第89話 寛人と遥香の6月

「あれから試合では異常は無かった?」


「うん。大丈夫だったよ」


 俺は東光大学病院に来ていて、透さんの診察を受けていた。


 中間テストが終わってから2週間が経ち、今日から6月になったんだ。


 来月から夏の予選が始まる。


 予選までの土日は全て練習試合が組まれていて、昨日の試合で投げたので透さんの所で検査だったんだ。


 相澤さんとは連絡を取っているけど、水族館へ行った日からは会えていない。


 月末に修学旅行があるから、それまでは短期留学で必要な課題曲の練習で忙しいって言っていた。



 昨日の夜も電話で話したんだ……



『試合はどうだったの? 勝った?』


「勝ったよ。俺は5回を投げて無失点だったよ」


『凄いね! また0点だね! でも、最後まで投げなかったの?』


 土日の練習試合も連投のテストだった。

 以前と違うのは投げる1イニング増やした事だ。


「そうだね。土日の両方で投げたんだ。次の日曜日は1試合を最後まで投げるよ」


 次の土曜日は俺以外の全投手が投げて、日曜日は俺が1試合を投げる予定になっている。


『そうなんだ。今度は完投するんだね』


「えっ? 完投って言葉を知ってたの?」


『ふふふ。前に家でキャッチボールの練習したって言ったでしょ? それから野球の勉強もしたんだ。だから、試合を見ても分かる様になったよ』


 俺は完投って言葉に驚いたんだ。


 野球は何も知らないと思っていたのに、いつの間にか野球の専門用語まで覚えていたから。


 でも、勉強までしたのか……


 そうだったんだ……


「そうか……それなら良い所を見せないとな」


『うん! 練習試合は行けないけど、予選になったら応援に行けると思うよ? 綾ちゃんからも誘われてるんだ』


「分かった。予選まで練習を頑張るよ。だから楽しみにしてて」



 ──という話をした。



 好きな子に良い所を見せたい。


 それだけの理由だけど、俺の中で負けられない理由が1つ増えたんだ。



 そして今日も普段と同じく、学校で陽一郎達と昼休みに弁当を食べていた。


「寛人。今年の応援の事って聞いたか?」


「応援って……予選の事か? 何も聞いてないよ」


「去年はベスト4だっただろ? だから今年は学校を挙げて応援に来るらしいぞ」


 去年は準々決勝と準決勝には生徒が来ていた。それでも生徒数を考えると少なかったと思う。

 準決勝は東光大学附属の応援が凄かったのは覚えている。


「そうなのか? また負けられない理由が増えたんだな」


「寛人の負けられない理由? 聞かなくても何となく分かるけどな……それに、応援は増えるって分かるだろ? 準決勝で負けたけど、甲子園を含めて東光大学附属を相手に8回まで無失点だったのはウチだけだからな。だから学校も期待してるんだろ」


「俺達の部にも連絡があったぞ。運動部から数人ずつ集めて、応援団を作るって言ってたな」


「俺のサッカー部は部員が多いから結構な人数が行くぞ」


 安藤と真田だった。

 応援団まで作られるのか?


「そうなのか? まあ頑張るよ。陽一郎……それなら期末テスト前は普通に練習が可能なんじゃないか?」


「俺も思ったんだけど、監督が学校に交渉したけど無理だったよ。ただ、赤点を取っても補習だけ受けたら出場は可能になった」


 俺達には関係のない事だったけど、琢磨や翔に翼……この3人には黙っておく事にした。言ったらサボると思うし、勉強はして欲しいからな。



 次の土曜日の練習試合は3対2で勝利し、木村さん、早川さん、琢磨の順番で投げたんだ。


 そして日曜日の練習試合になり、俺はマウンドに上がった。


「今日は任せたぞ。何かあった場合に備えて、木村さんと早川さんに準備だけは頼んでるから無理だけはするなよ」


「分かってる。ただ、今日は初回から全力でいくよ」


 今日は昨日までの相手とはレベルが違う。

 他県から遠征してきていて、甲子園にも何回か出場している強豪校だ。



 試合が始まって、俺達は後攻だ。


 相手の1番と2番は内野ゴロに抑える。


 3番バッターには打ち取った当たりだったけど、ボールが内野と外野の間に落ちて2アウト1塁になった。


 完全に詰まらせたんだけどな……

 力で強引に外野の前まで運ばれた感じだな。


 相手の4番バッターが打席に入った。


 打ち気マンマンって感じだな。

 陽一郎も気付いてるだろう。


 陽一郎とサインの交換が終わり、初球はカーブを投げた。


 カーブは今日初めて投げたボールで、タイミングが合わずに空振りで1ストライク。

 2球目は外角低めのストレートを見逃して追い込み、3球目はカーブを内角低めに外した。

 決め球にはスライダーを投げて、狙い通りバッターを空振りさせ三振に取った。


 初回を無失点で終えて、陽一郎とベンチに戻った。


「寛人はコントロールが良くて助かるよ。リードがしやすい」


「3番の時に思ったけど、この相手だと全力で投げないと打たれそうだけどな」


「今日のボールなら連打はされないと思うぞ」


「ああ。点は取らせないつもりだよ。それよりも得点を頼んだぞ。ほら? 次は陽一郎の打順だろ?」


 初回の攻撃は3人で終わった。

 

 3番バッターの陽一郎は上手く打ったが、セカンドライナーだった。


 3人で攻撃が終わったけど、手も足も出ない感じではないな。

 相手も予選の優勝候補みたいだけど、今年の俺達でも戦えるのが分かった。


 西城の打線で変わった事といえば、健太が5番に座った事だ。

 この前まで下位の打順だったけど、高校野球に慣れて試合でも打つ事が増えた。

 まだ俺のボールはまともに打てないけど、投げてやった甲斐があったと思う。


 俺は2回から5回の間も無失点に抑えた。

 攻撃は4回に1点を取って勝っている。


「思ったより球数を使わなかったな」


「この回で75球投げたぞ」


「1回平均が15球だから良いペースだな」


 球数は抑えてるけど、初回から全力で投げている。

 ランナーが出ても、内野ゴロでゲッツーが取れていたのも球数が少なかった要因だな。


 そして攻撃が終わったので、6回のマウンドに向かった。


 相手の攻撃は4番からだった。

 やっぱりこの人は打ちそうだよな。

 かなり粘られてる。


 2ストライク2ボールと追い込んでいるけど、7球を投げている。


 そして8球目を詰まらせて三塁線をボテボテのゴロだ。俺が捕った方が早いので捕球し、ファーストに投げて1アウト。


 次の5番バッターも追い込んだ。

 俺は外角低めのストレートのサインに頷き投げる。

 ボールは高目に逸れて陽一郎は何か言いたそうにしているけど、俺の謝った仕草を見て返球だけだった。


 ボールが抜けた?

 違うな。この感じって……


 さっき投げた内容を考えながら、次のボールを投げ込む。

 スライダーを投げたけど、このボールも陽一郎の構えた場所から逸れた。


 やっぱりか……


「前と同じなのか?」


 陽一郎はタイムを取ってマウンドに来ていた。


「そうだな」


「球数……か」


「かもしれないな。初回から全力だったし、守備でも走ってたからな」


 投げる時に右足の踏ん張りがきかない。

 前と同じだ。痛みは無いんだ……


「痛みは無い。このイニングは投げるよ」


「いや。交代しよう」


 陽一郎が監督に伝えて俺は交代になりベンチへと戻った。

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