天国体験入国

「お目覚めですか?」


「おめ、ざめ……?」


 目を開けたのとほぼ同時にそう声をかけられた男は、むしろ眠ったのだと思った。

 体を起こし、辺りを見回すとそこは一面、雲の世界。自身もまたソファー状の雲の上に寝ていたのだから。

 しかし、どこか違和感があった。


「ははは、えっと、ここは夢、だよな? でもなんか妙な感じが……いや、うまく言えないんだけどなんか」


「ここは天国です」


「てん、ごく……天国!」


 男は目を見開き、ソファーから飛び降りた。

 よくよく見れば、先ほどから話しかけてくる者の頭上には光る輪。背中には白い翼がある。


「えっと、天使?」


「はい」


「ま、待ってくれ。夢だよな? 俺は死んだのか? いやでも……」


「ふふふ。ご安心を。これは言うなれば天国への体験入国」


「体験入国?」


「そうです! 今の世の中には善人が少なすぎる!

と、いうのも天国や地獄の存在が軽視、信じられていないからに他ならない。

ですので、こうしてランダムに選ばれた人間に天国がどんな場所か知ってもらおうというわけです」


「じゃ、じゃあ俺はまだ死んでないんだな?」


「ええ、あなたの肉体は自宅のベッドの上でスヤスヤです。意識だけこちらに呼び寄せたというわけです」


「ふぅー、なら一安心だ。しかし、ずいぶん味気ない場所だなぁ」


「ふふふ、皆さんそう言いますね。物に溢れた現世に毒されている。

ですがご安心を。ここの雲をこうして一握り……」


 天使が雲を一部引きちぎり、手でこねると、それは林檎に早変わりした。


「え、まさか、何でも作り出せるのか?」


「ええ、その通り。ここの雲はなんでも自分の思い通りに変えられます。それが生き物であってもね」


 天使がそう言い終わるや否や、彼は雲に飛びつき、次々と作り出していった。食べ物、テレビ、パソコン、女さえも。


「と、作ったがまさか、このテレビ」


「ええ、地上の番組や様子、何でも見れますよ」


 それを聞いて大はしゃぎする男。これなら退屈することは無いだろう。現世の漫画、商品、食べ物、最新のものをなんでも知ることができる。そして、欲しいと思えばなんでも作り出すことができる。

 今、ここには自分ひとりしかいないが実際に死んだあとは自由に他の人と交流できるという。

 土地を争う必要もないほど天国は広大でテーマパークの類や恐竜だけの動物園など、作り出せるものに際限はない。


「これは天国を目指さなきゃな! しかし、どうすればいい?」


「簡単なことです。他者に優しく。勿論、人以外の生物にもね。

まぁ多少は仕方ないとして、最終的に善行の数が悪行を大きく上回れば良しとします」


「なるほど、心がけることにするよ。約束する」


「ええ、ではそろそろ……」


「目覚めかな? 世話になったな、いやぁありがとう。死ぬのが楽しみになるとは思いもしなかったよ」


「いえ、次は地獄体験です。地獄でどんな目に遭うか身に染みれば、より、天国を目指そうという気になるでしょう。

ああ、逃げられませんよ。いえ、逃がしません……」



 悲鳴を上げ、抵抗する男を地獄へ通じる穴に突き落としたあと、天使は空から天国を見渡した。

 現世は娯楽に溢れ、楽しさに慣れてしまっている。時間が経てば天国なんてやっぱり大した事なかったと思われてしまう。もっと多くの人間に地獄を味わわせなければ……。

 未だガラガラの天国を見つめ、天使はため息をついた。


 ただ、地獄のあまりの過酷さに体験者たちが目覚めた瞬間、天国の喜びも全てを忘れ、ただ悪夢を見たとしか覚えていないことに天使は気づいていなかった。

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