コナトゥス

「コナトゥス」


 オージュが呟くと、彼が持つ純ミスリルのじょう、“烏滸アブサーディティ”はかすかに煌めいた。


「ルッツェン公?」


 窓際に佇むオージュは、憔悴しきった声に振り返った。


「たいしたことではありませんよ、バルタン卿」


 ゾートーン伯の荘館、その客間。だだっぴろく飾り物だらけの部屋には、ルッツェン公爵オージュとゾートーン伯爵バルタンの二人だけがいる。


「一揆勢力の要求は、全て呑んでいただけるのですね?」

「……こんなことのために、あなたのご助力を求めたわけではないのだぞ」

「だとすれば人選を誤られましたね、バルタン卿。たしかにあなたは、魔学院アンスティツにごくわずか所属されていました、そのよしみと、あなたの貪婪さを認めるかどうかは別の話です」

「相手はただの百姓だ!」


 激昂したバルタンは、拳を机に叩きつけた。


「いくらか遡れば、カーネイも農奴でしたよ。曾祖父は、畑を耕しているときに見つけた古い石板で文字を覚えたのです」

「混ぜ返して……!」

「失礼しました。過去は老人にとって一番の楽しみなもので」


 バルタンは両手で顔をぬぐい、深くため息をついた。


「謝罪の使者を、出させる」

「遺族への弔慰金を」

「分かっている!」

「交渉役としては、向こう数年の減免ぐらい引き出しておきたいですね」

「ああああ!」


 バルタンは椅子を蹴り飛ばした。


「ルッツェン公! 私の舌に、あなたは決して消えぬ苦味を残したぞ!」

けいは、徳治と善政の評を得るのですよ。ゆえにその苦味、いずれは甜味てんみと変わりましょう」

「くそっ! くそっ!」


 バルタンは机上の調度品を腕で薙ぎ払った。オージュは一礼し、客間を後にした。


「があああ! 殺す! 殺してやるからな、オージュ・カーネイ!」


 扉越しの絶叫に、オージュは苦笑した。


「ご苦労をおかけします」


 うんざりしきった顔の使用人に声をかけ、オージュは足早に廊下を行った。





 なんか、いろいろ、いっぺんに起こった。

 それ以外にどう表現したものか、俺には分からない。


 神像を見つけ、ぶん殴って粉々に砕いた。

 それと同時にいきなり光が差し込んで、地下牢の従者がぶくぶく膨らんで、爆発した。

 爆発に飲み込まれて、死んだなって思った。


 だが俺はなんだかけろっとしていたし、吹っ飛んだはずの従者もけろっとしていた。


「ああ……? なんだぁ? どうしちまった?」


 ぼやーっと空を見上げる男の、首筋にあった青黒い痣が消えている。従者化が解けたのだ。


「ミカドさん!」


 ニーニャが地下牢天井のふちからひょこっと顔を出した。


「おー! なにがどうなったの?」

「それが、わたしにも……」

「まあいいや、今そっち行く。あ、みんなちょっと待っててね、殿下と相談してくるから――神鳴、神鳴、神鳴」


 一揆勢に声をかけ、バフを点し、ててっと宙を駆け上がる。


 適当な護符で神鳴を押し出してからあたりを見回せば、ぐったりするニーニャ……に輪をかけてぐったりするパールの姿。


「なぜ私は……死ねなかった……首を刎ねていれば、こんなことには……」


 ミスリルブロンズの鋳造砲。きれいさっぱり消滅した屋根。四つん這いで泣くパール。なにがあったかすぐに察した。


「しょうがないじゃんパールさん。だって相手は蕃神だよ」


 声をかけてみたがパールは無反応。慰めるの下手だな俺。


「パール、その」


 ニーニャがパールのすぐそばにしゃがみ、頭をなでた。


「しょうがないです。相手は蕃神なんですから」


 え、慰めるの下手だねニーニャさん。


「今からでも……首を……」


 こりゃだめだ。しばらくそっとしておこう。


「オージュ師匠にケツ持ってもらっちゃったかな」

「ルッツェン公が? 賢者メイガスだからって、こんなには……」


 パールの頭をなでながら、ニーニャはこっちに首を向けた。


「賢者って広域にバフばら撒くジョブでしょ。あの人、とりわけめちゃくちゃべらぼうに規格外だから」

「うーん……そうかなあ。だって、あからさまに爆発してましたよ」


 ニーニャはいまいち納得いってないようだった。まあ知らんからね、オージュ師匠のこと。これを機に分かってもらえれば俺も鼻が高いよ。


「ちょっと、なんですかミカドさん、その、なんか、後方理解者面。わたしの疑問は妥当なものだと思いますけど」

「いや、そりゃ無理ないよねニーニャさん。“ルッツェンの陸巻貝カラコール”の実力って、やっぱちょっと一般に知られてるわけじゃないし」

「がー!」

「よし、落っこちた人助けよっか。ニーニャさん、よろしく」

「むぎぎぎぎぎぎ……きーちゃん!」




 一揆勢は半壊した塔から中庭に移り、なおもぼんやりしていた。


「おれにもいったい、何がなんだか……」


 ペーター・パーレット九等官もだ。彼は運よく鋳造砲の直撃を避け、わずかに残った床にしがみついていた。きーちゃんが見つけてくれなかったらやばかったね。


リウ寧寧ニンニンツァイって知ってる?」


 依代の名前を出すと、ペーターは青ざめた。


「それは、その」

「あの人、蕃神の依代だったよ」


 ペーターはすとーんと腰を抜かし、口から泡を噴いた。


「資金援助とか武装とか、寧寧の差配でしょ? 知らなかった……で済むかどうかは分かんないけど、お互い生きててよかったね。いやほんと、皮肉抜きに」

「ペーターさま! バルタンからの、使者が! しゃっしょ、謝罪を!」


 坂道を駆け上がってきた男が、ペーターに向かってぶんぶん手を振った。どうやらオージュ師匠はうまいことやってくれたらしい。


「ニーニャさん、そろそろばっくれどきじゃない?」

「そうですね。ほら、パールも」


 ニーニャは、まだどん底まで落ち込んでいるパールの尻をぱちんとひっぱたいた。パールはうめきながらのっそり立ち上がった。


 使者にみんなが群がっている隙をついて、俺たちはこっそり荘館を後にした。

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