虫女

 俺は休憩時間に読んだ雑誌の事を思い浮かべ『あの子、もっと早く水着になってれば売れてただろうにな』なんて、どうでもいいことを考えながらバイクを運転していた。


「注文のピザでーすっ!」


 カメラ付きのインターホン越しに愛想を振りまく。いつもみたく、しみったれた一軒家だったらそんなことはしない。そもそもカメラなんて付いていないだろうからな。

 でもここは違う。インターホンだけじゃなく塀の上から監視カメラちゃんが俺に熱い視線を送っている。

 少しの間。女のどうぞという声の後で門が開いた。

 でっけー家。文句なしの豪邸。以前、配達に行った、映画に出てくるような豪邸をギュッとした、椅子とテーブルを置いたらそれでお終いのちっさいバルコニーがある家とは違う。(あそこはチップくれないどころか愛想が悪かった)

 おいおいおい、噴水まである。硬貨でも沈んでないかついつい確かめたくなるが我慢我慢。この大事なピザをそこらに置くわけにはいかないからな。コイツはチップなんか期待できたり……。


「こっちよ」


「うはーい」


 うへぇと言いそうになった。セーフセーフ。いやぁ、奇妙な女。インターホンの声の人だろうか?

 出迎え? でも出てくるところは見えなかったな。噴水に気を取られてたかな。

 にしてもこの女……なんか、そう、虫みたいだな。平たく細長い体。ギョロついた目。なんて言ったっけあの虫? やべっ、ど忘れ。まあいいか。


「……そっちはお客様用。こっちから入って奥まで運んでくれる?」


 訊いてるんじゃない。やれって言い方だ。

 やりますとも、その代わり別料金が発生しますがよろしいですか?

 なんーて言わない。金持ちにはへりくだるのさ。それに内装に興味があった。

 俺は女の指さす方、多分、従業員用の入り口から入り家の中を進んだ。って結局、玄関通るのなら、ちょっと開けてくれりゃ、それで良かったじゃないかって、ちらっと振り返っても女は顎で指図するだけ。

 俺ってそんなに小汚いかね? と女の服装と見比べてみる。

 うーん。女は膝ちょい下までの長さの黒いドレスに黒いヒール。セクシー……ではないな。骨っぽいのは隠しきれていない。白すぎる足には青い血管が浮かび上がっていた。

 まあ、人の好みによるとは思うけどね。俺はもっと肉付きの良い子が好き。あのグラビアの子みたいな。あの子やっぱ今からでも人気出るんじゃね? 

 何にせよ気味の悪い女だ。ここに住んでるやつの秘書とか? お前が前を歩けよ。後ろからガブリといかれそうな気がする。

 ……いや、前を歩かれても首をグリンと後ろに回してガブリといかれそうな気がするから、もういいや。


 にしてもこの玄関やっぱ豪華。それに奥から聞こえる賑やかな音楽、話し声。

 この量のピザの注文から予想はしてたがオーイェー。パーティだ。

 上機嫌な主催者の目に留まって「君も良かったらどうだ? 楽しんでくれよ」なんて言われる事を期待しながら俺は進んだ。


 デカいドアを開けて中に入った俺は度肝抜かれた。

 その広さ、豪華さもそうだが会場に来ている連中、全員が目元だけを隠すマスクをしてやがる。

 おいおい、実はこいつらは吸血鬼で餌はピザじゃなくて俺自身……なんて考えたりして、でも俺がビビッていたのはやっぱり場違いなことだな。

 この部屋に来る前までは「一緒にどうだ」なんて言われなくても、こっそり紛れてやろうかなんて思ったりしてたんだけど、ソイツは無理な話。魔法が解けたようにこれまで何とも、むしろキマッてるって思っていたピザ屋の制服がシミやら油汚れが浮き出して急にみすぼらしくて汚い物のように思えた。


「そこに」


 はい、女王様。こちらは全面降伏です。

 俺は虫女に言われるがまま、ピザを中央のでかいテーブルまで運んだ。テーブルの白いクロスの上には、これまたでっかい海老とか、高そうなものが(名前? 知らん知らん)お行儀よく並べてあった。

 そこにでんと置かれたピザは、酔っ払ったトラック運転手が大企業の入社式に乱入したみたいだった。

 周りの客がヒソヒソクスクス、テーブル(あるいは俺か)を見てきやがる。

 相応しくない? じゃあ何でピザなんか頼んだ? 別に大した理由はないだろうさ。誰かが「庶民の味を食べたいな」なんて言い出したんだろう。箱を開けずに明日の朝、ゴミに出されてても不思議じゃない。

 はいはい、ご自由に。とっとと代金よこして帰らせてくれ。できれば釣りは取っといていいって言ってくれ。

 で、誰が金を払うんだ? 虫女か?

 て、キョロキョロしていたら声をかけられた。


「おいおい、誰だピザなんて注文した奴はぁ?」


 はっはぁ! って笑いながら近づいてきた大柄な男。

 多分、家の主。いや、注文したのはお前だろこのデブ。何を取り繕ってやがるんだ。

 コイツも目元を隠すマスクをしていたが図体同様、傲慢さが隠し切れず滲み出ていた。

 多分、相当女遊びをしてるんだろうな。こいつの広げた手にはさっきまで両横にいた女の尻の温もりが残っていそうだった。

 でも、情けない話、俺はコイツにへりくだった笑みを差し出していた。ここにきてまだチップをもらえるんじゃないかって思ったんだ。


「ほい、釣りはいいからな、ごくろーさん。はっはっは!」 


 ヘーイ、ラッキー! ……って数えると、釣りは大して出ないじゃないか。

 クソッたれめ。金持ちはケチだから金持ちでいられるなんて話を聞いた事がある。

 俺みたいなモンには太っ腹であるところを見せる必要がないってわけだ。このデブは。

 クソッ、帰る前に睨んでやる。腹下せ。……ん?


「おい、なんだお前は」


 あ? まだ睨んでないぞ? 

 と、なんだ俺に言ったんじゃないのか。後ろ? 

 ……そう、俺じゃなかった。あいつだ。あの女を見ていた。

 虫女は口から蟹みたいに泡を吹いていた。ちょっとピンクがかっていたから多分、少し口の中を切っていたのだと思う。


 デカ男と虫女。俺を挟んで向かい合う二人から、俺は静かに離れた。


「き、き、きぃぃぃぁぁぁぁぁぃぁぁ!」


 女が不気味な声を出し始めた。鳴いているのか。虫って鳴くか?


「前にクビにしただろう。何故ここにいる――」


 そう言った男の言葉尻に疑問符がつく前に、虫女は男に飛び掛り、首筋に噛み付いた。

 飛び散り、流れ出た血が大理石の床に反射する照明の光を遮った。

 男の悲鳴、それは他の客たちの悲鳴とドタドタと逃げる足音に搔き消された。

 俺も逃げ出したかったが動けなかった。女の目がギョロギョロとルーレットみたく回っている。

 目が放せない。別に大当たりを期待していたわけじゃない。何か違和感が。それが気になっていたというよりかはそうだ、ビビって動けないんだ俺は。

 男の腕がダラリと垂れ下がり、膝がガクンと折れたが、それでも女は男を放さずにいた。

 ジュルジュルと血を吸いながら肉を食っている。

 ……ああ、そうか。違和感の正体。

 あのおなかだ。

 黒いドレスで目立たなかったが膨らみがあった。

 栄養が欲しかったんだ。おなかの子供のために。多分、あの男の子供。

 ヤルことヤラれて追い出されたあの女は、この日まで自分とあの虫をどこかで重ね合わせてきたんだ。

 肉体に現れるほどに。

 ああ、そうだ。はっきり思い出した。

 カマキリだ。


 そっから先、どうなったかは俺も知らない。

 何故かって? 背を向けて逃げ出したからさ。

 謎が解け、スッキリしたからだけじゃない。そもそも女の妊娠云々も俺の勝手な想像さ。

 そしてこの先の事もな。

 俺は最後に女が男を噛んだままプールに向かって歩くのを目にした。そこでお終い。

 だってさ、その先は見たくないだろう?

 女の尻から黒く細長い寄生虫がニョロニョロ出てくるところなんてさ。

 ああ、きっと出たさ。人間の思い込みの力ってのがどれほどのものかは知らないが俺が保証するよ。

 今頃、おなかの子はプールの排水溝から出て、どっかに行っただろうよ。

 出会いたくないもんだね。もう二度とさ。

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