第32話 離れてしまうと心が痛い
二人はリビングでコーヒーを飲んでいる。
「綾乃さん、バイトに行くのはいいんだけど、一度家に帰ってお父さんと話してきた方がいいんじゃないかな」
「そうですよね、免許書とかスマホとか色々と必要になってきますよね」
「それも必要かもしれないけど、一度お父さんとしっかり話した方がいいと思う、そんなに強引な人でもないような気がする」
「うん、そうしようかな」綾乃さんは唇に力が入った。
「しっかり向き合って思ったことを伝えたら通じるような気がするよ」
「分かった、婚約者ができたって言ってくる」少しだけ舌を出した。
「綾乃さん!……まじめに聞いてください」僕はテーブルを小刻みに叩いた。
「分かってますって、データの入力も終わったから明日高崎へ行ってきます」
「はい…………」
僕は内心穏やかではなかった。帰ったらもう二度とここへは来ないのではないかと不安に思った。しかしこのままでいいとも思えない。
もし彼女が二度と来なくてもそれは仕方がない、ただ心の中にぽっかりと大きな穴が開くことは明らかだと思った。
翌日綾乃さんは荷物をもって実家へと帰って行った。
僕は仕事をする気になれなくて散歩に出かける。坂道を登っていくと笹原さんに合った。
「どうしたんだい、今日は一人かい?」優しく言葉をかけてくれた。
「はい、彼女は自宅へ帰りました、父親と話をしてくると言ってました」
「綾乃ちゃんの今の父親はどんな人なんだろうね」
「会社の社長さんらしいですよ、詳しくはわかりませんけど」
「昔、渉くんが事故で亡くなったあと借金が残ったらしくて、真一は家も土地もみんな売ってしまったんだよ。親戚からも先祖の物を売ったといろいろ言われたらしくてね。しかしその借金は綾乃ちゃんの今の父親が全部キレイにしてくれたらしい、でも一度売った家や土地は買い戻すのは難しくてね、そこで俺がそこの別荘を世話したのさ」
笹原さんはタバコを出して火をつけた。
「それから数年すると奥さんの麻里奈さんは綾乃ちゃんをつれて再婚したのさ。
しばらくして社長の代理人だという人が来て、お金を渡し手切れ金だから二度と二人に連絡をするなといったらしい。真一はお金はいらないから綾乃ちゃんに合わせてほしいと頼んだが、無理やりお金を押し付けて帰ったそうだ。
真一は怒ってお金を突っ返してやると言ってた。しかし麻里奈さんから手紙が来て、今は新しい父親になれはじめたところなので綾乃がもう少し大人になって事情を話せたら二人で会いに来ますと書いてあったそうだ。だから真一はまた会えることを楽しみにここで暮らしていたんだよ」笹原さんは僕にタバコの煙がかからないよう、横を向いて煙を吐き出した。
「そうだったんですか、だから綾乃さんが来た時にみんなに歓迎されるようにって心がげていたんですね」
「そうだな、そうかもしれないな、綾乃ちゃんは真一の心のよりどころだったからなあ」
「でも、話を聞く限り今の父親も悪い人には思えないんですけどね、代理で来た人はちょっと不可解ですね」
「そうだね、どうなってんだか」
僕は初めて別荘へ来た時に感じた、誰かを待っている感じは、きっと綾乃さんとお母さんの事だと思った。また押し入れのお金はきっとその時押し付けられたお金だろうと確信する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます