メッセージボトル

 その男はただ座って続々と流れ着く瓶を眺めていた。

 ここはとある小島。もしかしたらこの島にも古くから伝わるような名前があるのかもしれないが、男には知る術がない。


 男が目を覚ました時、なぜか海に浮いていた。どうして自分がこの状況にあるかよく思い出せない。

 しかし、考えている場合でもない。取り乱しながらも何とか泳ぎ(ほとんど波に流され)この島に辿り着いた。

 初めは命があること、大地を踏みしめたその感触に喜び、小躍りしていたのだが、島に食料になりそうなものがないことに気づくと絶望し、膝を抱えた。

 島から泳いで脱出しようにも潮の流れの影響か戻されてしまう。そもそもどこへ行けばいいというのだろう。陸地など見えない。

 男が途方に暮れ、砂浜に座り海を眺めていると瓶が流れ着いた。瓶の中には紙が入っているようだった。


『メッセージボトル』

 話としては知っている。知らない誰かに読んで貰いたくて海や川に流す、瓶詰めの手紙だ。時として映画やドラマのような感動の物語を生むが、ははあ、なるほど。大半は海の底やこうした島に流れ着き、誰の目にも触れられることはないのだな。

 男は浜辺に点々と埋まっている瓶にも気づき、そう思った。

 気分転換がてらそれらを拾い、手紙を取り出してみるが外国の言葉で内容を理解するまでには至らなかった。


 その後も男は何度か島からの脱出を試みたが失敗、時は過ぎていく。

 その間も瓶は絶え間なく島に流れ着く。無秩序な行列、あるいは合戦場のように海に浮かぶ瓶同士がぶつかり合い、音を立てていた。


 男はぼんやりと当たりを見渡す。

 目に入るのは流れ着き、砂浜に刺さるたくさんの瓶。

 

 ――まるで墓標だ。


 そう思った男は、ばっと立ち上がった。


 ――ああ、これは良くない兆候だ。何か、何かして気を紛らわさなければ。

 

 そうは言ってもできることは一つしかなかった。

 男は今しがた抱いたゾッとする思いを振り切るように瓶を開け続けた。

 時にはリズム良く、ポンポンポンと。またある時は岩に荒々しくたたきつけ、割った。

 手紙の内容はいずれも外国の言葉で読めなかった。それでも開け続ける。脱出に挑戦することも、それを考えるよりも瓶に触れる時間の方が多くなった。

 情報と人恋しさに駆られているのだ。一番の願いは人間に会うことだが、それはきっと叶わない。せめて母国語を目にすれば寂しさも少しは癒えよう。

 それすらも叶わぬ願いかもしれないが。

 男は心のどこかでそう思いつつ、それでもひたすらに探し続け、そして、ついに見つけた。人間と懐かしい故郷の文字を。


 それは確かに人間だった。


 海に浮かび、ゆっくりと流れ着いたその死体の背中にはナイフかなにか鋭利なもので文字が彫られていた。

 男は死体の前で膝をつき、その文字を指でなぞった。指で感じるわずかな凹凸が痛々しく、不快な気分にさせる。

 そして、男は読み終えると海に向かって走り出した。


 男はもがくように波に抗う。全身を使い、前へ前へ。その感情迸る姿はまるで舞台上のダンサーのようであったが、慟哭も体ごと波に押し返され浜辺に打ち付けられた。


 風が連れてきたのか灰混じりの雲がこちらに向かってくる。

 海面に浮かぶ死体の横陣がそれに続く。


 男は蹲り、自分の背中に指を伸ばしたが、そこに文字があるか確かめる気にはなれなかった。

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