21曲目 ブルーメモリー①

白仙学園初等部、男子バレーボール部。

部員は二十名ほど。

週に一回、外部コーチを呼び、さらに週に三回、高校バレーボールの強豪である白仙学園高等部のバレーボールコーチの元で練習をかさねている。

それでも、戦績はあまり良くない。

白仙学園自体が部活の盛んな学校であるからか、他の運動部が軒並み全国大会や関東大会に毎年のように出場する中、どうしても県大会止まりの男子バレーボール部は霞んでしまっていた。


なんか毎日第一体育館の隅っこの方で頑張ってる部活。

なんであんな練習してんのに全国行けないんだろうねー、かわいそう。


………多分周りからの認識はこんな感じ。


けれど、そんな男子バレーボール部が、一度だけ全国大会出場を決めた年があった。

僕ら、今の六年生が四年生だったとき。

あの時の僕らは最強だった!

超人的なパワーと多彩な攻撃を繰り出すことのできる佐々木翔太を軸にした攻撃で、転がるように勝利への道を駆け上がっていった。

今でも覚えている、関東大会決勝のあの瞬間。

その年の持ち回りで回ってきた会場は、神様の粋な計らいか、アリーナ仕様に整えられた僕らの愛する学園・白百合統記念館ホール。

翔太が最後の一点を打ち抜き、ボールが相手のコートを二つに割る勢いで床に落ちた時。


世界が揺れた。地鳴りのような歓声と拍手の中、僕らは汗に濡れた手のひらをぶつけ合った。その時のチームメイトの笑顔を、僕は一生忘れない。


その時、僕らは考えもしなかった。

その全国大会が、諦めずすがりつくようにして勝ち取った勝利が、あんな最悪な形で壊されることになるなんて。


僕、荒井優真あらいゆうまと近藤伊吹が出会ったのは小学校一年生の頃だった。

“いちくみ、こんどういぶきです!えーと………ろくさいです!“

第一印象、「チビで馬鹿」。

いや、なぜ年齢を言った。

初等部男子バレーボール部に入って、初めての部活の時の自己紹介で、伊吹は一瞬にして先輩たちの大爆笑をかっさらっていった。


“おい、おまえ!!“

初めて話したのは、バレー部に入って少し経ったころだったかな。

“?“

“おまえだよ!そこのでかいの!!“

もしや僕のことかと声のする方を振り返ると、伊吹がバレーボールを抱えて僕を見ていた。

僕?と僕が僕のことを指差せば、伊吹は「そう、おまえだ」といわんばかりに頷いた。

“なまえなんていうんだよ“

“え、ゆ、優真だけど“

“ゆーま!ゆーまか!!“

伊吹はその小さな体に似合わない馬鹿でか声を体育館中に響かせると、“おれ伊吹!!いっしょにれんしゅうしようぜ!“と急に僕の手を引いた。

“え、なんでぼく………“

“でかいから!!“

いや、バレー部のやつ大抵おまえよりはでかいけど………

その時、僕は気づいた。

“ねえ伊吹。まだれんしゅうはじまってないのに、なんでそんな汗かいてんの?“

伊吹の髪の毛はシャワーでも浴びたのかってくらい濡れてて、事実俺の腕をにぎる手も汗ばんでいた。

伊吹はきょとんとした目で俺を見た。

“なんでって………れんしゅうしたから?うごいたら汗かくのあたりまえじゃねぇ?“

僕は驚いて何も言えなくなった。

練習………自主練!?って、いつから?

体育館を見渡す。同級生はおろか、先輩さえまだきていない、部活前のひととき。

ただ、ネットが一面貼ってあるだけの寂しげな第一体育館。

ここで、一人で………?ずっと?

僕はもう一度、伊吹を見た。

伊吹の真っ黒な瞳の横を汗が流れる。その視線は僕の見ている世界よりもずっと広く、遠くを見ている気がした。


伊吹はとにかく努力家で、常にボールに触り、人一倍練習していた。

身長に対するコンプレックスもあったのかもしれない。

けれどその姿は、バレーボールが好き、というよりは何かに追い立てられているような、何かに取り憑かれているような、そんな狂気的な怖さがあった。

“あいつこえーよなぁ、なんであんな動けるわけ“

高橋こと高橋夏弥たかはしなつやは、部活が終わった後も黙々と練習を続ける伊吹を見て呆れたように言った。

ちなみに、夏弥は伊吹とは真逆だ。

自主練どころか、練習さえもまともにやろうとしない。

コーチや先輩がいないところでは堂々とサボるし、たまにさらっと部活自体をバックれることもある。

“夏弥も伊吹を見習えよ”

“やだね。俺、伊吹ほどバレーボール好きじゃねぇもん“

“じゃあなんでバレー部やってんの“

僕の問いに、夏弥は得点表をパラパラめくって遊びながら「そりゃあ」と間伸びした声で続けた。

“あいつの暴走止めるためだよ。俺がいなくなったら、誰があいつの暴走止めりゃあいいんだよ“


そう、伊吹の怖さとしてもう一つ。異常なほどのボールと点数に対する執着があった。

日々の猛練習で実力を蓄えた伊吹はたびたび試合で暴走した。

この場合暴走、というのは言葉通り、監督やコーチ、先輩のいうことを無視してただ本能のままにボールに食らいつくこと。

ちなみにチームワークが命のバレーボールで一番やってはいけないことだ。


コーチは伊吹の暴走にいつもヒヤヒヤしていたし、先輩はそんな伊吹に痺れを切らし、公式戦中だろうと構わず何度も声を荒げた。

そんな伊吹についたあだ名は「狂犬」。

チビですばしっこく、誰が何を言おうと止まらないその荒れ方は、牙をむき出しにして走り回る犬を彷彿とさせた。

ただ、その伊吹の暴走は味方だけでなく敵チームも置き去りにするものだったので、それが転じてこっちが試合の流れを奪ったまま勝利、という勝ち方のパターンが多かったのも事実だ。


“せっかくうまいのにな“


そんな伊吹だからもちろん先輩からは嫌われたし、なんならいじめまがいのことをされることもあった。

でもそこで僕ら同級生組の出番。

たしかに伊吹の暴走は完全に彼の悪癖だし、それを庇う気はないけれど。

でも僕らは、それが伊吹の勝利に対する執着と「自分ならできる」という揺るぎない自信からきているのを知っていた。

ついでにその自信が、日々の泥臭く地道な練習の積み重ねの先についたものだということも。

だから、僕ら四年生組は時に見事な連携プレーを見せて、伊吹を嫌う先輩からの陰湿な嫌がらせから伊吹を守った。

全く仕方ねえ奴だな、そう笑いながら、いつも一人で勝手に走り出してしまう伊吹の背中を追いかける。

僕も、夏弥も、晃も、このままずっと六年生まで、こうやってバレーを続けていくんだと、そう思っていた。

あの日、伊吹が翔太を殴り倒すまでは。


佐々木翔太。

現バレー部の絶対的エースだ。

翔太は伊吹とは別の意味で、入部した時から圧倒的な存在感をは放っていた。

“にくみ、ささきしょうた。夢は、プロバレーボール選手です“

俺の翔太に対する第一印象「デカい」。

とにかく彼はデカくて、強かった。

白仙バレー部の他に東京の大きなクラブチームにも参加してると言った翔太は、並外れた技術とパワーを持ち合わせていた。

とにかく、打つ。打つ。打つ。

サーブ一本、レシーブ一本とっても僕らとはまるで格が違う。

常に僕らの五歩先を歩いているような奴で、僕ら同級生五人でいる時も、彼だけはいつも一人で淡々と別のことをしていた。


そんな彼のことを、僕らは昔も今も「天才」と呼ぶ。

もちろん、伊吹も。


努力型の伊吹と、天才型の翔太。

体格から性格から百八十度真逆の二人は、事あるごとにいがみあった。


お互いバレーに対する熱量が他の人の二倍も三倍も強いためか、どうしても譲れない一線を持っているみたいだった。

でもそれを平気でズカズカと土足で踏み超えてくる、唯一の相手。

どうやらそれが伊吹にとって翔太で、翔太にとって伊吹だったらしい。

ライバル、なんてありきたりで安い名前じゃ言い表せないくらい、二人の関係は深く、複雑だった。


そんな風にして僕らが四年生に上がった年の夏。

その年、ついに全国大会に出場を決めた僕ら初等部男子バレー部は、かつてないほどの活気にあふれていた。

その影で、伊吹と翔太の喧嘩が勃発した。

きっかけはいつものような、小さな口喧嘩だった気がする。

いつも先に口を出すのは、身長コンプレックスをこじらせ、でかいやつには問答無用で噛み付く伊吹だ。

それに翔太の負けず嫌いが対抗し、喧嘩が始まる。

でも、その時の喧嘩はどこか違った。

二人が全く言葉を交わさない日が何日も続いた。いつもならどんなに大喧嘩しても、同じバレーのコートに立った瞬間に、味方同士になった瞬間に、その喧嘩は自然消滅するのに。


お互いがお互いを避ける日が続く。

それどころか、日を追うごとに二人の間の溝は深まっていく。

口は聞かない。目も合わせない。プレー中の声出しさえやらない。もはや拒絶に近かった。

そんなでまともにバレーができるはずもなく、僕らが四年生になって負けたことのなかった練習試合で、初めて負けた。

全国大会は、すぐそこまで迫っているのに。


“おい、お前らいい加減にしたら”

当時の主将の一輝先輩が二人にそう注意しても、二人の仲は治らなかった。

“どんだけ意地っ張りなんだよ”

先輩はそう言って呆れたように笑っていたけど、普段年上には従順な伊吹が先輩の言うことを無視するなんて相当だなと、当時俺はびっくりした記憶がある。



“俺の予想だと、伊吹が翔太を怒らせたってより“傷つけた“んじゃねぇかと思う“


ある夏の日の帰り道、僕と晃、夏弥の三人で、宇都宮駅までのバスの中で「伊吹と翔太の大喧嘩の理由予想大会」をしたのを覚えている。


晃の予想に、夏弥はカルパスをかじりながら「うーん」と唸った。

“でも伊吹さー、普段は結構空気読める奴だから人を傷つけることとか言わねぇと思うけどな"


“いや、狂犬モードの伊吹ならやりかねねーかもよ。でもって翔太も繊細だからさー、一度ぐっさりいっちゃうと結構立ち直るまで時間かかるだろ?そーだ、絶対そうだよ“


“いや、俺は“ただ単に翔太もしくは伊吹が謝るタイミング逃してるだけ“に一票。伊吹の性格を信じるよ“


妙に自信満々な晃に対抗するように、僕も口を挟んだ。


“そんなこと言ったってー、狂犬モードの伊吹でも?“


晃が、白仙バレー部お揃いの真っ青なジャージを顎までひっぱりあげながら呆れたように笑った。


“俺は無理だわ。普段の伊吹なら信じられるけど、狂犬の時のあいつはなにし出すかわかんねぇもん“

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