そう、ただの……

 ……そう、そこだ。そこのコンクリートの壁から突き出て垂れ下がる雑草の一群。逞しい、生命力の象徴。

 しかし、転じてそれは私が近づけば瞬きの間に髪の毛垂らす女の顔上半分に変わり、私を睨みつける。


 ――そう、ただの……


 そこの木。今は冬。枝から葉は全て落ち、外灯に照らされた影が刺々しい。

 そしてその影は風もないのに揺れ、通ろうとした私の影を突き刺す。すると、影の主たる私の胸にも穴が……。


 ――そう、ただの……


 そこのレンガの道。一箇所。そこを踏んだ瞬間ガラガラと崩れだし、為す術なく落下。底はない。無限に落ち続ける。


 ――そう、ただの……


 妄想。不安症。……違う。断じて違う。これは家の鍵を掛け忘れたかも、というものとは違う。

 有り得ない。それはわかってはいるが心臓を握られ右へ左へ引っ張り、弄ばれるような感覚。

 私の中にある不安。それに私は支配されている。ただ家に帰る、それだけというのに……。こうしたことは時々ある。今日は特にひどい。


 これは……。ここは実はゲームの中の世界で、そしてこの不安は死んでいった己の残留思念が伝えるものだとしたら……。そう、今しがたした私の死の想像は全て事実で……。


 ――そう、ただの……


「妄想だっての、ほら」


 そう言い、進み出るのは中学時代からの友人。彼は以前から私のこの症状を知っている。相談した私に堪りかねてこの夜、護衛役を買って出たのだ。報酬は今日の飲み代だ。と言っても宅飲みだが。


 私の前を行く友人。

 化ける雑草。

 恐ろしい木の影。

 崩れるレンガ。


 ……なんともない。そう、なんともないと言い笑って振り返る友人。

 私も大きく安堵の息を吐いた後、笑顔で応える。


 ……が、私が応えたのは友人のその笑顔の残像だった。

 突如、横から現れた車に友人は撥ね飛ばされたのだ。


 そして、その瞬間に私の心は台風が過ぎた後のように晴れ晴れとした。まるで全てが嘘だったかのように。

 ……しかし、浸っているわけにもいかない。台風はその空の下に爪跡を残す。


「う、うう……」


 私はうめく友人に駆け寄った。

 命は……大丈夫そうだ。

 それにしても、この晴れ晴れとした気分はなぜ? 人の、それも友人の不幸を喜ぶ私ではない。


 ……そうか! 私の中にある考えが浮かんだ。

 虫の知らせ。危険信号。あの恐ろしい想像は全て危険を遠ざけるためのもの。知らずに回避していたがこれまでのも……。

 そう、今回、もし構わず進んでいたら、あの車に撥ねられ私の命は……。友人に感謝し――


 ……そう、これもただの妄想かも知れない。

 友人の鞄からチラリと見えるあのナイフ。

 これも虫の知らせなのか、それとも彼は本当に私を……。

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