親友

「私が人を殺したら一緒に逃げてくれる?」

 

 振り返った杏は笑顔で私にそう言った。その微笑みはどこか物憂げで、瞬きの瞬間に消え去りそうで、そうなる前に私はつい、目を逸らしてしまった。


 少しの間の後、私が恐る恐る視線を戻すと杏はクルリと前を向き、また歩き出した。

 私は自分がなんて返事をしたか、あるいはしなかったかわからなかった。杏が以前、私に言った『私たち、親友だよね』という言葉が頭の中で再生されていたからだ。

 親友。今その言葉を思うと脳に直接、焼印を押されたような気分になる。

 杏と私は誰が見ても仲がいい。部活は違うけど、こうして時間を合わせて毎日一緒に下校している。どちらかが相手に合わせて同じ部活に入るわけではないところが益々、親友らしい関係と思える。


 大きな家の庭から伸びる枝を煩わしそうにかわす。

 ツギハギに舗装されたアスファルト。空の犬小屋がある家。いつもの帰り道だけど、いつもと違う。

 何を話せばいいのか。間が怖い。

 誰を殺すの? 理由は? それとも、もう誰かを殺したの? 私を試しているの? 親には話したの? 話せないの? もしかして親を殺したの? 虐待?


 ……訊きたいことはいっぱいあるのに杏の背中が遠い。この距離がそのまま心の距離……なんてありがちな表現。

 でも、考えてみたら私は杏のことを深くは知らない。親友とはいえ、お互いの領域に深く踏み込むことはしない。親しき仲にも礼儀あり、だ。これまでそうだった。

 途中、小さなクマのぬいぐるみが柵に括り付けられているのを見つける。誰かが落し物を見つけやすくするためにやったのだろう。まるで磔にされているみたいだ。いつもの杏なら『かわいい!』と指を差して笑うところだけど、今日は一瞥しただけで通り過ぎた。やっぱりどこか変。


 もうすぐ別れ道だ。杏にかける言葉が見つからないまま来てしまった。

 杏はバイバイと言い、手を振った。


『さよなら』『バイバイ』『じゃあね』


 別れの挨拶はいつも寂しく、時には攻撃的とさえ思える。別れなのだから当然かもしれないけど。

 私はまたねと言い、手を振り返す。

 心はそれで決まった。


 家まで急いで帰った私は身支度を整えた。なるべく手早くしたつもりが家を出るときには外はもう夜になっていた。

 走ると暑い。もう夏がそこまで来ているのだと感じる。久々に着る半袖シャツは防虫剤の匂いがした。

 息苦しいけど爽快だ。親友のためなら何でもできる。私はそう確信した。


 杏の家の前に着くと楽しげな声が窓から聞こえた。

 家族で夕飯を食べているのだろうか。

 まだ殺してなかったんだね。

 後で私も杏と一緒に食べよう。

 網戸を開けて入ろうか、インターホンを押そうか悩んだけど結局、インターホンを押した。



「美樹、どうしたの……?」


 出てきた杏が驚いた顔してそう言った。

 私の腕に目を移し、杏がもう一度小さな声でどうしたのと呟く。

 そういえば今まで見せたことなかったね。ダルメシアンみたいで面白いでしょう?


 それで、どうしたのかって? 

 さっきの杏の問いかけをそのまま返すね。あの声。あの微笑みを思い浮かべつつ。


 私が人を殺したら一緒に逃げてくれる?


 ……あれ? 変。変だ。脳内で再生された声は杏のものではなく私の声だった。

 なんで……ああ、杏が黙ったままの私を見つめている。

 何があったの? って。

 話してよだって。

 ほら、何か言わなきゃ。変な子だって思われる。


 顔が、頭が熱い。脳みそが焼けているのかも。

 何か言葉を、言葉、言葉、言葉言葉言葉……。



「私たち、親友だよね」

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