死亡宣告

 マグカップが男の手から離れ、鈍い音がした。

 幸い、落ちたのはカーペットの上。割れはしなかったが土砂崩れのような勢いで中から出たコーヒーが白いカーペットを茶色く染め、湯気と香りがほのかに立ち昇る。拭いている時間はなかった。



『続いてのニュースです。昨夜、千葉県お住まいの――』


 アナウンサーが読み上げたのは自分の名。一字一句の間違いなく、テロップに出た年齢も同じ。更に男の目を引いたのは死亡の文字。


『次のニュースです』


 男は身を乗り出しテレビの前へ。

 待て、次のニュースに移るな。パンダの赤ちゃんなんかどうでもいいんだ。人に死の宣告をしておいて和むな。

 死亡だと? 馬鹿な間違いだ。クレームを入れてや……待て。何かがおかしいぞ。


 番組はニュースコーナーを終え、占いコーナーに移っていた。今日の運勢をすらすらと発表している。だが……日付が明日だ。

 男はテーブルの上に置いてある新聞に目を向ける。

 日付。間違いない。ではこれは……未来のテレビ?


 男は手を顎に当て、部屋の中をウロウロした。

 未来。もしそうだとしたら死んだのは昨夜と言っていたから……つまり今日の夜に俺は死ぬ。

 胸を切り開かれてポッカリ空いた空間にカビ臭い古い布団でも詰められたような重みに男は足がぐらついた。

 いや、まさかな。ありえない。非現実的だ。やはり間違い。番組側のミスだ。後に訂正されるだろう。

 ……いや、そもそも偶然同姓同名だっただけだ。別の男。ただそれだけの話だ。年齢も同じだったが偶然の可能性はゼロじゃない。と、言うかそれ以外にないだろう。

 男はそう考え、ははは、と力なく笑ったが、先ほど名前を読み上げられたあと、流れていた映像が脳裏に焼きついて離れようとしない。

 現場とされていたあれは通勤途中にあるコンビニだった。本当に偶然か? 落ち着け。

 仮に、本当に一日先の番組を映すテレビだとしよう……朗報じゃないか。

 あの道を通らなければいいだけの話。それで死を回避できる。運が、そう俺は運がいい。あのニュースを見なければ死んでいたのかもしれないのだから。

 いや、待て。念には念を入れて今日は会社を休むことにしよう。それで回避……そうだ! 競馬番組! このテレビなら明日の勝ち馬を知ることができるじゃないか! はははは! なんて幸運だ! ついてないどころか最高じゃないか!


 男は高らかに笑った。その時、茶色く染みたカーペットを踏んだが、そこに零したコーヒーの温かさも湿り気も感じなかったため気づかなかった。

 会社に遅れるからとテレビの電源を消し忘れ、新聞をテーブルの上に置いて行き、カーペットを拭くこともせず出かけ、すでに丸一日経ち乾いていたのだ。


 男は笑い続けた。部屋の中ではテレビの音だけがしている。

 そしてそれもいずれ消える。

 明日へと進めない男だけを残して。

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