第4話 彼は英雄であった
北欧の春は遅く、短い。
その日は、家族で近郊の森に行った。
両親と娘だけの家族。
森と言っても人工的に木々を整備している。
とは言っても、兎などの小動物も住んでいる。
少し開けた場所にレジャーシートを敷いて持って来た荷物を置いた。
バケットに一杯のパン、軽いぶどう酒とぶどうジュース、チョコレートケーキ、アウトドアチェア、娘のための小さいテント一式などなど。
病弱になりつつあった妻は早々にチェアに座り、すぐに眠りに入った。
夫は体を冷やさないようにブルゾンを毛布代わりに掛けた。
それから、父として娘と楽しくキャンプを設営や焚火をした。
森の中、いや、久々に家族と過ごす時間が、男を少し無防備にさせた。
軽めとはいえ、ワインを飲みテントの中で強かに寝た。
目が覚めた時、まだ、太陽は夕暮れ色になりつつあり辺りも見渡せる。
娘は近くにいると思った。
自分の娘ながら賢い子供である。
だが、テントを出て肝が冷えた。
どこにもいない。
妻もいない。
森の奥から自分のブルゾンを羽織った妻が出てきた。
「娘が……娘が……」
妻は夫の姿を見ると崩れるように地面に伏せようとした。
それを駆け付けた夫は支えた。
「娘は俺が探す。君はここを守っててくれ」
それだけ言うと弱っていた焚火に木をくべて炎を再び燃え上がらせ、森へ入っていった。
酔いは完全に冷めた。
子供の足だから、それほど遠くまで行ってない『はずだ』。
この男、善良な一般市民を装っているが『裏社会』では『暗闇の
文字通り、暗闇の蝶のように
彼はスナイパーライフルを愛用した。
しかし、それはない。
無論、徒手空拳もある程度は出来る。
ある程度は。
裏社会、闇社会は基本分業制だ。
ましてや、男のようなフリーランスは味方にすれば心強く、敵にすれば厄介な相手だ。
欲するものも忌み嫌うものもいる。
だが、一つ。
彼らには共通点があった。
自分の平和な家庭を壊そうとする。
そのことが気に入らない。
森を隙なく捜索する。
手掛かり冴えない。
男は叫んだ。
科学的思考・合理的思考を持っている男の最大の祈りだった。
「天と地に
風が吹いた。
その先に娘がいるような確信があった。
男は頭を下げ、駆けだした。
それが彼が出来る精いっぱいの感謝だった。
娘は巨大な影に覆われていた。
目の前には巨大な熊がいた。
冬眠直前だったのに娘の気配に目が覚めたのだ。
当時の娘は死が分からない。
でも、父に怒られるよりも恐怖だった。
「俺の娘に手を出すな」
熊の背後から声がした。
「殺せば、俺は、お前を殺す」
父の声だった。
だが、そこに一切の愛情や慈悲はない。
熊は一目散に去った。
娘は父の姿を見て泣いた。
「その時のお父さんは暗い目をしていたわ」
それから十数年後。
娘は少女になり女性になりつつあった。
ビアンカ・リンザー。
「あら、かっこいいじゃない」
隣の同級生、丹波小鳥がチューハイを飲みつつ言った。
ここは星ノ宮の居酒屋だ。
「うん、でも、暗すぎだった……」
ビアンカはグイッと一気にビールを飲み干した。
彼女は酒豪になっていた。
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