19曲目 ベースとドラム

ベースとドラム。


どちらも音楽の土台を作る役割をする楽器だ。

バンドにおいてこの二つの楽器の働きはとても重要になってくる。

ドラムは2本のスティックを駆使して正確なリズムを刻み、その圧倒的な影響力を利用して曲全体のダイナミクスをコントロールする。


対してベースはそんなドラムのリズムを受け、曲のノリをコントロールする。ドラムよりももっと奥深くで音を鳴らし、その名の通り曲の基盤を作るのだ。


バンドにおいて、「夫婦の関係」「リズム隊」と呼ばれることもある、ベースとドラム。

地味で目立たない?

それでいい。

それが僕らの、役割だから。

それに私たちは知っている。

この二つの楽器が輝くとき、光るとき。

ヴォーカルやギターに比べれば、鈍い光かもしれない。

それでも、その一瞬の煌めきを、僕らは、私たちは、いつだって音楽の最深部で待っている。


「明石はさ、記念館ライヴの録画見た?」

「録画?そんなんしてたの?」

「………」

光の足がぴたっと止まった。

「予定変更。今からコンピュータ室行くよ」

「え!?ちょ、待って!」

芸術棟へ向きかけていた光の足が、くるっとUターンをして情報棟の方を向く。

光、歩くの早っ!

すたすたと早歩きで進んでいく彼女の後ろを、俺………栗原明石は小走りで追いかけた。


蒼井先生に鍵を開けてもらって、視聴覚室に入る。

「大原先生がホールの後ろの方でこっそり撮ってたみたいでさ」

そういいながら光はパソコンを操作し、動画を見せてくれた。


黙って耳を傾ける。

………むむ。

「………なんか、下手………?ってか、ズレてない?ベースとドラム」

恐る恐る光の顔を見ると、光は相変わらずのポーカーフェイスで「そう」と頷いた。

「ずれてるの。正直、伊吹の声を邪魔してる気がする」

驚いた。

と同時にショックだった。

たしかにこん時は、直前の伊吹うんぬんのアクシデントもあってアドレナリン全開でうわーー!!って感じに叩いてたけど、耳では冷静に二人の音を聞いているはずだった。

二人の音を聞いて、俺が合わせてって………いや、待てよ。

これ、ベースとドラムがズレてるんじゃない。

画面の奥に映る自分の姿を睨む。

ひやひやするリズム。今にも崩れそうで落っこちそうで、伊吹の放つ圧倒的な存在感を持つ歌声の影に隠れて、徐々に崩壊していく楽器隊。

俺は気づいた。気づいてしまった。


これ、ドラムが、ズレてるんだ。


ベースはいつも通りのテンポを保っている。練習で嫌というほど繰り返してきた、あのテンポだ。

でも、それを自ら崩しに行ってるのは?

俺じゃん。

俺、こんなに走ってたの………?

曲も終盤に入り、オーディエンス達の歓声が一段と大きくなる。それに釣られるようにして、またドラムが走り出した。

影響力の大きいドラムの音で、二人の音を蹴散らし一人勝手に前へ前へと進んでいく、まるで………


………まるで、暴走列車だ。


背中を冷や汗がなぞる。

俺は気づいたら頭を下げていた。

「………っ、ごめん!!俺のリズムが二人の邪魔して」

「いや、明石だけの責任じゃないから。私にも責任あるし。ドラムとヴォーカルのリズムが離れてくの見てさ、私あ、引き留めなきゃって思って無理にリズム保とうとしたんだよね。でもそれがさらにリズムのズレを深めた気がする」

光が冷静に分析していくのを見て、俺は思わず俯いた。

………恥ずかしい。

一番、音楽に迷惑をかけたのは俺なのに。

俺のドラムが、足を引っ張っていたのに。

こうやって光のように動画も見ず、反省もせず、「なんかよく分かんないけど上手くいって良かったー!」なんて安心してた自分が、恥ずかしい。

そうだ、よく考えれば俺は軽音楽部で一番最後に入った奴で、一番練習量が少なくて、だから二人より倍練習しなくちゃいけなかったはずで………もっと練習すればこんなミスをすることもなかったのに。

あー、何やってんだろ、俺………


「何落ち込んでんの。最初から全部上手くいくわけないでしょ」


光の言葉に俺は顔を上げた。

光の視線が、バチリと俺を捕らえる。

笑ってるのか、怒ってるのか、相変わらず感情は読めないけれど。

彼女の口から紡がれる言葉は、いつでも等しく重みを持って、俺の心に響く。


「私たち、今気づけてよかったよ。これでサマフェスの方は万全の実力で臨める」


………ああ、なんで光はこんな、いつもかっこいいのかな。

俺は光の言葉に、「おう、そうだな!」と笑って頷いた。


そして放課後。

俺と光は今度こそ音楽準備室に集まった。

いつもは伊吹も合わせて三人だけど、今日は伊吹はいない。大原先生もいない。

「秘密の特訓」と称した、二人だけの練習室の完成だ。

光が【SISTER】の楽譜を譜面台に立てた。

光の黒いエレキベースがきらりと光る。

「じゃあ、さっそくやってみようか。最初だからできるとこまで、になっちゃうけど」

「おう」

俺はスティックを握りしめる。

小川が深い一音目を弾き出した。

………やっぱ、上手い。

いや、気を取られるな、俺!!

小川の音に、俺のリズムを添える。

ズレるな、よく音を聞け。

一度通したら、その都度録音した音声を二人で確認。改善点を話し合い、再び楽器を手に取り音を重ね合う。

ベースとドラム。夫婦の関係、言われるとちょっと恥ずかしいけど、でもあながち間違ってないかもな。

音を重ねる。時間を重ねる。

来る日も来る日も、俺と光は特訓を続けた。

光の放つ一音一音に耳を澄ませ、「ここだ」と見えたところに俺の音を叩き込む。

「あ、今のいい感じかも」

そう言って光が俺を見る。

「まじで!なんか光の褒め言葉って嬉しいな!」

「いや、今の褒めてないから」


そうそう、二人で特訓を重ねるうちに見えたのは、特訓の手ごたえだけじゃなかった。

光の音。

彼女から弾き出される、色とりどりの音。

初めて聞いた時は、「うわっ、うまっ!!」って思っただけだったけど、今は少し違う。

安定感。音の深み。この聞く人を体の底から震わす表情豊かな音は、努力してきた人にしか出せないものだ。

俺らと知り合うずっと前から、ひたすら練習し続けてきた、彼女の音はそう語っていた。


途中でドラムを叩くことをやめてしまった俺は思う。


俺もあの時、ドラムをやめないで叩き続けていれば、もっと上手くなってたかな。

光の横で堂々とドラムを叩けるような、そんなドラマーになれていたかな。


「おーい栗原ー!!」

秘密の特訓が始まってから一週間が建った頃。

「んー、オノコどした?って、わっ」

今日も光と特訓だ!と昼休みのチャイムと同時に廊下に出た俺は、自分の名前を聞いて慌てて再び教室に引き返した。

パタパタと駆け寄ってきたオノコこと小野幸平が俺の背中に飛びついてくる。

オノコは俺が六年生になってからできた友達だ。無駄な動きが多くて、いっつもちょこまか騒がしく動き回っている。元気で真っ直ぐで、一緒にいるだけで笑顔になれるような奴だ。

「くーりーはーらぁー!!あそぼーよたまにわぁー!!俺らこれから校庭でドッチするんだけど、栗原くるよね!?!?」

「ごめん!まじごめん!今日は軽音あってって、うげぇ、首絞めるな!」

俺が無理矢理オノコを引き剥がすと、オノコはむくれて「ちぇ」と唇を突き出した。

「栗原最近いっつもそーじゃん。軽音ってそんなに忙しいの?」

「ま、まあ………?」

俺がこれからやろうとしてるのは「秘密の特訓」という名の「自主練」だから、まあやらなくてもいいんだけど………

「明石、先準備室行ってるよ」

俺とオノコがやりあう横を、小川が素通りしていく。「あっ、光!待って!」と思わず声を上げた俺を、下からオノコが不満げに見上げた。

「忙しいのはわかるけどさー、たまには遊ぼうよー」

「うん、そうだよな。ほんとごめん。これで許してくれ」

俺は精一杯の誠意を込めて土下座した。

「栗原ってなんでそんなすぐ土下座すんの?」

声でわかる。オノコはドン引きしている。

「俺なりの誠意」

そんな会話を繰り広げていたところ、


「へぇ、軽音って噂通りのブラックなんだな」


聞き馴染みのない声が俺の耳に入ってきた。

………ん?今の声、誰?

立ち上がって教室を見渡す。いや、今の声うちのクラスの奴の声じゃない………

「まあ部員が部員だもんな。よくあんな問題児メンツが揃ったよ」

その声のする方を振り返る。


見れば、俺の背後には、いつのまにか一人の男子が満面の笑みを貼り付けて立っていた。


「あ、勝手に会話に入っちゃってごめーん。

軽音楽部の話が聞こえたからさ、つい」

「お前だれ?」

オノコがちょっと警戒したような声で彼に尋ねた。

「見たことない奴だな。六年?」

「見たことない奴ってひどいなぁ。一組の長谷川だよ。部活はバレー部」

バレー部?

嫌な予感が俺の胸をかすめる。

長谷川は満面の笑みを崩さず、さらに続けた。

「栗原くん、だっけ?見たよー、軽音のライヴ。すごいね、あんな短期間であの伊吹を飼い慣らしちゃったんだ」

「飼い慣らす………?」

「あれ、知らない?ああそっか、栗原くんは転入生なんだっけ」

長谷川がぐいっと顔を近づけてくる。

距離、近っ。

彼の主張の強い八重歯が当たりそうだ。


「じゃあ二年前の“バレー部暴力事件“も知らないわけか。あー納得。だから伊吹と抵抗なく関われるのね」

「え………?」


バレー部?暴力?何のこと………?


「小川も酷いよなあ、栗原くんが何も知らないことを利用して軽音楽部に勧誘するんだもん。可哀想だから俺が教えてあげるよ。あのね、バレー部暴力事件ってのはさ」 


その時、教室の前方のドアから伊吹が教室に入ってきた。

教室の変な雰囲気を察して、俺らの方を振り返る。

「………は?長谷川!?」

長谷川は伊吹の声にめざとく反応し、「ちょうどいいタイミングだ」とばかりに声を張り上げた。


「バレー部暴力事件ってのはねぇ、キレた近藤伊吹が佐々木翔太をボッコボコにした事件のこと!!まじやばかったんだよ、当たり一面血まみれでさあ。………ほんと、なんで伊吹あいつはまだ、この学園にいるんだろうね??」

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