空から現れし者

 ある年のこと。突然、空に暗雲が広がり巨大な悪魔が現れた。そして、その出現とほぼ同時に頭の中に声が響いた。


「私は恐怖の王……さあよく聞け人間たちよ……今からお前たちを滅ぼす」


 この声はテレパシーのようなもので、場所・言語関係なく伝わっているようだ。人々は目を見開き驚くお互いの顔を見合い、そう理解した。


「……ただし生贄を百人よこせば一度は身を引いてやろう」


 と言った悪魔だが本当は世界などどうでも良かった。人間誰もが自分が可愛く、犠牲になどなりたくない、助かりたいと思うはず。誰を生贄を差し出すかを醜く争う姿を見るのが楽しみなのだ。以前、この悪魔が来たときもそれはそれは楽しんだものだった。


「さぁ、どうする? 考える猶予を与えて――」


 悪魔はそう言いかけ、やめた。

 悪魔の周りにぞろぞろと人間たちが集まってくるではないか。その歩みが止まらないため正確な数はまだわからないが、すでに百人を軽々越えていることは間違いない。皆、受け入れるように、あるいは受け入れて欲しいように両手を悪魔に向かって伸ばしている。


「どういうことだ……」


 悪魔が訝しがり目を凝らすと、そこで初めて、どの人間も服とは呼べないボロボロの布を身に纏い、その顔には生気がないことに気づいた。


 それもそうだろう。百年ほど前に核戦争が勃発し多くの人間が死んだ。生き残った者同士の略奪、殺しが横行し、荒廃した世界はさらに荒れた。

 大勢の人間が死に、弔う者もいない。疫病が蔓延するのは当然だ。薬も食料もない、今日まで生き残った人間の命もそう長くはない。希望もなく、ただ死ぬのを待つくらいなら、いっそ生贄になるという考えは不思議ではない。


 大勢集まった生贄志願者を前に悪魔は困惑した。見たかったのはこんなものじゃない。


「……よし、まずはお前たちに希望を与えてやろう」


 悪魔はそう言うと地面を叩いた。すると地面が大きく揺れ、荒れた大地に次々、木が生え始め、さらにその木は真っ赤な実をつけた。


 悪魔がもう一度地面を叩くと病気で立つこともできない者が健康になり、喜びのあまり跳び跳ね、目が見えない者は見えるようになり、腕など体の一部がない者には足りない部分が与えられた。


 歓喜の余りに泣き叫ぶ者たちを尻目に悪魔は去り、地獄のような地上はこのたった五分の間に希望に満ちた地へと姿を変えた。人々は悪魔が去った後もしばらくの間、涙を流し手を取り合い、喜びを分かち合った。



 これで人間どもは再びこの地上で繁栄するだろう。またしばらく経ち、奴らの幸せが最高潮に達した時、再び地上に降り、奴らを絶望の淵に叩き落としてやる。

 悪魔はそう不敵に微笑み、また眠りについたのだった。



 しかし、この奇跡は悪魔を神と崇めた彼らによって後世まで語り継がれ、その時がきても彼らは神のためならと喜んで我先にと自ら生贄を申し出ることを、悪魔はまだ想像もしていなかった。

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