第38話 星暦552年 緑の月 24日 盗賊、雇います(学院長視点)
>>サイド アイシャルヌ・ハートネット
「あの手紙が盗まれた」
学院長室へ誰の案内もなしに突然入ってきた長身の男が、扉を閉めて学院長に向けて囁いた。
期中テストの結果の報告に目を通していた学院長はゆっくりと書類を机の上におろし、男へ目を向けた。
「・・・お座りになって下さい、ウォルダ殿下。今お茶を淹れましょう」
顔を隠すように襟を立てたコートを着たまま、皇太子は学院長の前の椅子に身を投げ出して頭を抱え込んだ。
「あの手紙・・・とは某南方の令嬢との熱に浮かされたやりとりですか?捨てるように助言したと思いましたが」
お茶を淹れる準備をしながら、学院長が皇太子へ尋ねる。
「彼女が嫁いだ時に、殆どは捨てている。ただ、子供が出来たと言う知らせをくれた最後の一枚だけは・・・捨てられなかったんだ。未練だな」
王家の常として政略結婚をした男が苦く笑った。
「未練どころか、破滅的でしょう。あの手紙の内容が公開されたら、国が割れますよ」
ため息をつきながら学院長は吐き捨てた。
特級魔術師として、アイシャルヌは若き皇太子の教育にも携わり、王子が20年近く前に勃発した隣国との戦争の前線に出ていた際にも共に闘ってきた。実のところは護衛として働いていたに等しかったが。
お陰で皇太子からの信頼は深く・・・時によっては聞きたくも無かった相談も受けてきた。
そのうちの最も知りたくなかった相談事トップだった、若き王子の熱に浮かされた恋愛ごとの残滓が・・・どうやら大問題を起こしかねない事態になったらしい。
「誰が持っているのか、目星は付いているんですか?」
「ガイフォード将軍かもしれない。先日、次の元帥職への興味を仄めかされた。でなければ、財務相のバルガン侯爵かもしれない。自分には宰相になる能力があるとこのあいだアピールされた。もしくはファルータ公爵か・・・?」
考え込んだ皇太子を見ながら、アイシャルヌはため息をついた。
次期国王ともなれば、すり寄ってくる人間は掃いて捨てるほどいるだろう。すり寄ってくる人間のどれがさり気無く皇太子の弱みを利用して自分の請求を通そうとしているのか、判断するのは難しい。
何事も裏の裏を読まねばならぬ宮廷言語のせいで、今回のような爆弾を抱えている場合どの程度まで裏を読めばいいのか、分かりにくくなってしまう。
「国を割って内紛を起こそうと思っている相手に盗まれたのでしたら、もう手遅れでしょう。こちらに接触して来ない相手ではあの手紙の内容が国中に知れ渡る前に取り返すのは無理です。
ですから、とりあえずは殿下に直接はっきりと要求を突き付けてくるまで、待つしかありませんね」
「だが・・!」
アイシャルヌの後ろ向きな言葉に皇太子が憤慨したように立ち上がった。
「とりあえず、宮廷の誰かが怪しい動きをしていないかは探りますが・・・それ以上のことは相手が分からねば無理です」
大体、お前が悪いんだろうが!
南の国境の守りの要である公爵の跡取り息子の婚約者に手を出した上、妊娠の知らせの手紙を後生大事に取っておいた上に盗まれるなんて、言語道断だ。
次期国王のくせに危機管理が出来ていないにも程がある。
密かに毒づきながら淡々と学院長は皇太子の抗議を切って捨てた。
「とりあえず、式を渡しておきますので、はっきりとした要求を受け取ったらそれに血を1滴たらして窓から投げてください。私の方も、出来る限りの情報収集をしておき、何か役に立ちそうな情報が出てきたらそちらへ伺います」
皇太子が隠れて魔術学院へ訪れていることがばれる前に、さっさと帰れ。
アイシャルヌの心の声を聞き取ったのか、皇太子は諦めたように小さくため息をつき、立ち上がった。
「頼む。迷惑をかけてすまない」
式を受け取った皇太子が無事学院を出たのを確認したのち、ため息をつきながら学院長は別の式を取り出し、送りだした。
「小さな
◆◆◆
「どうしたんですか、至急だなんて。しかも誰にも見られるなって何かヤバいことでも起きているんですか?」
長い教師生活の中でも特に特徴的な教え子が、ひょいと窓から姿を現した。
「ウィルか。よく来てくれた。入って窓を閉めてくれ」
睨んでいた書類から顔を上げて、アイシャルヌが若い魔術師に部屋へ入るように指示する。
肩をすくめながらウィルが部屋に入り、いつもの椅子に座りこんだ。
・・・相変わらず、音を立てない男だ。
これだったらまだ現役として役に立ってくれると・・・期待したい。
「実は、お前にどうしても手伝ってもらいたい事件が起きた。勿論、報酬は出す。だが、誰にもこれから話すことを漏らさないと誓約してもらいたい」
ウィルの右眉が驚いたように引き上げられた。
「まあ、そりゃあ学院長が極秘だって言うんだったら誰にも洩らしませんが・・・いいんですか、元
「元
肩をすくめながらウィルは立ちあがって学院長の傍により、右手を自分の胸に当てながら左手をアイシャルヌの手に重ね、誓約の術を唱えた。
「我、ウィル・ダントールはこれから聞くこと、知ること全てを誰にも洩らさず、知らしめることなく秘密を保つことを誓う。
「
アイシャルヌの声がウィルのと重なり、二人の魔力が混ざり合いウィルの中へ吸い込まれていった。
2人の魔術師が協力して行う
よって余程のことが無い限り使われない。
・・・外交の状況で使われると『無条件降伏』の代名詞であることを考えると笑えるが、商業でも婚姻においてでも、使われることは滅多にない。
「で、どうしたんです?」
アイシャルヌがお茶を淹れるのを見ながら若い魔術師が尋ねた。
「
部屋に防音の術をかけてから紅茶を手に、ウィルの向かいのソファに学院長が座った。
「皇太子のことをどう思う?」
「さあ。俺にとっては関係の無い人ですから。あまり悪い噂も聞かないから、まあ王族としては平均というところなんじゃないですかね?」
「次男のセリダン殿下のことは?」
ウィルが顔をしかめた。
「下町で悪い意味で良く知られた殿下ですよ」
アイシャルヌが小さくため息をついた。
「ウォルダ殿下は次期国王としては・・・及第点ではあると思う。それなりに人を見る目があるし、王家の人間にしては良識もある。戦場に自ら立ったことがあるから戦争と言う物の現実も多少は分かっている。
だが。
あの人は少しロマンチックな傾向がある。流石に30代になり、国王の責務の一部を手伝うようになって大分落ち着いてきたようだが・・・若い頃はかなり夢見がちなところがあった」
ウィルが皮肉げに苦笑した。
「夢見がち、ですか。まあ、俺から見たら貴族のお坊っちゃま達は皆それなりに現実から一歩離れているところを歩いている人が多いと思いますけどね」
「それなりの領地を継ぐべく育てられた人間なら、大抵はそれなりに必要に応じた危機管理と言う物を学ぶ。皇太子殿下は・・・それを学ぶのが少し遅かった」
というか、どうやら学び足りてなかったようだ。
「ウォルダ殿下は若い時に聴講生として魔術学院に時々授業に参加していた。そこでとある令嬢に会い・・・恋に落ちた」
「皇太子の隠し子ですか?」
「ただの隠し子ならばまだしも、この令嬢は有力な公爵へ嫁ぐことが決まっていた。だが禁断の恋に二人の想いが募り・・・どうやら最後の一線を越えてしまったようだ」
ウィルが苦笑した。
「まあ、魔術院での知り合いだったら『初夜』の為の必要な物を再生させるのも可能だったでしょうしね」
「流石にそれは本人には確認していないが・・・その女性と後の夫がそれなりに友好的な関係を保っていたことを考えると、多分その通りなんだろうな。
だが、問題は二人は赤子を殺せなかったことにある」
「・・・とても健康な『未熟児』ですか。良かったですね、魔術師が母親で」
「だが、王家の血を引いた人間が現在公爵の後継ぎとして国の防衛の要になりつつあるのは・・・不味い。しかも、その事実を示唆する手紙が盗まれた」
ぶっ。
ウィルの口から紅茶が勢いよく吹き出した。
ため息をつきながらアイシャルヌはウィルへ布巾を投げてよこした。
「そんなヤバいことを手紙に書いたんですか、その女性?!
しかもそれを殿下は捨てなかったんですか!!」
「以前相談を受けた時は、直ぐに彼女との一連の手紙を全て燃やすよう助言したのだが・・・。一番不味いのを保管していたらしい。『未練』なんだそうだ」
ウィルは、あきれ果てたようにテーブルを拭いた布巾を洗濯箱へ叩き込んだ。
「バカですね」
「馬鹿だったな。
まだウォルダ殿下の第一王子は成人前の上に、病気がちだ。ここ数年の間に国王陛下にもしものことがあった場合・・・世継ぎとして、既に成人している上に次期公爵として広大な領地の統治に既に参加している人間の方がふさわしいという話になりかねない」
「そんなこと言っても、庶子でしょう?幾ら成人していたって・・・」
ウィルが驚いたように聞き返した。
「ファルータ公爵家なんだよ、その女性が嫁いだ先が」
ファルータ公爵の祖母は王家から降嫁した人間だった。
元々ファルータ公爵家は国の南方の要である大貴族で、それこそ王家の直系の人間すべてに何かが起きた場合は次期国王として立ってもおかしくない人物だ。
その後継ぎが実は次期国王の落胤。
しかもファルータ公爵家と言うことは、その公爵の従姉妹であり、同じく王家の血を引くダナステ侯爵の長女が皇太子の禁断の恋の相手ということになる。
「ヤバい将来が色々と思い浮かびすぎて、頭がくらくらしてきますね・・・」
深くため息をつきながら、ウィルはお茶を再び手に取った。
「まだ情報が公になっていないと言うことは、盗んだ人間は国内の者であり、殿下を脅してその力を利用しようと考えている可能性が高いと私はみている。
・・・もっとも、内紛を引き起こさせて都合の良いタイミングで介入する為に準備中なのかもしれないが。
とりあえずは、王都に常駐していてかつ皇太子を脅して権力を得ることが可能なだけの地位にある貴族の家を探して回って欲しい。
私も他の情報からなんとかターゲットを絞れないか探す」
「どのくらいの数を回らなければならないんです・・・?」
力なくソファに身を沈めながらウィルが尋ねた。
「まずは20と言ったところかな」
ぷしゅ~。
ウィルの口から気の抜けた音を立てながら息が漏れる。
「とりあえず。そのバカ殿下に会えますか?後生大事に取っていたということはその手紙を時々触っていたんでしょう?魔術院に聴講生として来ていたと言うことは魔力が少しはあるんですよね?」
「触っていた程度の魔力で探せるのか?」
「20件もの屋敷に隠されている書類に全部目を通すよりは早いですよ。確実に!」
ヤケクソになってくれるなよ、ウィル。
ため息をつきながらアイシャルヌは立ちあがった。
さて、どんな理由をつけてこの若いのを皇太子に会わせるか・・・。
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