長い首

【塚野家】


 少女はその表札を目にすると、眉を顰めた。そして、込み上げてくる吐き気を抑え込むため息を呑んだ。

 この家の前を通ることを体が拒絶している。

 しかし、通らなければ少女が通う中学校まではかなり遠回りになる。今日だけならまだしも毎日それは困るし癪に障る。なので仕方なく毎朝通るのだが……今日も居る。


 塀の上にちょこんと顎を乗せ、少女をニヤついた顔で見てくるその男の子。中学生あるいは小学生か。そのニヤついた顔からは大人びた感じは窺えない。しかし、幼い子供のように純粋無垢じゃない。前髪にくせがあり、黒目は小さく、肌が青白い。そしていやらしい顔。


 この家の男の子は少女が家の前を通る時(通り過ぎた後も)塀の上から頭を出し、ジッと見てくるのだ。率直に言えば気持ち悪い。一種のストーカーのような気がするが、相手は自分の家の敷地内に居て、ただそこから外を見てるだけなのだから文句を言いようがない。

 それに、下手に刺激して逆上されても困る。だから少女はただ無視を決め込むことにしていた。


 だがこの日は我慢ならなかった。母親と些細な事で口論をし、機嫌がすこぶる悪かったのだ。

 そもそも、いつまでも耐えられるものではないそのネットリとした視線。吐き気を押しのけ、込み上げた怒りがついに口から飛び出た。


「キモイんだよ! 死ね!」


 少女は通り過ぎた後、振り返って男の子にそう言った。

 そして前を向きなおし、走り出した。

 爽快感の後、汚い言葉を使ったことにやや自己嫌悪に陥ったが次の日を迎えるとその気持ちはさっぱりと消え失せた。


 あの男の子が居ないのだ。きっとビビッて家の中にいるのだろう。

 なんだ。もっと早くこうしていればよかった。

 少女はそう思い、上機嫌で通り過ぎた。


 が、ピタリと足を止めた。

 二階の窓。カーテン。いつもは閉まっていたけど、今日は開けてあった?

 不本意ながら見慣れた家だ。普段との微妙な違いは間違い探しに気づくようにわかる。少女は振り返り、見上げた。


 ……人影?


 陽射しが反射してよくは見えないが確かにそれは人影のようであった。


 あの子かな……。なんだ、場所を変えただけか……。


 少女はため息をつき、再び歩き出す。が、すぐにまた足を止めた。

 ……今の人影。首……長くなかった?

 思い返される光景。確かに亀のように長かった。異様に。

 だとすれば、元々なのだろうか。思えばあの子の顔しか見たことがない。いいや、そんなこと有り得ない。じゃあ……伸びたのか。たとえばそう、首を吊って……。


 そう考えた少女は家の前に戻り、また見上げた。

 しかし、よく姿が見えない。

 少女はうろうろと見やすそうな場所を探しながら、背伸びする。


 見えない。

 ここも見えない。

 死んでたら私のせい?

 まだ見えない。

 見えない。

 ううん、関係ない。

 ああ、見えない。

 見えない。

 証拠もない。

 見えない。

 見えそう。

 死んでたらいいな……なんて。

 見えない。

 見えない……見えそう……見えない……。


 ……見えた。

 死んでる! 首を吊ってる! ははははは! 首がすごい伸びてる!



 ……あれ、伸びてる?

 伸びてる。

 伸びてる。

 屋根を越えた。

 伸びてる……まだ伸びてる……伸びてる……。

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