ざこゾンビ♡
一瞬のブラックアウトから目を覚ましたニーニャが最初に知覚したのは、冷たい鎧の感触だった。
膝をついたパールに、抱かれているのだと気づいた。
「殿下、ご無事でしたか」
「はい、パール……何が」
パールは立ち上がり、ふらついて後傾した。
ニーニャが見たのは、球形に抉り取られた部屋と、手首から先を失って床に転がるペーターだった。
「陽光に触れた瞬間、サー・ペーターが……私にも、よく分かりません。爆発した、と表現する他なく。私にできるのは、襲い来る閃熱から殿下をお守りすることだけでした」
「ありがとうございます、パール」
ニーニャは落ち着いて、状況の整理に努めようとした。
「……これが、蕃神の力なのでしょう。触れた者を操り、さらに、爆破物と化す」
「そうか!」
パールが手を打ち鳴らした。
「殿下、陽光です! 窓という窓を塞いでいたのは、そのためでは!?」
「ええ、パール。中庭や城壁の布は、偵察(スカウト)対策の目隠しではなかった。日光を避けるために張られていたんです」
日光をトリガーに爆発する木偶(デク)。手のひら一つで、部屋が半壊するほどの威力。
「神降ろしを企んだ者の狙いは……」
ここに集まった一揆勢力が一斉に日光を浴びれば、それはどの程度の爆発を引き起こすだろうか。
被害はゾートーンのみならず、夏の離宮を擁するドラーフ島にまで及ぶだろう。
「参覲(さんごん)の触れによって、国内貴族はドラーフ島に集まっています。そこが消し飛べば……」
ニーニャは、手足の末端が氷漬けにでもなったような思いで口にした。
「それが、ルッツェン公の仰っていた極左テロリストの狙いですか」
パールはニーニャの言葉を引き取り、頭を抱えてふらついた。
「止めますよ、パール」
「とめっ!?」
ニーニャの即断に、パールは一瞬、言葉を失った。
「やっ、え、しかし! ミカド殿を! 無理です! 蕃神が! 殿下! いやもう……殿下!」
「言い方を変えたら納得してくれますか? ミカドさんが止めてくれるまで、わたしたちで儀式を遅滞します」
「同じじゃないですか!」
「じゃあいいです、何も言いません」
ほどけた髪を結い直し、ニーニャはペーターに目を向けた。廃王女の瞳は、瞋恚(しんい)に濡れて紺色を深めた。
「さあ、俗悪にいきますよ」
わめきちらすパールを一顧だにせず、ニーニャは部屋を飛び出した。
螺旋階段には、青黒い痣を持つ蕃神の従者どもが詰めかけていた。光無き無数の視線が、ニーニャに突き刺さった。
「こんなに……」
ニーニャは走りながら顔をしかめた。
「おお、殿下!」
踊り場に立っていた男が、焦点の合わない目をニーニャに向け、両手を広げた。
「待っておりんぶぐっ」
跳躍したニーニャは男の顔を踏みつけ、吹き抜けに身を躍らせた。
「きーちゃん!」
飛び来った夜鷹が、ニーニャの肩を掴み、羽ばたく。ニーニャを追った農民が、階段の手すりにぶち当たって体をくの字に曲げた。
詰めかけた一揆勢は、ニーニャを捕えようと手すりから身を乗り出し、手を伸ばした。
「どうぞ降りてきてください、姫殿下!」「ニーニャ様! 我らと共に!」「さあ、ニーニャ様も!」
甘言は、涎を垂らした口からの絶叫として迸っていた。心身操作の代償として、彼らは知性をいくらか奪われているようだった。
「んくくくくっ♡」
宙に吊り下げられた格好で、ニーニャは嗤う。
「ざーこ♡ざこゾンビ♡自由意志まで奪われちゃったのぉー? もうなぁーんにも残ってないね♡人の形をしてるだけ♡木偶人形♡有害廃棄物♡よだれとろとろ♡垂れ流しちゃってみっともなーい♡んくくくくくっ♡♡」
敵意と非理性的な絶叫を精一杯の虚勢で跳ね除けながら、ニーニャは吹き抜けをゆっくり下降していく。
「がっかっ、かっ」
不意に、むせるような音が聞こえた。そちらに目をやると、一人の男が、大きく口を開いていた。
その舌に鋼の蛭が――蕃神の棘が乗っているのを、ニーニャは見た。
「かっ」「あがっ、こっ」「が、か、あ、あ」
見下ろす者見上げる者並ぶ者、群衆の最前列にいた者どもが、一斉に顎を外して大口を開ける。
「ちょっとそれ、やりすぎじゃありません?」
ニーニャは試しに言ってみた。まったくの無駄だった。
三百六十度から、一斉に蛭が射出された。
「きーちゃん! わひゃああん!」
夜鷹が爪を開き、解放されたニーニャの体はまっさかさまに自由落下した。
「きょけっけっけっけっ」
翼を畳んで垂直下降したきーちゃんが、ニーニャの肩を再び爪で把持する。行き場を失った蛭たちは互いにぶつかり合って落下し、あるいは壁に突き刺さって虚しく尾を震わせた。
「はー……危なかったああああ!?」
ニーニャは絶叫した。目と鼻の先にいる女が、小杖(しょうじょう)をこっちに向けていたからだ。
女はニーニャの判断力が回復するのを待たず、即座に小杖を撃った。青い魔法弾が、凄まじい速度でニーニャに接近した。
命の危機に瀕して、ニーニャの時間感覚が鈍くなる。空気抵抗を受けた魔法弾が、細長い紡錘形に形を変えながら、服に触れ、皮膚に触れ、食い込み――
「リプレース!」
はるか上階で声が響いた。
見上げるニーニャが見たのは、胸を抑え、痛みに膝を突くパールの姿だった。
「パール!?」
リプレースはナイトのスキルだ。対象が受けた攻撃を、自分の身に引き受ける。
「問題、ありません。一発程度なら」
パールは立ち上がり、ふらついて壁に背をもたれた。リプレース発動前にバフを差し込んだのだろう。だが、ナイトのバフは星辰剣士(ゾディアックフェンサー)に比べれば気休めも同然だ。痛みは深いはずだった。
ニーニャは額に拳を当て、奥歯を強く噛んだ。
駆け寄って抱き起こして謝りたかった。
ニーニャはきつくまぶたを閉じ、開いた。
「パール・バーレイ! お願いします!」
「御意のままに、殿下」
パールは、盾持つ腕を引き絞った。
「シールドボレー!」
投げ放った盾が襲い来る農民に激突するのを確認するより早く、パールは壁を蹴って跳んだ。
従者たちをなぎ倒して戻ってきた盾に、パールは着地する。魔力の白熱光に輝く紋章盾は、螺旋階段の手すりに落ちると、勢いそのまま滑降し始めた。
「どけ、愚か者ども!」
手すりに群がる一揆勢力を弾き飛ばしながら、パールを乗せた盾は手すりを滑っていく。
「貴様が! 殿下を!」
ニーニャを狙った小杖の女をラリアットで吹っ飛ばす。女は木の棒みたいにぶっ倒れ、後頭部を階段にぶつけて失神した。
「お先に、殿下!」
ニーニャとすれ違いざま手を振り、パールは塔の地階にたどり着いた。全面が格子蓋になっており、足元には地下牢の底知れぬ闇が広がる。
パールは螺旋階段を見上げた。ゆっくり落ちていくニーニャを追って、操られた群衆がすし詰めになっている。地階に到達するのは時間の問題だろう。
「急がねば、な!」
クランクレバーに手をかけ、力の限り回転させる。内部機構がぎいぎい軋みながら回転し、床の格子がゆっくりとずれていった。
「ぐっ……!」
胸に鋭い痛みが走った。リプレースでニーニャへの銃撃を引き受けた際、パールの肋骨にはひびが入っていた。
「この、程度でっ!」
脂汗を垂らしながら、パールは歯を食いしばった。床格子はいやがらせのようなのろまさで動いている。
「んくくくくっ♡ざーこ♡ざーこざこざこ♡ざこゾンビ♡ニーニャにおさわり♡したいんだね♡高貴な体を穢したいんだね♡ざぁーんねんでしたぁー♡ゾンビはニーニャの玉体(ぎょくたい)にさわれませーん♡」
ニーニャの挑発する声が、ゆっくり近づいてきている。パールはレバーを回す腕により力を込めた。
呼吸するたび、胸が痛んだ。視界が痛みにちかちかっと閃いて、意識がわずか、飛んだ。
「殿下……すみません」
レバーから、手が離れた。パールの体がふらついた。
「おっと」
膝をつこうとしたパールの体に、腕が回された。
「パールさん、大丈夫?」
「うぇ……あががっ!?」
パールを後ろから抱き留めているのは、ミカドだった。
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