コールマンの進捗報告

『ただいま留守にしております。ピーと鳴ったらメッセージをどうぞ……』


 コールマンは流れる機械音声を聞いたあと、二度ほど咳払いをして短く息を吸い込んだ。

 喉が少し痛んだ。十二月の夜の寒さ、コンテナが積まれた迷路のような埠頭を海風が駆け抜け、コールマンに潮の匂いと冷気を浴びせていた。


「あー、ジョンソンさん? コールマンです。

ご依頼の件の進捗状況の報告ですが……本来なら留守電での報告は、情報漏洩の危険性から避けたいところですが『構わないからとにかく何かあったらすぐに報告してくれ』とのことでしたので、ここに失礼します。

奥様ですが動きが見られました。彼女は家を出たあとバスを乗り継ぎ、そして埠頭の倉庫にやってきました。

貸し倉庫、彼女のものでしょうか? 入り口は一つ。先程から見張っていますが、ええと二十分ほど経ってもまだ出てきません。

誰かが入ることもない。もしかするとすでに相手は中で待っていたとも考えられますが、窓がないので中の様子を覗うことはできません。もう少し待って何も動きがなければ、私も静かに中に入ってみようと思いますが……」


 待つ気はなかった。と言うより、十分待った。これ以上は大げさでなく、凍え死んでしまう。

 コールマンは仕事に忠実ではあったが早々に切り上げて、暖かいバー。そこで出される酒を呑む情景が、マッチ売りの少女が見た幻のように頭の中に浮かんでいた。


 入り口は一箇所、閉ざされたシャッターの前にコールマンはしゃがんだ。

 シャッターを上げる音は、この風の仕業だと思われるはず。問題ない。

 コールマンは潜り抜けられるだけの高さまでシャッターを上げ、中に入った。


 中に入ったコールマンは鼻を鳴らした。

 僅かにした異臭。それを確かめるべく鼻水をどけようとしたのだ。


 足元を何かが駆け抜けた。

 完全なる暗闇。ペンライトはある。しかしここでそれを点けるのは愚行だろうか?

 コールマンはその何かが進んだ方向から一歩退いた。

 すると何かを踏んだ。柔らかく、弾力がある。何かは分からぬが嫌悪した。

 足を浮かせると近くで小さな鳴き声がした。それも一つじゃない。

 気づいた時にはコールマンはペンライトで足元を照らしていた。



『ただいま留守にしております。ピーと鳴ったらメッセージをどうぞ……』


「ジョンソンさん! ああ、なんてことだ。中はひどい有様です! 肉片がそこらじゅうに! ネズミが、臭いもひどい! 彼女の姿は……どこにもありません!」


 声はできるだけ抑えていたつもりだが、荒ぶる自分の息を止められず、そうできていたかどうか確信は持てなかった。

 コールマンの頭の中で吹きすさぶ風のように嫌な想像が脳裏に渦巻いていた。

 確かに彼女はここに入った。間違いない。

 隠れているのか?

 ステンレス製の棚とそれに乗っている段ボールの箱で死角が多すぎる。

 迷路のようだ、とは言い過ぎだが。

 肉片はまだ新しいようにも見える。

 殺された?

 この肉片のどれかが、あるいは全てが彼女か?

 それとも……。


『……ジョンソンさん? ここ数日、貴方と話す機会がありませんでしたが、まさか貴方はもう……。

いや、待ってこれは……財布、免許証それに名刺……これは同業者か……? なんだあれは?

指先で……立っ……速……』



 携帯電話が落ちる音、悲鳴、それが遠ざかっていく。

 メッセージはそこで終わった。

 コールマンは……彼らは優秀な探偵だった。

 職務に忠実で記録は依頼主の希望通り、他に残さない。だから彼を、彼らを選んだ。彼らは妻の正体を突き止め、そして……。


 ……いつまでこんなことを続けるのか。罪悪感。ないわけではない。しかし、朝帰りの妻の満足気な顔を見ると夏になり、冬の厳しい寒さを忘れるように、この気持ちはどこかへ消え失せてしまう。

 そして、留守電のメッセージを再生する際に罪悪感を紛らわせるために呑む酒がいつの間にかまるで楽しみのように……。

 この悪しき習慣に終わりは来るのだろうか。

 嗚呼、春の気配はまだ感じられず……。

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