いざドラーフ島

「疲れた……異常に疲れた」


 ニーニャとパールが馬車キャリッジを探すあいだ、俺はどっかそのへんの堤防で、ぐったり横たわっていた。

 寧寧ニンニンにもらった最初の一発で鎖骨にひびが入ってるし、神鳴カンナリ三つの無茶な機動をぶん回したおかげで筋肉が灼けている。

 二人の前では平気な顔をしてみせたけど、さすがに限界だ。もうなんか太陽がうるさい。


「ちょっと寝る……ほんと、いや、めちゃ寝よう」


 仰向けになって腕で目を覆うと、すぐになんか、夢と覚醒のはざまの変な光景とかが見え始めた。あーこれ一瞬で眠れるね。


「やあ、ミカドくん」

「おうぇ」


 隣に誰かが腰を下ろす気配。俺は寝ぼけながら返事した。


「お疲れ様でした」

「あー……おー……オージュ師匠じゃん」


 大あくびして身を起こす。


「どうだった?」

「向こう数年の減免を勝ち取ってきましたよ。楽な交渉でした」


 さらっとこういうこと言っちゃうんだから参るね。

 

「さすがじゃん、やっぱオージュ師匠だね。お疲れお疲れ」

「ミカドくんこそ、よくやってくれましたね」

「やー、別に。師匠、なんか助けてくれたでしょ? それなかったら死んでたと思う。依代出てきてぶちのめされたし」


 依代の関与など予想外だったのだろう、師匠は渋面をつくった。


「詳しく聞かせていただけますか?」


 俺はリウ寧寧ニンニンツァイについて語った。


「そうですか……おそらくは、海神の名代を身に降ろしたのでしょう。よく生き延びてくれましたね、ミカドくん」

「意外になんとかなったわ。向こうも本気じゃなかったんだろうなーあれは」


 睦み合いとか言ってたしな。あんなのが睦言であってたまるかよ。いいとこ昆虫の交尾じゃん。終わった後にさっさと逃げなきゃ頭からバリバリ食われるやつ。


「一揆の首謀者はペーター・パーレット九等官だったよ。事前の想定ほど、気合入った反帝国派ってわけじゃなかったな」


 ペーターからは、王家への素朴な敬意が感じられた。旗印と人数を恃みに王都まで攻め上がるとか、そういうオラついた雰囲気はなかった。


義心ぎしんから出た行いであると?」

「ん。まーそのへんはね、いろいろ叩けば出てくる埃もあるかもだけど」


 首謀者の首をもって落としどころとするのか、それとも完璧に無罪放免とするのか。そういう政治にまで手を突っ込めるほど、俺たちの腕は長くない。


「ところで、ニーニャさんは?」

「パールさんと馬車探してる。ドラーフ島だっけ? 行くのにいい馬車借りるんだってさ」

「敗戦国の貴族は、倹約を旨とせねばなりませんからね」

「いやまったくね」


 俺たちは苦笑した。


「それで、ミカドくんは独り湖畔でへばっていた、というわけですか」

「まーね。もう向こう八年ぐらい歩きたくなかったし。あと、あんま負い目になりたくないしさ」

「というと?」


 おっといかん、ぽろっと本音が出ちゃった。まあ師匠相手だしね、やむなしってところある。


「ニーニャさん、多分だけど、だれかに死ねって命じられないんだよね。だから、弱ってるとこ見せたくない」

「頼られたいんですか?」


 師匠が問いかけ、俺は考えてみた。


「ちょっと違うかなあ。負債……呪い……うん、やっぱり、呪いだな。呪いになりたくないんだ。極端なこと言うと俺がさ、いや俺だけじゃなくて、目の前で誰かが死にかけてたら、ニーニャさん、なんなら代わりに死にに行くと思うんだよね、ノータイムで。だから、うかつに負い目を見せられないんだよ」


 あまりにも容易く、ニーニャは呪いを引き受けようとする。モッタ村で、ジリー・シッスイの支配地で、そしてここセヴァンで。

 俺にできるのは、強がってへらへらして、こいつ殺しても死ななそうだなって思われるよう振る舞うことだけだ。


「危うい子ですね」


 ぽつりと、師匠は言った。


「でも、ニーニャさんの決めたことだから」

「ミカドくんは、彼女の年齢を考慮に入れましたか?」


 言われて、俺はけっこう、はっとした。


「立派な志だとは、私も思いますよ。しかし、その根源はどこにあるのでしょうね。二歳で湯沐邑とうもくゆうに送られ、何不自由なく過ごされて来たのでしょう? 正義を、どのように育まれたのですか?」


 そうなんだよな。それは分かってるんだ。

 ニーニャのふるまいには、奇妙な矛盾がある。

 

「ノブローさん、怒ってたもんなあ」


 シッスイ氏の塩鉱山まで助けに行って、出会い頭にキレられて、ノブローちょっとニーニャの気持ち汲んであげなよぐらいのことを俺は思ってた。

 でもたぶん俺は、ノブローの気持ちをこそ汲むべきなんだろう。

 子ども部屋おじさんつってもおじさんはおじさんだし、おじさんってことは大人なんだよな、俺。

 なんかたまにまだ十代の感覚でいる自分に気づいてぞっとするわ。


「うーん……」

「余計な助言でしたか?」

「いや、ありがとね。考えてみるよ」


 オージュ師匠はにっこりし、腰を上げた。


「ここでの用事は済みました。私はそろそろ行きますよ」

「うーい。また呑もうね絶対」

「それまでに鍛え直しておいてください」

「次は負けないから。肘がーん入れて膝ずーん入れるからね」

「期待していますよ。では、また」


 俺の頭をぽんと撫で、師匠は去っていった。最後に九歳児扱いしやがって。まんざらでもないのと同時にぶっとばしたくなるわ。


「ミカドさん! いた!」


 師匠と入れ違いに、ニーニャとパールがやってきた。


「お疲れー。いい馬車あった?」

「安く借りられましたよ」

「お、いいじゃん」


 ふらつきをごまかして、俺は立ち上がる。


「そんじゃ行こうかい、ドラーフ島」

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