第36話 まっとうな道 5
最悪の瞬間だ。俺はまだ幻術から覚めきっていないし、クリナも自分の武器を失っている。唯一まともに動けるミュシアも、戦いのスキルを持っていない。文字通りの万事休す。「結界を張って、何とかしのごう」とも考えたが、「それはあまりに悪手だ」と考えなおして、目の前の少女にただうなだれてしまった。
「くっ」
俺は、仲間の二人に囁いた。こうなったもう、こうするしかない。
「
二人は、その言葉に目を見開いた。特にクリナは「それ」があまりに驚きだったようで、俺が彼女の目をやった後も、悔しげな顔で俺の目を見かえしてきた。その目に涙が浮かんでいたのは、きっと偶然ではない。
「そ、そんな!」
いやよ! そう叫ぶ彼女を制した。
「どうして?」
「そんなの、今の状況を見れば……分かるだろう? 金はいつでも稼げる。でも、死んだら」
「くっ! でも!」
悔しげに震える握りこぶし。そこから伝わる思いは一つ、言いようのない怒りだった。自分の努力が踏みにじられる怒り。腹の底から湧きあがる憤怒。それが身体の血管を通って、彼女の拳を振るわせているのだ。
クリナはミュシアに俺の身体を任せて、相手の前に立ちはだかった。どうやら、
「アンタには、悪いけどね? その言葉には、従えないわ。アタシは、自分の報酬を守りたい。『自分が守りたい』と思っている人達も。アタシは、名のある貴族だから」
それに「ニヤリ」とする相手。なんだ? 何がそんなにおかしいのだ?
「『負けられない』って? 上等だよ。相手が金持ちなら、なおの事負けられない。オレは、金持ちが大嫌いだからね!」
くっ、なんて身勝手な理由だ。「相手が金持ちだから」と言う理由で、こんな事をつづけているなんて。本当に「イラッ」とする。金持ちだって、最初から金持ちではないのだ。自分の保護者がそうだった場合は別でも、大抵の場合は普通、最悪の場合は貧乏からはじめるのに。
「それを!」
相手の言葉を思わず遮ってしまった。相手は「それ」に驚いているが、そんな事はどうでもいい。この込みあがる感情は、沸々と沸いてくる怒りは、どうしても抑えられなかった。
「潰してやる!」
自分でも驚く程の怒声。狂気と憤怒の混じった声。
「お前のような人間は!」
俺は自分の怒りに任せて、例の呪文を唱えようとした。あの遊撃竜を葬った魔法を、桃色の砲弾を、思いきり放とうとしたのである。だが……。
「ダメ」
女神はどうやら、「それ」を許さなかったらしい。俺が人間からオーグに墜ちる瞬間を。
「人を殺しちゃいけない」
ああ、そうだな。それだけは、絶対に犯しちゃいけない。
「あなたには、あなたの夢があるんでしょう?」
「そう、だね。確かに」
それが叶うまでは!
「絶対に墜ちちゃいけないんだ」
俺はフラつく身体で、クリナの肩に手を乗せた。クリナの身体はまだ、彼女に対する怒りで震えている。
「もういいよ」
「で、でも!」
「もう、いい。彼女には『これ』で、許してもらおう」
俺は、追い剥ぎ少女に遊撃竜のクリスタルを渡した。彼女に話した個数と同じ、二個のクリスタルを。
「はい」
追い剥ぎ少女は、その言葉に「ニヤリ」とした。たぶん、「今日は、最高についている」と思ったのだろう。最初は手元のクリスタルを眺めているだけだったが、俺が彼女に「引いてくれるね?」と聞くと、その質問に「いいぜ」と答えて、服の中から煙玉を出した。
「『これ』で許してやる」
追い剥ぎ少女は「ニヤリ」と笑って、地面の上に煙玉を叩きつけた。煙玉の効果は、絶大だった。通常のそれと違って、煙の広がり方が違う。煙玉が地面の上に当たった瞬間、周りの視界がすぐに見えなくなってしまった。
「特製の煙玉だ。一時間は、煙の中だぜ」
そんなに長くつづくのか? それでは、この場から動けない。「彼女の事を追いかけよう」と思っても、煙の壁が「それ」を許してくれなかった。だから、焦りだけが募る。彼女の笑い声にも、必要以上に苛立ってしまう。まるで頭の中に煙が渦巻くように、あらゆる感情が殺気立ってしまった。
だが……。彼女には、そんな事などどうでもいいらしい。追い剥ぎ少女は自分の名前も名乗らないまま、楽しげな様子で俺達の前から逃げさってしまった。
俺は、その余韻に打ちひしがれた。そうする事しか考えられなかったからだ。俺の仲間達も、俺と同じような顔を浮かべている。俺達は煙の壁が消えた後も、悔しげな顔でその場に立ちつづけた。
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