第68話 成り上がりの先、見返すべき人 5

 地獄のような要求。だが彼には、充分にありえる事だった。自分の要らない物は、ためらいなく切りすてる。今回の要求が他殺ではなく自殺であったのも、「殺人は、は公衆の面前で(一応だが)犯せない。そんな事をすれば、いろいろと面倒な事になる」と言う計算から来る物だった。俺の事を思って、「それ」を選んだわけではない。あくまでも自分のため、その瞬間に思いついた自己保身だった。自分の身分が保たれるのであれば、俺の未来など知った事ではない。すべては、自分の事だけなのである。

 

 俺は、その考えにうつむいてしまった。今さら落ちこむ事などないのに、やっぱりどうしても悔しくなってしまったからだ。かつての恩人がここまで冷たかった事に、無慈悲の形がまるで具現化したように。あらゆる人間らしい感情が死んで、氷のような冷たい感情を覚えてしまったのである。俺はその感覚に震えて、両手の拳を思わず握ってしまった。


「分かりました」


 マティさんは、その言葉に「ニヤリ」とした。これは、相当に喜んでいるね。周りの少女達は不安げな顔、特にリオは「止めて」と言う顔だったが、「この戦いから逃げてはダメだ」と思った以上、彼女達の不安に「やっぱり止める」とは言えなかった。自分の運命から逃げてはいけない。それから逃げれば、あの地獄にまた落ちてしまう。得意のスキルが死んだ、あの不幸に。


「そんな事は!」


 俺は、マティさんの顔を見た。彼もまた、俺の顔を見ている。俺が自分の誘いにうなずく事を知って、その目をじっと見ていた。


「ありません」


「そうか」


「とにかく」


「ああ、まずは闘技場に行こう。すべては、そこからだ」


「はい……」


 俺は彼の促しに従って、今の場所から歩きだした。周りの少女もそれにつづいて歩きだしたが、町の闘技場が見えてくると、ミュシアから順に俺の身体に触れて、俺に「だいじょうぶ?」とか「本当にいいの?」とか話しかけてきた。ううん、これはかなり不安がられていますね。闘技場の中に入る時はまだしも、マティがそこの受付嬢に「いい見世物がある。観客を集めて欲しい」と言った時は、その不安が最高潮に達していたようだった。


 俺はその不安に微笑んで、自分の仲間達に「だいじょうぶ」とうなずいた。自分もそれに不安を覚えていたが、その不安を吐きだすわけにはいかない。俺には俺の仲間を支える責任、その義務があるのだからね。仲間達の不安をあおるのは、その義務に反する事だった。俺は彼女達の顔を見わたして、その悲しげな表情に「だいじょうぶ」と微笑んだ。


「俺は、絶対に死なないから」


「本当に?」


 これは、シオン。彼女は冒険者の勘からか、誰よりも今回の戦いを不安がっていた。


「死なない?」


「うん」


 たぶんね。


「俺の才能が、ミュシアに目覚めさせてもらった才能が、その命を守ってくれるから」


 ミュシアは、その言葉に眉を寄せた。その言葉に不安がったわけではないらしい。俺が彼女達に浮かべた笑顔、それに重ねられた言葉から恐怖を覚えたようだった。彼女は右手の人差し指で、俺の胸をそっと突いた。


「私も」


「え?」


「私も、そう願っている。あなたは、絶対に負けない。その相手がたとえ、あなたの追放者であっても。あなたには、それを乗りこえる力がある。今まで積みあげてきた物、それを解き放つ力がある。川の中流に溜まった水が、一気に溢れだすように。あなたには」


「ミュシア……」


 俺は、彼女の手を握った。ほとんど無意識に、その温もりを握ってしまったのである。俺は、その温もりに胸を打たれた。彼女の手はやっぱり、いつ握っても温かい。


「ありがとう」


「え?」


「君はやっぱり、俺の女神様だ。その運命を変えてくれた、本物の」


 少女達は、その言葉に押しだまった。普段ならここで、「女たらし」とか言う筈なのに。今だけは、不思議な沈黙を保っていた。その表情もどこか、曇っている。どこか切ないような、そんな雰囲気を漂わせていた。少女達は俺の背中を何度か撫でて、闘技場の中に集まってきた観客達をぼうっと眺めはじめた。


「結構、集まってきたわね?」


 これは、クリナ。彼女は闘技場を見るのが初めてだったらしく、そこに集まってきた観客達の姿にも驚いているようだった。観客達の姿は、かなりラフ。その身なりも千差万別で、貴族風の令嬢もいれば、「ただの暇潰し」と思われる浮浪者達、その周りには商人らしい姿も見られた。


「別に有名な冒険者が戦うわけでもないのに」


 俺は、その言葉に首を振った。それはちょっと、いや、かなりの間違いである。


「マティさんは、かなりの有名人だよ?」


「え?」


「冒険者の世界ではね? かなりの有名人だ。『大剣』と『魔法』を使う、最強クラスの冒険者。現に彼の率いていたメンバーもみんな、Aの冒険者ばかりだったからね? その実力は、計り知れない。彼の一声で観客達が集まるのも、別に不思議な事じゃないんだ」


「そ、そんな! それじゃ」


「分かっている。分かっているけど、そこから逃げるわけにはいかない」


「ゼルデ……」


 俺は「それ」に頬笑んで、自分の正面に向きなおった。俺の正面にはもう、運命の人が立っている。観客達の歓声を集めている人が、俺に天国と地獄を見せた男が、闘技場の上に立って、自分の背中から大剣を抜いていた。


「マティさん」


 俺は、彼と同じ場所に立った。その距離はどんなに遠くても、「彼の土壌に少しでも近づきたい」と思って。俺は彼の前に歩みよると、真面目な顔で自分の背中から杖を抜いた。


、マティさん」


「決着の時?」


「そうです。俺と貴方と」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る