ミカド・ストロース対寧寧蔡

「んぎぎぎぎぎぎ! しゃおらぁ!」


 俺は腸めいた触手を力づくで引きちぎり、胸に刺さった鉤爪を無理やり抜いた。

 心臓が猛スピードでバクバク鳴ってる。デバフ耐性の花冠ハナカンムリとDEF強化の筬虫オサムシ神鳴カンナリを押し出してなかったら、今の一撃で即死……いや、もっとろくでもないことになってた。


「なんだこらおまえこら! おいこら! たここら! ええ!?」


 興奮した俺は、沼に向かって罵倒の限りを尽くした。


「かかって来いやこら! なあこら! おまえこら罠なんかこら!」

「罠、とは。異なことを申される」

「ひえっ!?」


 答える声があるとは思っていなかったので、俺はけっこうしっかりめの悲鳴を上げた。


「あたしのねやに潜り込んだ無礼者は、おまえさんじゃろう?」


 ぼこぼこと泡立った水面から、人影が、一条の煙のようにすうっと現れた。

 黒い湯帷子に、口元を覆うこれまた黒い狐の半面。やっぱり黒い髪を腰まで伸ばした、黒ずくめの女だった。


「ざわつく香りを纏うておると思うたが……その瞳、御草おぐさ後星あとぼしの印じゃな」


 “黄色い印”に変状した俺の瞳を見て、女は目を細めた。


リウ寧寧ニンニンツァイ。どうぞよろしく、おまえさん」

「あ、どうも。ミカド・ストロースです」


 女が急に折り目正しくお辞儀をしてきたので、俺もつい頭を下げた。


「ええと、その、璃の寧寧さんが、なんでこんなところに?」


 璃は東方の小さな島国だ。めっちゃ暑くて湿気が強く、なんかカカオとか採れるらしいよ。


「答えると思うたか?」


 切れ長の目元をわずかに持ち上げ、寧寧は笑った。


「まー無理だろうね」

無粋ぶいきはすまいよ、お互いに」


 寧寧は長髪に手櫛を入れ、一気に搔き下ろした。


一花一葉いっかいちよう――」


 髪がその半ばでより合わさって束になり、腸のような質感に変状する。先端に、鉤爪が生じる。


「まいったなこりゃ」


 こいつは間違いなく、蕃神の依代だ。となると……


「あんたがその、市民革命請負人とか極左テロリストってやつ?」


 寧寧は答えず、髪の触手をこっちめがけて放った。


火竜カリュウ


 STR強化の護符チャームを点し、まっすぐ飛来した鉤爪に打ち下ろしの鉄槌を叩き込む。地面に落ちた触手をすかさず踏みつけ、動きを封じる。


「でも、湖中神の依代じゃないよね。海神か、その名代みょうだいか……」


 探る言葉を投げつけるが、寧寧の表情は不動。


「まあとにかく、あんたを倒せば、儀式は止められるって解釈でいい?」


 俺は足元の触手をぐりっと踏みにじった。寧寧はわずかに眉根をひそめた。


「よかろ。無聊ぶりょうの手慰みじゃ。睦みあおうか」


 寧寧の髪がぶわっと放射状に広がり、絡み合って無数の触手となった。


掛花かけはな――」


 粘液に濡れた触手が、俺めがけ一斉に襲い掛かる。


「神鳴」


 AGIを強化し、バックステップ。俺を追うように、地面にかかかっと鉤爪が食い込む。


花留はなとめ――」

「うおぇっ!?」


 地面に刺さった触手を一気に縮め、寧寧が急接近してきた。その手には、ぎらつく蕨手鋏わらびてはさみが握られている。


「しッ!」


 足を地面に付けた寧寧が、慣性の全部を乗っけた突きを繰り出した。俺は半身にずれて回避、寧寧の手首を取り――


投入なげいれ――」


 触手が飛来し、俺は寧寧の手首を放してバックフリップで回避した。


忌花いみばな去嫌枝さりきらいえだ――」


 空中の俺を追い落とそうと伸びた触手が、互いに巻き付きあい、編みこまれる。先端の鉤爪が、花のように放射状に開く。


「神鳴、神鳴!」


 AGI強化の護符を点して、粘性化した空気を蹴り昇る。俺のすぐ脇を、木の幹のように太くなった触手が高速で通り過ぎる。


 息を止めたまま触手に左手を伸ばし、指を立てて掴む。残った右手を引き絞る。

 出し惜しみしてたら一瞬で殺される。一発で決めるしかない。


「火竜、火竜、火竜、火竜、火竜!」


 護符の全てを押し出して、俺は五つの宮に火竜を点した。


降星縁覚乘くだりぼしえんがくじょう!」


 摩擦によるプラズマの青い尾を曳きながら、俺の拳は奔った。

 音速をぶち破った腕は、円錐状の煌めく光伴流マッハコーンを纏った。


 拳が触れて、触手が弾けた。


 着地し、残心する俺の周りで、千切れて炭化した触手が花吹雪のように舞った。


「ふふ。御草おぐさ後星あとぼしがよう香る」


 向き合う寧寧は再び水面に立ち、黒い狐口面を結び直しながら、笑っていた。


「おまえさん、よき星の剣士じゃのう。綵剣あやつるぎは、持たぬようじゃが」


 触手を失って、それでも余裕の表情。こっちは全力ぶちこんだせいで腕がなんか、もう、こんがり焼けちゃってるんだけど。


「あれ? あ、うわ、ごめん髪が。そういうつもりじゃ」


 寧寧が、ボブカットみたいになっていた。そりゃそうだ。触手になってた髪を消し飛ばしちゃったんだから、そうなるよね。


「おまえさんは、どちらが好みじゃ?」

「えー? 難しいな。でも顔の形がしゅっとしてるから、サイドにボリューム作ると似合うかも」


 向こうがふざけてきたのでこっちもふざけて答えると、寧寧はちょっと不意を打たれたように笑った。してやったりだ。


「おまえさんの言うた通りじゃ、星のの剣士どの。あたしは、おまえさんがたの言う極左テロリストじゃよ」

「急に口を割るじゃん。どうしたの?」

「このままり合えば、ちと分が悪いのでな」


 そうかなあ? こっちは必殺技ぶっ放してもう腕がズタズタなんだけど。


「その極左テロリストが、なんでうちの国を民主化しようとしてんの」

「おまえさんには関係無きこと」


 あるでしょ関係。国民よ? 俺。


「あんたみたいなのがウヨウヨいるの? アルヴァティアに? 勘弁してくれって感じだね」


 寧寧は首を横に振った。


「この国におるのは、あたしのみじゃ。テロへの対応力を量りたかったのでな」


 どうとでも取れる言葉だな。真に受けるのも受け流すのも危険だ。


「星の香の剣士どの。悪徒が企みを露わにするのは、どんな時かのう?」

「え? あー、相手を確実に殺せるとき?」

「そうじゃな、それもあろう。それから、もうひとつ」


 俺は、血の気が引く音を聞いた気がした。


「既に術が為ったときじゃよ」


 またたきひとつのあいだに、寧寧が俺の前にいた。


御草おぐさ後星あとぼし……ふふ、かぐわしい」


 寧寧は俺の首に右手をかけ、耳の後ろに狐口面を押し当てた。やめて、そこはちょっと、気になってるから自分でも。


「いっった!?」


 焼けただれた右腕を、握り込まれた。頭のてっぺんに杭でもぶちこまれたような痛みが走って、小ゲロがこみあげる。


「おあしを持たぬゆえ、睦みごとの対価はこれで許せ」


 寧寧が手を放すと、火傷はきれいさっぱり治っていた。


「あ、なんか悪いね。どうも」


 うっかり頭を下げてしまい、いや何やってんだよと思って顔をあげると、寧寧は俺から離れ、湖面に立っていた。


「また会えるかのう、星の香の剣士どの」


 水面を蹴って、寧寧が躍り上がった。


「まっ、嘘、やば!」


 慌てて追おうとするも、足がもつれて俺はその場にひっくり返った。


「最初に言うたじゃろう? ここはあたしのねや、と。あたしは為すべきを為し終え、眠っておっただけ。おまえさんとの睦言むつごとは、無聊の手慰み。ふふ――」


 笑い声を残し、寧寧の姿は煙のように消えていた。

 沼地の光景が溶け去り、俺の体は図書室に投げ出された。


「ああくそ、冗談だろ?」


 儀式の中心はここじゃない。俺は魔力の流れに釣られて依代の寝床に迷い込み、意味もなく消耗しただけだ。


「ニーニャさん、パールさん……!」


 立ち上がり、がくがく震える膝をぶん殴る。あんだけ護符チャームをぶん回して、降星縁覚乘くだりぼしえんがくじょうまで放ってしまったのだ。体力が底をついていた。治してくれるならそこまで配慮してほしかった、いやそんなこと言っちゃだめだよ人の善意に。ありがとう寧寧、二度と会いたくないです本当に。


「駄目だ、駄目だろそれは。動けよ役立たず! また死ぬぞ! 目の前で、助けられずに!」


 記憶を焚き付けに、俺は軋む体を動かす。一歩一歩、図書室の外を目指す。

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