私は自領の事はほとんど知りませんもの。
ただ家の為に嫁げば····いえ、レイヤード様に嫁ぐのを当然と淑女教育も疎かにしたのは他ならぬ私でしたわね。
思わず唇を噛んでいると、こちらを見る事もないお母様に辛辣に咎められましたわ。
「ありきたりな上の下程度でも外見しか取り柄がないのですから、唇を噛んで価値を減らすのはおやめなさい」
そう、私の外見などありきたりですわね。
公爵家だからこそ着飾って高級な保湿剤や侍女のマッサージでそれらしく見た目を整えられた。
これからはそれもできませんから、きっと私の女性としての価値もすぐに衰えますわね。
いっそこのお茶会で誰かが見初めて下されば····。
レイヤード様以外の誰か····。
再び涙が溢れそうになりますわ。
「泣くと化粧が取れますよ。
上の下程度でも外見しか取り柄がないのですから、泣いて価値を減らすのはおやめなさい」
お母様も、暗にそう言ってらっしゃるようね。
既にお母様の中では私を勘当されたのでしょう。
何とか涙を堪えようと試みますが、上手くはいきませんわ。
そんな時でしたの。
小さな手が私にハンカチを差し出しましたわ。
顔を上げて、はっとします。
もしかしたらこの時初めてこの子の顔をまともに見たかもしれません。
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