第31話 控室

 大会の日はすぐにやってきた。

 みっちりと練習を積んできた一週間。カンイチは胸を張って会場の入り口に立っていた。

 時刻は集合時間の三十分前。

 入場口からは、大きなステージと気が早い観客たちの姿が見えた。


 カンイチは圧倒されていた。

 正直、観客の人数はそこまで多くはない。甘く見積もっても、三桁には届いていないだろう。しかし、そこには確かに人間がいたのだ。

 今、客席で一人の男がポップコーンを食べた。そのひとつ前の席で、一組の男女が何かを囁き合っていた。彼らの一挙手一投足がプレッシャーとなって、肩に乗っかって、カンイチを押しつぶそうとしているみたいだった。

 これまで、ただ、リカを倒す。それだけを考えてきた。自分が立つ舞台のことなんて、考える余裕はなかったのだ。


「……だけど、やるしかないんだ」


 カンイチは小さくつぶやきながら、重い足を引きずるように、参加者控室へと向かっていった。

 

 控室にはたくさんの決闘者が待っていた。

 今日の参加者は三十二名、少なくとも二十後半程度の人数がいるように見える。

 いかにも屈強そうな大男や、切れ目のイケメン、長身にショートカットの女性など、面子は様々。そんな中で、カンイチの目を引いたのは一人の男の子だった。

 背丈はカンイチの胸くらい。現実だと小学校の高学年~中学生くらいのように見える。


「あれくらいの子も出ているのか」


 少しカンイチは安心した。

 もっとも、ここは≪ADGs≫の中。彼が本当に子どもなのか、そういう外見なだけなのかは分からないのだが、カンイチの緊張が少し緩んだのは事実だった。

 そして、カンイチの目が向いたのは、男の子の見た目のためだけではなかった。その子の後ろには一人のメイドが控えていたのだ。

 男の子はメイドと何か話をしている様子だ。内容までは聞こえない。けれど、カンイチは不思議と二人から目をそらせなかった。


「メイドって実在するんだなあ……」


 そもそもここは現実ではないから、実在と表現するのは正しくないのかもしれない。

 そんな益体もないことを考えられるほどの余裕が生まれたのは、おそらく彼らのおかげだっただろう。同時に、余計なことを考えて、気を散らしていたかもしれないけれど。


「よお! また会ったな、兄ちゃん!」


 突然、背後から肩を叩かれた。そこにいたのはリカのファンの一人、イヌドリだった。


「イヌドリさんも大会に参加してたんですか!?」

「ちげぇよ。今日はリカ様の応援に来ただけだ」

「控室まで入れるものなんですね、てっきりここにいるのは参加者だけなのかと勘違いしてました」


 話によると、付き添いも一名までは許可が出ているらしい。おそらく、さっきのメイドも男の子の付き添いだったということだろう。


「誰が対戦相手なんでしょう……」


 カンイチはきょろきょろと周囲をうかがう。隠しきれない不安がにじんでいる。

 その様子を見たイヌドリは目を細めた。


「お前さんはどうしてもリカ様と戦いたくて参加したんだよな」

「は、はい……」

「あまり気負い過ぎるな、精一杯やりゃあいい。勝敗は別にしても、全力でやれ」

「……でも負けるわけにはいかないんです。負けてしまったらリカさんと戦えない。そういうわけにはいかないんです。どうしても」

「リカ様はそういう全力で頑張っている奴を嫌ったりしない。今日がダメでも、いつか必ず認めてくださるよ」


 カンイチはハッとイヌドリへと振り向いた。


「な、簡単だろう?」


 イヌドリは笑っていた。その時はじめて、カンイチはイヌドリが自分を激励してくれているのだと気が付いた。同時に、リカのファンとしては敵であるはずの男から励ましを受けたこと、それに気がつかなかった自分が恥ずかしくなった。

 イヌドリはバンバンとカンイチの背中を叩いて去っていった。恥ずかしかったが、肩の重荷は少し軽くなったような気がした。


 試合開始時間が迫っていた。気づけば、控室の人数は少し減っていた。おそらく、付き添いの人たちが外へ出ていったのだろう。

 やや張り詰めた空気が控室に流れている。緊張しているのはカンイチだけではない。


「何っ、とか、間に合いましたー!!!」

「ほんっ、とうにギリギリだけど、ね」

「ふふ、これもまた一興だね」


 張り詰めた空気を突き破るように、三人の女性たちが控室になだれ込んでくる。

 一番に飛び込んできたのはポニーテールで栗毛の女性。次にふらふらになりながらやってきたのが、茶髪をルーズなサイドテールにまとめた女性。最後に堂々とした足取りで入ってきたのが、背丈が一回り小さい、黒髪の女性だった。

 その内、はじめの二人は息を切らしている。平然とした様子なのは一回り背丈の小さい子だけだ。


「当日に激辛チゲ鍋食べてお腹壊すとか、今時中学生でもやらないぞ」

「いや~、弟があんまりおいしそうに食べてたもんで、つい、こう、ね?」

「鍋と運動で汗を流す。それもまた冬の醍醐味だね」

「実際は運動してないけどね。ここ、ゲームの中だし」


 三人組は騒がしい。カンイチは高校の学食に集まっていた女子グループを思い出し、少し微笑ましく思っていた。のだが、試合開始時刻までは、あと十分足らず。三人組の元にスタッフが飛んできて、選手ではなかったらしい茶髪と黒髪の二人を控室の外へ連行して行った。

 嵐のような三人組だった。

 控室にはどことなく弛緩した空気が流れている。

 

『間もなく1回戦が始まります。選手は指定の場所までお集まりください』


 アナウンスが流れ、参加者たちが移動を始める。

 カンイチも移動を始める。その途中、舞台へつながる廊下でリカとすれ違った。


「……」


 リカは何も語ることなく、自分の向かう方向だけを見つめていた。カンイチも声を掛けようとは思わなかった。

 まっすぐに前を見つめるリカ。

カンイチは理解していた。その正面に立てば、否応なく自分を見てもらうことができる。


「……よしッ!!」


 カンイチは頬を叩いて気合いを入れ直し、一回戦の舞台へと上がった。

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