死にたいと呟く、この世界

「死にたい」


 そう呟いた少女。その騒がしい教室の中、机に額をつけた孤独な少女のことを気に留める者はいなかった。

 彼女が息絶えていることに気づいたのは放課後になってからのこと。

 発見者は施錠のため教室の見回りをしていた教員、長谷部。

 少女に近づき、声をかけたが微動だにしない。寝ているのかと思い、肩を揺さぶるも動かない。

 少女に具合が悪いのか訊ねたのだが返答なく、よくよく顔を覗き込めば、見開いた目は空虚で、その半開きの口に手をかざしても、息吹に触れることはなかった。


 死んでいる。


 そう理解した長谷部は転びそうになりながら駆け出した。いや、理解したなどとは言えない。なんで。どうして。死体死体死んだ死体、とたった今、脳に押し付けられたこの衝撃、情報、問題を誰かと共有したかった、なんなら押し付けたかった。でなければ先程から荒い息遣いと混じり、漏れているひぃぃ、というみっともないであろう叫び声をこれ以上、抑えることはできない。

 職員室に着いた長谷部。いくらか安心し、まず荒げた息を整えようと一呼吸した。


 しかし、ここでも異変が起きていた。

 椅子に座る一人の教員。彼の名は真柴。その彼を囲む他の教員の顔は神妙そのもの。

 彼が何かしでかしたのか? だが、それがどんなことでも自分が抱えた一大ニュースには劣るだろう。しかし、長谷部が想像していたよりも事は大きかった。


 死んでいるのだ。


 訊けば「あー、もう死にたいなー!」と両手を上げ、あくびをした真柴。そのあくびが終わるや否や腕をダランと下げ、動かなくなったそうだ。「死にたい」とは彼の口癖のようなものであったため、その発言自体は誰も本気にはしなかった。

 動かなくなった真柴を見て、死んだフリを始めたと思い、呆れながらも職員室内が和やかな空気になったくらいだ。

「まあまあ、もうひと頑張りしましょう」と言いながら真柴の肩を揉んでやろうとした一人の教員がその変化、事切れた真柴に気づいたのだ。


 恐ろしい出来事に追い討ちをかける形で長谷部は少女の死を告げる。

 どよめく職員室内。二つの死。偶然? そう片付けるには不自然すぎる。

 とにかく警察を、その前に校長先生に伝えるべきか。これからのことについて意見を出し合う中、一人の教員が静止を促す。

 彼の視線はテレビに向けられていた。 流れるニュース速報。

 死者急増。

「死にたい」と口にした人間が次々死んでいる。

 テレビ画面を見た教員たちは一様に己の口を塞いだ。


 しかし、アナウンサーが言うにはどうやら「死にたい」と呟いても心に僅かでも死にたいと思う気持ちがなければ死ぬことはないそうだ。

 それもそうだ。でなければ注意を呼びかけるこのアナウンサーも死んでいるはずだ。一同はひとまず安心し、口から手をどけた。

 なぜこのような現象が起きたのか。いつまで続くのか。人間には到底起こしようがない現象だ。言うなれば国民、いやもしかしたら人類全員が自殺スイッチを持ったようなこの状況。安楽死の導入の議論も一時停止することだろう。

 喜ぶのはこの世から開放されたい人々か。これは救いなのか。神の御業なのか……。


「き、決まってますよ! か、神様の仕業、いや、おかげですよ!」


 と、唾を飛ばし興奮した様子の一人の教員。水落。

 彼は一斉に向けられた視線に悶えるかのように身をくねらせ、ひひひと笑った。


「み、みなさんだって一度は、じ、じ、自殺ぅ! 自殺を考えたことはありませんか?

わ、私はある。が、学生時代にいじめられ、それで、ふふふふ、きょ、教師になって生徒をいじめてやろうと、へへへへ」


 鼻と眼鏡を執拗に触る彼。恐怖のあまり、気が狂ったのだと誰もが思った。あるいは本性を隠しておくことができなくなったのか。


「お、落ち着きましょうよ、ね? 水落先生……」

「そ、そうだよ。今は真柴先生のことを……」


「黙れ、黙れ黙れ黙れ! 僕の話はまだ終わっていなぁい! い、い、今もそうだ、死、死、うお、おっとふへへへ危ない。

とにかく、現状に不満がある。皆さんもそうでしょう! 激務激務! クソ生意気な中学生共! ああ、僕はねぇ! 中学生というのが一番邪悪な時期だと思うんですよぉ! 小学生はまだ無邪気! 高校生は割と自由が利く。バイトなど、社会と繋がれる。

しかし、中学生というのは制服を着させられ、部活動に決まりごとに何から何までガチガチで小学生時代とのその落差!

そして、セ、セ、セックスもま、まだ、できない、いや、してる子いるのかなぁ、へへへへ。僕もしたい……なのに! 手を出せない! なんなんだここは! ねえ、嫌だと思ったことないですか皆さん! も、もう、し、しに、ああなりたいと!」


 彼は真柴を指さした。弛んだ頬がぶるんと揺れ、際限なく噴き出す汗が飛び散った。


「だから、何が言いたいんですか……」


「だ、だ、だから、思ったことないですか? ねえ、ほら、ほらほら、ねえ」


「あ、あんた、まさか我々を誘っているのか? そ、その、自殺に」

「職員室で集団自殺しようってのか!」

「ふざけないでよ!」


「ふ、ふざけてなんかいるか! さあ、ほら、言いましょうよ。ね? ね? みんなで、へへへへへ。ほら、思い出してくださいよ。真柴先生も苦しんだ様子なかったじゃないですか、安楽死、へへへへ、楽ですよぉ、へへへへへへ」


「寄るなよ!」

「もう黙らせろ!」

「そうよ! 誰か取り押さえて!」

「な、はなせ、はなせよ! なんでわからないんだよ! これは、神の――」

「口を塞げ! 死なれるのも問題だ!」


「真柴先生……死ぬなんて……生きて欲しかったのに……」


 そう呟いたのは一人の女性教員。もしや死んだ彼に好意を持っていたのか? そんな下世話なことは訊くわけにもいかず、一同ただ黙りこくり、口を塞がれた彼を除き同意した空気を醸し出した。


「ふーう、ん? 何集まってるの? あれ、水落先生、なんで縛られているんですか?」


「ぐ、ぷはっ、よみ、蘇りやがった……」


 奇跡、そういうほかない。そう、真柴が蘇ったのだ。

 喜びと驚きの声を上げる一同。しかし、一体なぜ? まさか……。

 答え合わせのようにニュース速報が入る。

 アナウンサーが興奮した様子で言う。「『生きて』と言えば今回の件で死んだ人は生き返るそうです!」


 長谷部はそれを聞くや否やすぐに職員室から飛び出した。


 そして……。


「あれ……? 寝てた?」


 少女は生き返った。いや、少女だけではない。世界中の人間が生き返った筈だ。

 たとえそれが、さほど繋がりが無くとも死んで欲しくはないのだ。

 同じ時代を生き抜く人間として。我々は同じ船の搭乗者。その身が海に投げ出されようとするならば手を差し伸べるのは自然なことなのだ。たとえ、それが自らの意思で投げ出したとしても。共に世界を、人生をより良くしていくのだ。個々の力が小さくとも……と長谷部は自らのその考えに感動し、体を震わせていた。

 息を切らし、恍惚とした表情の長谷部。その様子を見た少女は訝しげな目で長谷部を見つめる。


「……触った?」


「ん?」


「寝てる間に、私の体……」


「い、いや?」


 長谷部はまだはぁはぁ息を切らしていた。

 何せ全力で走ってきたのだ。無理もない。しかし先ほどの表情といい、少女の目にはそれが興奮しているようにしか……。


 ――死ね。


 その頃、職員室のテレビではまた新たな速報が飛び込んできていた。


「速報です! 『死ね』と言えば、言われた人は死ぬそうです! みなさん、人に対して『死ね』と言わないでください!」


 より良い世界を作るために試行錯誤しているのは人間だけではない。神もまたそうなのかもしれない。


 くたばれ神様……。

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