第31話
*
リノン城の陥落直後。
エルヒンが牢獄で待機している時点。
「総大将! 総大将!」
ベルン領地の領主ジェンドが慌ただしく会議室に駆けこんできた。どれだけ走ってきたのか、彼はしばらく息を切らせていた。
「大変です! リ、リノン城が陥落しました!」
ベルン城主への死刑宣告のような話に、総大将のローネンは酷いめまいに襲われながらもなんとか机を掴み体を支えた。
「総大将!」
「ヘイナは……! リノン城を守らずにいったい何をしていたんだ!」
「参謀長は残った兵力を率いて後方へ退却しているという情報を伝書鳩が運んできました」
「リノン城も守れずに撤収だと?」
ローネンが両手のひらを机に叩きつけながら声を荒らげた。
もはやベルン城の問題ではなかった。ガネン城とリノン城を奪われたならベルン城は孤立する。後ろにリノン城がなければ兵糧すら自由に補給できなくなるのだから。
「こんなふうに敵に倒れてどうする! ルナン王国の未来はどうするというのだ!」
最悪の事態に暗澹とするローネンの愚痴を聞いていたバロンが慎重に退却を提案した。
「ひとまず、ベルン城から退却した方がよいかと……。このままでは孤立してしまいます。孤立したらこの国は本当におしまいです。敵の態勢が整う前に王都の関所に先回りして後のことを考えるべきではないでしょうか!」
「本当にもうその方法しかないのか……」
総大将のローネンは首を横に振った。だが、確かにこのまま躊躇していたら退却すら難しくなる。むしろ、敵がベルン城を孤立させた後に王都へ進撃すれば、本当に何もできずにすべてを奪われるところだった。
「……退却の準備を進めろ」
だから、ローネンが下せる決断はただひとつ。
総大将のローネンが率いるのは自分の私兵だった。
大領主であるローネン公爵家の数ある領地屈指の精鋭兵。
ルナン王国唯一の精鋭兵でもあった。
もちろん、この精鋭兵を作った目的は戦争ではなく権力維持にあったのだが。
戦争を考えていれば、規模が小さい精鋭兵ではなく大規模の軍隊を育てていたはず。
とにかく、そのローネン公爵も王国を守るために決死の覚悟で自分の軍隊を率いてきたが、それを見抜いていた敵はベルン城を残しガネン城とリノン城を乗っ取った。
リノン城とベルン城は隣接している。
そのため、一刻でも遅れれば敵の手中に落ちかねない。
ローネンはベルン城を捨てリノン城をそのまま通過して王都まで退却する計画を立てた。
とにかく、よく訓練された唯一の部隊であるため急速に進軍を始めた。そして、リノン領地を通過しだした頃。
部隊の前に立ちふさがる者が現れた。まさにユセンだ。
「誰だ!」
同じ軍服だったが怪しい動きを見せたユセンはすぐに拘束された。
所属を明かしたユセンは重要な話があるためローネンに会わせてほしいと懇請した。
もちろん、一介の百人隊長が総大将に会わせてほしいなんていうのはとんでもないこと。
「お前は、ユセンか?」
運よくユセンに気づいた指揮官がいた。20年も軍生活を送ってきた彼だ。
「指揮官!」
「お前がなぜここにいる」
「リノン城の奪還のことで重要なお話があります。一刻を争うので総大将に説明だけでもさせていただけないでしょうか!」
「リノン城の奪還? それは一体……」
指揮官は言葉を濁したが、ユセンはそれでもなお指揮官に取り縋った。
「必ずご確認いただきたいんです。お会いできないようでしたら諦めます。ですから、どうか伝言だけでも!」
「ふむ……。リノン城の奪還に関することなら無視はできないな。俺がお前を知らないのであればまだしも。少し待ってろ」
ユセンに気づいた指揮官は首を縦に振ってうなずくと、総大将にこの事実を報告した。
「総大将! 我が軍の百人隊長がリノン城のことで至急お伝えすることがあると。身元は確実です。重要な急報のようで総大将との直接会談を強く望んでいます。私のかつての部下ですが、ほらを吹くようなやつではありません。リノン城の奪還に関することのようですが、いかがいたしましょう」
「リノン城の奪還? まさか、ヘイナが何か計策でも思いついたのか?」
「一刻を争うので直接お話させてほしいとのことです」
「すぐに連れてこい!」
平時なら起こるはずのないことも、戦争が起きて緊迫した瞬間には違うもの。
王都でそれも平民に話があると行く手を遮られることでもあれば、すぐにその首を断ち切っていたローネンだが、今は違った。
何のことか気になったローネンはうなずいて、すぐにユセンは呼び出された。
総大将と顔を合わせるなり、ユセンはすぐに跪き地面に頭を打ちつけて叫んだ。
「総大将! 乱入して申し訳ありませんが、急報です!」
「何だ、話してみろ」
ローネンの許可が下りるとユセンはすぐに説明を始めた。
「補給部隊の指揮官エイントリアン伯爵がリノン城で戦闘中です。エイントリアン伯爵が、この時間帯に総大将がリノン城を通過するから直接会ってお伝えするようにと」
「何? エイントリアン伯爵?」
ヘイナではなくエルヒン?
まったく思いもよらぬ人物。無能で知られていたため、ヘイナに始末するよう言った人物の名前が出てくるとローネンは首を傾げた。
「その者が、俺がここを通ることを予測していただと?」
「左様でございます!」
ガネン城とリノン城が陥落したという知らせを聞けば、当然孤立を避けるために急いで王都の関所へ移動するであろうという事実。
それは、リノン城が陥落するという歴史を知っているため十分に予想できることだった。
そして、エルヒンのその予想は的中した。
「戦闘中というのは、いったい?」
「それが……。エイントリアン伯爵がひとりでリノン城に潜入しています。勝利に酔った敵の大半が眠りについた夜中を狙って、南門を開けるとのことです!」
「貴様! 何訳のわからないことを言っておる!」
そのとんでもない話にローネン公爵は怒鳴りつけた。
いくら夜中とはいえ警戒兵はいる。すぐに目を覚まして防御にあたるだろう。それが当然のこと。それは、少なくとも数千人の敵を相手に門を開けるというのも同然だった。
もちろん、信じられない話だ。
「貴様、まさかリノン城に軍を引き込もうとする敵の謀略に乗せられた回し者か?」
ローネンは、むしろユセンを疑って声を荒げた。
「とんでもございません。私はルナン王国を守るために生涯軍に身を置いて生きてきました。疑いをかけられて命を落とすことになっても構いません。ですが、エイントリアン伯爵の命がけの戦闘を無駄にしないためにも、開放された城門に兵士を送っていただきたいのです。それがエイントリアン伯爵の戦略です。ここに手紙があります。どうか、門が開いたかだけでもご確認いただけないでしょうか!」
ユセンは手紙を差し出しながら血を吐くような思いで叫んだ。地面に頭を打ちつけすぎて額からは血が流れている。
ローネンはひとまずその手紙を読んだ。手紙には今回の戦略について書かれていたが、依然として信じられなかった。
門を開けてひとり奮戦するなんて絶対に不可能なことだ。
「エイントリアン伯爵はマナの使用者です。門を開けることに成功していれば、しばらくは持ちこたえられます。そんな人物です!」
ユセンは自分が見たエルヒンの武力を想起しながらそのように主張した。命を捨ててでも、ここで自決することになろうとも、エルヒンの意を伝えるつもりだった。それがせめてもの恩返しだと思っていた。
「エイントリアン伯爵がマナの使用者だなんて、そんなばかな……!」
ローネンが呆れた顔でそう言うと、黙って聞いていた副大将のエルヒートが口を開いた。
「ですが、総大将! 本当に門が開いていれば……。この機会を逃すわけにはいきません。門を開けるために死闘を繰り広げたその者の忠誠心も無駄にするわけには!」
「はて……。エルヒンにまつわる噂が間違っているのか?」
ローネンが首を傾げると、ユセンはここぞとばかりに念を押して懇請した。
「どうか、ご確認だけでも! 門を開けることに成功していれば、手紙にあるとおり十分にリノン城の奪還を狙える状況です!」
「まあ。それはそうだな……」
ローネンはあごを触りながらうなずいた。
敵が門を開けて罠を張る可能性。つまり、ユセンが敵の回し者である可能性に悩んだが、その可能性は少なそうだった。
敵はすでにリノン城を奪還した。龍城戦をするだけでいい有利な立場で門を開放してルナンの精鋭兵を呼び入れる?
いくら城内の敵軍が弓で武装していても、我が軍の数がはるかに多いから意味がない。門を開けた瞬間、敵は危険に陥るのだ。
敵がそんな無謀な戦略を使えば、それはむしろリノン城を奪還できるチャンス。
「私が門を確認してきます。突撃隊を100人だけご準備いただけますか。門が開いている時には狼煙を上げてお知らせします」
ユセンの話を真剣に聞いていたエルヒートがそのように提案した。
本当にそんな死闘を繰り広げているのであれば、作戦がうまくいかなくとも仲間を救うことが同じルナンの武将としてやるべきことだと思ったのだ。
部下をここまで命がけで懇請させる男なら、絶対に大口を叩くような男ではないとも思った。
「それに、本当にマナを自在に操れる者ならこの戦争に必要です」
エルヒートの提案にローネンはしばらく考えてからうなずいた。やってみるだけの価値はあると思ったからだ。門が閉まっていれば、既存の方針どおり王都に向かって進軍し続ければいいだけ。
「わかった。すぐに行ってみろ!」
「かしこまりました!」
エルヒートを見送ったローネンは全兵力に進軍を命令した。
「ひとまず、リノン城に向かって進軍するぞ!」
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